和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

格子・・2

歌舞伎役者にちなんだ格子柄をいくつか・・・

まずは「市村格子」

   「一」横一本縞
   「六」縦六本縞
   「ら」    ・・で「いちむら」と読ませる

   十二代目市村羽左衛門好みの柄

    
    


次は「菊五郎格子」

   「キ」と
   「九」は縦と横の縞の数
   「五」は横の縞の数
   「呂」    ・・で「キ九五呂」と読ませる
     
   三代目尾上菊五郎が舞台で着た柄

    


次は「中村格子」

   三本線の縦横格子に「中」「ら」を入れて
         ・・「中六ら」と読ませる

    中村勘三郎の格子柄


このあたりまでは正に判じ物・・といわれる一種、いわばレベル1。
さて次はちょっとひとひねり・・・いわばレベル2。

高麗屋格子」

   太い線と細い線を使った縦長の格子。4代目松本幸四郎の衣装に使われた。
何故「高麗屋」とつくかというと松本幸四郎の屋号が「高麗屋」だから。
また松本幸四郎が好んで使った色が「高麗納戸」色。
(納戸色という色がある。藍色の中でも濃く深い色。)

ちなみに屋号と家紋に少しふれておくね。

    松本幸四郎 (高麗屋)   家紋  四葉
    市川団十郎 (成田屋)   家紋  三枡
    尾上菊五郎 (音羽屋)   家紋  重ね扇に抱き柏
    中村吉右衛門播磨屋)   家紋  揚羽蝶 
    中村勘三郎 (中村屋)   家紋  隅切角に一枚銀杏



最後は「六弥太格子」いわばレベル3

 

では・・・問題です。
この六弥太格子・・・上の歌舞伎役者の誰の柄でしょうか?
   <ヒント>   家紋がヒント。
 
     

   八代目市川團十郎の舞台衣装から流行した格子柄 
       「一の谷武者画土産」の「岡部六弥太」に扮した時に着た裃の柄だとか。
 
   「六弥太格子」は「三枡」を互い違いに組み合わせたもの。
   
   初代市川団十郎の紋所「三枡」も一緒に載せて置く。




     


  
「枡」→「増す」に通じるので縁起物として家紋に使われた。


    「見ます」「見せます」は「ます」は二個
     と、言うわけで舞台に上がる人たちの間で縁起物として二個の枡はもてはやされたが
     「益々繁盛」→「ます・ます・半じょう」→「二升五合」となり
     「三枡」がさらに上を行く・・・となり
     「三枡」を家紋にしたとか・・・しないとか・・・
(どっちなんだか不明〜)



團十郎と並ぶ人気の役者尾上菊五郎
ついでと言っては何だけれど菊五郎の家紋は「重ね扇に抱き柏」は既に記した。
これは初代の菊五郎がごひいき筋から頂く際に扇に乗せて柏餅を頂いたところから紋になったとか。
これも何処から何処までが本当かは不明。


柏の紋が出たついでなので柏の事もちらっと触れて置くと
「柏」の葉は大きいのと厚みがあることから古くは食器の代用とされていた。
端午の節句の柏餅は柏の葉に包んであるのがその名残。
朝廷で食事の係りの職の方を「膳夫」と書いて「かしわで」と呼んだとか。
又神が宿る木としても考えられていたので伊勢神宮熱田神宮神職に携わる家の家紋にも多いとか。
武家にも好まれた家紋である。柏の葉は「はらり」と落ちる時は必ず新しい芽が育った後なのだそうだ。
子孫繁栄と世代交代がしっかりなされる象徴と取られていたのではないか。
紋の葉の数は一枚から九枚まである。三枚が基本。二枚・二本の時は「抱き・・・」という言葉で表わされることが多い。
植物の時は「抱き柏」「抱き茗荷」「抱き稲」「抱き沢潟」・・・・
動物の時は「向い鶴」「向い揚羽蝶」「向い海老」「向い兎」・・・・
と「向い・・・」と向かい合う形が多い。
また重なるときは「重ね・・・」となる。
余談ばかりで長くなった。話をしだすときりがなく続く。

何を言ったところで、むなしい気がする。
所詮書物で知った知識の寄せ集めさあ〜。

それに比べたら東京在住の方々は生活に入り込んでいる知識としてこういうことが身体や生活の中に沁みこんでいるのだとうらやましい。
幼い時から歌舞伎役者の紋や柄が入った手ぬぐいを身近に見、落語家の紋付羽織姿を見ながらその身のこなしや扇子の使い方を学び、隣近所の御老体に粋でいなせな物の考え方を習い、沢山の綺麗どころの柳結びに接し洗練された美しさの原点を知る。それこそ毎日が江戸文化一杯の中で暮らして来たに違いない。

また京都在住の方々はと言えば、上巳に雛を飾り、桜、藤、花菖蒲、紅葉狩りを楽しみ、葵祭りや祇園祭りを見、毎月変わりゆく季節の移ろいを花街の舞妓さんの花簪に見、懐石料理に厳選された器と食材の調和を見、寺院の片隅で咲く花を愛でながら濃い茶をいただく、時は枯山水の庭に宇宙を見る・・・・風流<の365日のはず。
所詮書物で得た知識は生きているとは言えない・・・
五感に沁みこむ知識を生まれた時から無意識に身体の中に沁みこませている。

「百聞は一見にしかず」とはよく言ったものでまずは体感、体験しなければ・・・・と思うこのごろ。
来年は手に取り見て歩くことからはじめたいなあ・・・と思っている。
まずはできる事から・・・と書きながら誓う私であった。
この機会に・・・と家紋の話まで触れたので長くなった・・ごめん。

                    おしまい・・・

                               カーーーーン・・・〜・・・

                           (何の音かって??  拍子木さあ〜♪)