和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

御所車

平安時代の身分の高い貴族の乗り物を「牛車」という。
その「牛車」・・・別名「御所車」ともいう。
江戸時代の小袖や能装束にも「源氏物語」を象徴するモチーフとして効果的に使われていた。
特に着物には牛を除いた御所車を華やかな風情で書かれていて別名「源氏車」とも呼ばれている。
同じように御所車の車輪だけを意匠化して文様として使っているものも「源氏車」と呼ぶ。


現在、留袖、訪問着などの礼装用に吉祥文様と組み合わせて用いられる。

     ・・今日はその「御所車」について・・

「牛車」が文様化されたことに関して、二つの説がある。
一つは奈良時代に皇族だけの乗り物だったことに由来するという説。
もう一つは応仁の乱以降御所の儀式だけに使われたことに由来するという説。

どちらにしても身分の高い方々しか使用できなかった。
段々皇族だけでなく一般貴族も使うようになり身分によってそれにふさわしい御所車の様式も色々段階が有ったようである。

仙石宗久氏の「十二単の話」(オクターブ出版)の中に「牛車の話」として面白い話が出ている。
平安の世に牛車に乗った女性たちは装束を車の簾からのぞかせてあでやかないでたちを競っていた。
特に牛車の簾から十二単の一部を見せるのを「出衣」(いだしぎぬ)と呼ぶことは以前のブログで紹介した。

         花見車の出衣  霞も匂う紫の・・・

で「羅生門」の琵琶曲は始まる。今日は琵琶はさておき「御所車」の話。

頃は宮中の恒例行事 正月七日「白馬の節会」(あおうまのせちえ)。見物する牛車並ぶ中、濃い紅色の衣装を簾から見せている車があった。
牛車にも身分相応の様式があり、どう見てもその牛車ではその色は許されていない色・・・それを当時風紀取り締まりの役人・検非違使が見つけた。
現在の交通違反を取り締まる白バイの趣。見張っていることが分からぬよう木の陰、建物の陰などでチェックしていたのであろう。
すぐに車に近寄り禁色(きんじき)の色を着ていることをとがめたのである。

車中の女性は歌で返した。

      大空に照る日の色をいさめても
         天の下にはたれかすむべき

と。検非違使はもっともと思いそのままたちさった・・と。
つまり知恵や学識があれば、如何に禁色でも、余程の事がないと見逃してあげるという粋な計らいも時には通用したということ。

折角なのでこの恒例行事「白馬の節会」について。
これも以前何処かで触れたはず。
陰陽五行では春の色は青色、馬は陽の気。初春の「白馬の節会」の白馬は「あおうま」と呼んで神の使いとしたところからきた行事。
ここまで触れたのでもう一つ。昔は日照りには「黒馬」長雨には「白馬」(あおうま)が貴船神社に奉納されたとか。貴船神社は加茂川源流の水神を祭る。
五行思想では黒色が水、よって火を制する。青(あを)は木で、根が土を固めて洪水を制する。青は今の緑の事で白馬を「あおうま」と呼んだことに寄る。
参考までに。

又、同じ書で牛車について面白い記載があった。
牛車には何処から乗るのか・・という質問。
前の簾からだろう・・と長い間信じていた私。
なんと、後ろからとか。
後ろにも御簾が有ったのだ。知らなんだわぁ。
後ろから乗り前から下りるのだ。
牛で引く棒が(その棒を「ながえ」という。漢字変換ができないのでご容赦を)、その棒が後ろまで長くついているのを見るにつけいつも「何のため?」といつも疑問に思っていた。ちなみにこんな例を出すと平安の御代の方々の顰蹙を買うだろうが、リヤカーには前から引く棒は後ろまで付いていないのだ。それが今回判明、納得、合点。縁側まで入れるとなると縁側にしっかり支えて置くべき支えがいる。その役目を果たしていたに違いない。
牛車の棒「ながえ」の高さは当時の神殿造りの縁側の高さから算出されていたのかもしれぬ・・と思うと面白い。。

ちなみに牛車は屋敷の中まで入り縁側に後部を寄せて、女性の牛車に乗り込む時人の目に触れるのを最小限にしたとか。そこまでこだわったのだ。自分の姿を人に見せないということに。またついでに言うと、降りるときなど牛のお尻を見て降りるのではない。(笑)その時は既に牛を放してしまうようだ。

ちょっと面白い話だったので・・・参考まで。
何の参考にもならぬかもしれぬ。
人は霞を食べて生きてゆくことはできぬのだ。
でも一見何の役にもたたぬ、何の力にもならぬ、そのまさに霞のような存在こそが、人の心の醍醐味となり、感情の機微に通じるのではないかと思うのである。
科学的、合理的生活を追求するのもよし。そうしながらもそれとは別に一見、何の役にも立たぬようなものの中に 楽しみ、遊び心、心のの潤いを探すのも又一興ではなかろうか。



今職場に出している匂い袋。桜の形と蝶の形を楽しんでくだされ。


昨日は桜を楽しむ方々の車で金沢市内は大渋滞。
時節がら桜の花を抜きにはできないので、せめて最後に桜の家紋について触れておこう。

桜の文様は日本を代表する花として菊とともに一年中使われる。
家紋としてはその最後のはかなさから、武士の間には避ける人たちもいたが、やはり何と言っても「花は桜木 人は武士」・・・。
これは琵琶曲の「白虎隊」の謡い出しだが、花の散り際と武士の死をいとわぬ潔さを歌ったものだが、子孫繁栄の視点からはふさわしくないと武家の家紋としては意外と避けられたようである。ただ神紋、寺紋として歴史は古く吉野神宮唐招提寺などよく知られている。
一般の家でも桜井、桜木、吉野、など名乗る家に現在でも多いように思われる。

基本的な一番オーソドックスな桜

次は細川桜
あの細川ガラシャ夫人の夫、細川忠興氏の家紋。

そして八重桜

最後は山桜・・・・上の桜と比べて花弁の切れ込み方が特徴がある。

山桜は普通の桜よりも若干色が薄い。葉が先に出てそのあと花が咲く。普通の桜の逆。
葉が有るところに花が咲くので緑が有る中の白い桜となりものすごくきれい。
時期としては普通の桜が終わってからやんわりと咲く。
山手の桜に多い。ちなみに私の大好きな桜。花の色が本当に薄くて白い。
どうしても我が狭庭に一本欲しくて山を持つ方に頼んで分けてもらった。
我が家の桜は毎年4月末あたりでないと咲かない。今はやっと葉が出てきたところ。

家紋の中でも花紋・・・平安時代の方々の愛した花はほとんど家紋の中に反映されている。
菊、桜、梅、桔梗、桐、牡丹、竜胆・・・などなど。
中でも菊と桜は日本人にとって特別な思いを持って見る花・・・

金沢の桜は今日、明日が一番の見ごろ・・・きっと。。。
皆さん、渋滞になるでしょうから気をつけて・・・ね。