和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

矢筈の家紋

矢は弓と共に武士道を象徴する。
かつては狩猟の道具でもあり、戦場の武器としても活躍していた。
百人一首で弓矢を肩にした貴族の束帯を目にしたことはどなたも有ると思う。


もっともお公家さまの装束は実際に戦うと言うよりも衣装の美しさを追求したものであろうから、機能性というのとは趣が違うのだが。
ただ武官には欠くことのできぬ矢であり、それを背後にどのように配置するのが美しいか考えられた究極の美でもあるのであろう。
其の時の矢は30本と決まっていたらしいがその後は変遷したらしい。
22本とも15本とも言われている。
一本だけ離れて「落とし矢」としていた。
こういうのが何とも日本人の繊細さだと思う。
この一本があるから、なんともバランスが良いのだ。
お絵かき帳の図では分りやすいように緑に囲んでみた。
この矢は全て和紙で包まれ漆塗りの箱に納められ腰にくくられたようである。
その和紙も色が決まっていて「若年は紅梅色」「壮年は紅白」「老年は白」と。
此処までする?と言うくらいのしつらえの美でもある。


矢は世界中で使用されていただろうが、日本では今でも破魔矢(はまや)や流鏑馬(やぶさめ)などの風習として残ってもいる。
矢を図案化した家紋は「矢紋」といい、「矢羽」「矢柄」「矢尻」「矢筈」と主に四つに分けられる。
今回は「矢筈」(やはず)・・・について。
矢筈とは矢羽の上部の弓の弦を受ける場所である。

何となく矢羽と形が似ているから間違えて一緒に覚えている方も多いのだが、矢羽に比べて黒く塗りこめられている。


「矢筈」


「違い矢筈」


「三つ重ね矢筈」


これに丸で囲めば「丸に矢筈」となる。
剣がつけば「剣矢筈」となる。
輪郭だけなら「中陰矢筈」となる。


似ているようで違う家紋・・参考までに。
「一つ矢」

一つ矢は矢羽を家紋としたもの。
2本3本・・・多いのは12本もの矢羽を輪にした家紋まである。
そう、それが矢車である。
鯉のぼりの上についている矢車はこの矢羽の合わさったものなのだ。

また、似ているものでは「鷹の羽」(たかのは)もある。
「鷹の羽」は鷹の羽から来ている模様であるのだが、弓の羽部分に使用されたことからまるで矢羽のように思われるかしらぬが、元々は別物。
この「鷹の羽」を少し変形させた家紋としてはあの浅野内匠頭の家紋がある。




さて、遠回しな話をくどくど書いているのだが、今日は何故この紋を出したかと言うとこれに辿り着きたかったから。

浅田次郎の「黒書院の六兵衛」(上・下)

黒書院の六兵衛 (上)

黒書院の六兵衛 (上)



黒書院の六兵衛 (下)

黒書院の六兵衛 (下)




江戸城明け渡し後も1人静に勤番する旗本・的矢六兵衛。
小さな握り飯と僅かの香のもの以外一切口にせず、無言で座り続けている。
勤番する事を差し止め下城を説得しようと奔走する官軍の加倉井隼人。
力ずくや血を流しての排除を勝安房守より禁止され何とか穏やかにと事を進めるべく励むがてこでも動かぬ六兵衛に万策尽きる。
この六兵衛の目的は何か、探るうちに徐々に分ってくるその正体とは。
漢詩に精通し、書をしたためれば余りの美しさに圧倒され、剣を取れば其の腕前に誰も太刀打ちできず。
着物を端正に着こなし、所作には品格まで備わっている。疲れていても横になることはなく、静かに坐して目をつむる。

江戸城明け渡しの日も迫る中で、寡黙に座り続ける1人の武士の命がけの目的とは。
それがもとで官軍と幕府軍との憎しみと怒り、そして本音も噴出していく。
あっという間に引きづり込まれ最後まで読まずに本を閉じることは出来なかった。


その表紙に書かれているのがこの「丸に矢筈」の家紋。
この表紙の絵の背後からの書かれた家紋が物凄く目をひいた。
とくに裃の下の袴の腰板に染め抜かれた紋。
実に格好いいのだ。
皆さんは裃だとどうしても前から見た抱き紋(胸にある左右二つの紋)を思われるかもしれない。
又時代劇などで背中の紋を思われるかもしれない。
しかし、腰の所にも実は家紋があるのだ。
表紙の背中と腰板の家紋が一直線で物凄く美しい。
この絵を描いた人は中々いいなあ・・・と。
ただ袴の脇の空きから見える「亀甲」はちょっと六兵衛のイメージではない。
もし模様をのぞかせるとしたら、私なら・・・
青海波が美しかったのではなかろうか。(単なる私の希望)



面白かったわあ〜。一挙に読んだ。
お陰でワインもしこたま飲んだ。

あ〜ぁ、琵琶の全国大会からの帰りの新幹線のなかで春までに「五キロ減量」する事を固く誓ったというのに・・・つかの間の脆い決心だった。(笑)

是非一読を。

黙して語らない六兵衛に真の武士道を見いだすのは私だけではないはず。
私は今では琵琶の中にしか無いと思っていた人の潔さをこの本のなかに見た。
此処まで昇華された武士道は筆舌に尽くしがたく感無量。
時々挟まれる絵もこれまた良い。

久しぶりに眠らずに夜通し読んだ本である。


平安貴族の弓矢まで出して物凄く遠回りして辿り着いた気がするが、それもまたよかろう。
知らなければ知らないで、そのまま見過ごしてしまう表紙なので。
「違い矢筈」「違い矢」「違い鷹の羽」この三つを
このブログを読んでキチンと説明できるようになった生徒さんがいたら大したものである。
一級を受けられる方、頑張りなされ〜♪
来年に向けての第一歩である。


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長くなりついでにもう一つ。
最初書いたお絵かき帳での冠について。


Aは垂纓冠(すいえいかん)といい、Bは巻纓冠(かんえいかん)というのだが、
Aの後ろに伸びている纓(えい)を丸めて止めたものがBである。
百人一首などを見ているとまるで違う冠に見えるのだが留め具をはずせばおおむね同じ形である。
冠の纓(えい)が邪魔な時などに文官はこういう止め方をするのだが、武官は最初から動きの便を計って留めている。
最初のお絵かき帳の冠には両耳の辺りには最初から馬の毛で作った飾りが付けて有る。

又、私はお絵かき帳にて「纓」にちらりと模様を付けたが、模様のついてないものも多い。
基本は高位の方は模様がついていてその模様も位によって家柄によってある程度使って良いものが決められていた。
摂関家などしか使えない模様もある。

「頭挿花」と書いて「かざし」と読むのだが、古書などによく出てくる。

あの「羽衣」の天女が髪に挿していた。
羽衣を漁師に取られた後見る見るこの花が萎れて
「頭挿の花もしをしをと・・・」というくだりもある。
よよよ・・・と泣き崩れる天女の姿のはかない美しさに漁師は羽衣を返す場面である。

花ではあるが、女性だけでなく男性も付けていた。
男性の場合はその「頭挿花」はこの冠に付ける飾りの花でもあったようだ。
生の花の時もあれば造花の時もある。
紅葉狩りなどの時に紅葉した一枝をこの冠に挿してひと時を楽しんだりもしたのだ。
またそれを恋しい人への文にちょっと添えて・・・・というのもある。
昔の方は本当に風流だったのだ。



今の時代頭に一枝さしていようものなら、「お可哀想に・・・」となるやもしれぬ。
どなたも真似しない方がよさそうである。(笑)

十二単を習われた養成コースの面々は既に承知の知識だと思うが、
この辺の詳しい事などを知りたい方は参考文献が事務所に有るので何時でもどうぞ。

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十二月になってからいよいよ寒さが本格的になってきた。
昨夜など一晩中雷鳴が響き渡り、窓ガラスがビリリと鳴っていた。
雨は降るわ、霰は降るわ・・・寒さひとしおである。
どちらさまも御身大切に。ではでは・・・・今回はこれにて・・・