和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

椿


         「聖なる木・椿」

聖なる木として庶民の間に親しまれてきたのが椿。
字の通り、春を告げる木とも言われる。
平安時代には神社の正月行事には欠かせない木で、悪霊を払う杖を椿の木の枝で作ったと言われている。

一方花がポトリと落ちるところから武士に嫌われ家紋としてはあまり使われていないようだ。
見た目華やかなので意匠化されて季節を楽しむことに使われる花でもある。
椿文、雪持ち椿、など色々文様化されているが梅のように花のみ・・というのは案外少なくつややかな肉厚の葉っぱもともに描かれ色の対比も美しく使われている。
また「枝椿」といって葉だけでなく枝についている椿の柄もとても多い。



江戸時代の茶人、小堀遠州遠州流茶道の祖としてだけでなく造園家でもあったとか。
彼が好んだのが椿。特に椿の花をデフォルメして図案化したものは茶人好みの文様として着物や帯に広く使われている。

遠州椿なるものをお見せしたいがない!!!
お茶をたしなむ人は案外帯などに持っているのだが・・
で、再度お絵かき帳の登場となる。
私の絵の下手なのもあるのだが、実際本当にこんな感じ。
恐ろしくデフォルメされているが、こんなことで驚いてはいけない。
琳派の椿はもっとすごい。太い丸の線だけ。


遠州流から「絵が下手すぎ!!」とクレームが来るやもしれぬ。
あしからず。この椿が横に並んでいるのが多い。

ちなみにこの「遠州椿」、相撲の軍配に似ている。
軍配は「八卦に見る運勢は 良い良い どちらも良い!!」という掛け声らしい。
ちなみ「椿」の家紋はないが、「軍配」の家紋はある。
戦場でさい配する時に持ったところからくる。
行司の軍配と戦場の軍配と形がとても似ていると言われている。

戦場の軍配は軍扇ともいわれ、采配するためだけではなく、悪霊や病神を追い払う呪術的な意味合いが強かったようでもある。
武田信玄川中島の戦いのときに上杉謙信に一太刀切りつけられた時、

    動くなという間なく
    さっとばかりに切りつくるを
    はっしと受けし軍扇は
    二つになりて二の太刀は
    早や肩先に切り込みぬ

永田錦心の琵琶「河中島」にはこう書かれている。
軍扇でその太刀をかわし軍扇が真っ二つに割れたが身体に受けた傷はさほどでなかったことから信玄はそれ以降はこの軍扇を旗印にし替家紋にも使ったという。


先日の銘仙展にも椿の柄の着物があでやかに衣桁にかかっていた。
花ことばも調べると色々あるので本当の花ことばはどれがどれだかよくは分らぬが、
当日の会場の解説のところには・・・

「椿」の花言葉は「誇り」と。
「白い椿」のところの花言葉は「理想」。
「赤い椿」のところには
       
        「我が運命は君の手中にあり」

デュマの「椿姫」を連想・・思わず笑っちゃったよ〜☆☆☆
生涯に一度くらいは言われてみたいものである・・・
                     

     
      命なき砂のかなしさよ
      さらさらと
      握れば指の間より落つ

「一握の砂」ではないが手中にはなにも残らぬのが現実・・・・・