和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

菊は栄える  葵は枯るる
大徳川の末の世に・・・・


という謡いだしで始まるのが琵琶曲の「井伊大老」。
桜田門外で水戸脱藩の浪士たちに殺される場面のところだが
正に「菊」は天皇、「葵」は徳川家をさしている。


徳川家の家紋は「三つ葉葵」
徳川時代には「葵」の紋は勝手に使うのはご法度。

「ひかえおろう!!!この紋どころが目に入らぬか!!」
で有名な三つ葉葵もその時その時の将軍によって少しずつ変えていたそうな。
当時の大名にも序列があり、御三家・御三卿・家門・譜代・外様という序列だったらしいのだが上三つ御三家・御三卿・家門が徳川一族で占められ中でも御三家(尾張紀州・水戸)は家康晩年の子が開祖となる。この御三家だけが三つ葉葵を許され、それ以外にも葵を変形させた尾張三つ葵、紀州六つ葵、水戸六つ葵なども同時に使用したらしい。この辺をもう少し知りたい方は

家紋の世界―あなたのルーツはここにあった!

家紋の世界―あなたのルーツはここにあった!


を参考にされたらよいかと。なにせ500円。なのにものすごく丁寧に解説されている。

もともと「葵」の家紋は植物の葵の葉をモチーフにして作られた文様。
「あおい」とは太陽を「あおぐ」ことからくる意味合いで葵の葉の向日性にちなみ幸先の良さを表すとされた。葵の茎は地上をはいひげ根を伸ばしそこからまた長い柄葉の二枚の葉を出していく。それを「二葉葵」といい京都の賀茂神社の神紋がまさにそれ。
神社との縁で徳川家の家紋となったそうな。またまた元に戻りそうなので着物柄としての「葵」の葉や茎、葉について。


ハート型のような葉はほかの植物との相性がよく蔓草や藤、花丸紋などとよくつかわれている。菊と一緒に織りだされている文様を見た時は皮肉な感じもしたのだが今は誰もそんなことは気にもしない。
葉の葉脈を生かした表現はきりりとした半面何処となく格調と優雅さを備えて見える・・・気のせいか。(笑)
婚礼衣装や振袖、丸帯などにさりげなく入っていたりするので気をつけてごらんなされな。