和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

もう一つ・・雑誌♪

前回日経BP「Associe」の事を書いたのだが、実はもう一つ好きな雑誌がある。

(株)アダックと言うところから出版されている「express」という雑誌だ。
此の雑誌がどうして我が手元に毎月のように送られているのかは正直不明だった。
特別購読している訳でもない。
最初はただで送られてきたり、こちらの了解も取り付けず配送されてくる物は基本読まない。そのまま廃棄する。
そうでなくてもどうでもよいような物を送りつけてくる所が多い・・多すぎる。
一時期、情報は多いほどよい、という風潮があった。
でもこれだけ真偽の分らない胡散臭い(いや・・それが本当の物であっても。)自分が求めていないものは不要であると思っている。
今は沢山の情報をどう集めるかではなく、沢山ある情報の中から本当に必要な物は何かを、そして必要な情報だけをどう選別するかのほうが大事だと思っている。だから、自分が求めていない物を送ってくるような所の物は一切読まない。恐ろしい位に徹底している。

ところが何時だったか「ふっ」と表紙に魅了された。
定価は390円。我が家には無料で送ってくるがその値段で買う人もいるわけだ。
薄い雑誌ではあるのだが、しかし、読むと決してその金額は高くはない。

総じていつも表紙が妙にいい・・・ちょっと哲学的なニュアンスさえ感じる時がある。
余りに美しくその雑誌を作っている方のスタンスまで興味を持ってしまった。
多少時流を漂わせてはいるが、それはその時々の人々の興味をいち早くとらえようとしているからに違いない。
ただ読むと物凄くキチンとした姿勢でバランスよく、しかも誠実に構築されている内容が伝わって来て好感をもてるし、何より読んでいてとても気持ちが良い。
で、調べた。何処がどういう理由で送ってくるのか・・を。
どうも滅多に使わないのだが、以前私が旅行していて使ったカード会社からの出版物らしい。
なる程・・・と納得。その雑誌の最後部分にお奨め旅スポットや観劇がよく組まれていたのもこれで納得。

で・・・前置きが長すぎやね。(笑)

本題にとっとと入ろう。
今月の五月号が物凄く良かった。
まあ、何月号も結構面白いので毎月結構楽しみにして待っている昨今ではあるのだが。
去年の秋には世界遺産に登録された富岡製糸工場の流れで特集は「美しきシルク」だった。
それも実にシンプルで分りやすく押さえどころも良くて私は好きだった。
表紙はシルクの「かせ」のみ。度肝を抜かれた。
シルクと言えば精練された柔らかく光沢に満ちた糸を想像するだろう、普通は。
それがまだ何と固さが見え隠れする精練されていない糸、勿論真っ白ではない。「かせ」の一つ一つを微妙に違う強さに緩めている。やんわりと緩めて糸の固さを想像できるようにしている。このカメラマン「凄っ〜!!」
文も普通の「シルク」のとらえ方と切り口が違っていたのが妙に新鮮だった。
話を戻さないと・・・何処までも脱線していく。



今年五月号の特集記事は「琳派四百年」。



表紙良くない?
私は表紙の左右の影と左の方の金の線が物凄くいいと思っている。

この影は何か?この線は何か?
そう・・・屏風の開くときにできる線である。
宗達の「雲龍図屏風」6曲1双右の3枚を写した写真である。
こんな写し方するのを今まで見たことがない。
手前に折るので右の方は影ができ、向こう側に折るので屏風の境目の金が出るのだ。
それをそのまま・・・そしてそのバランスの妙・・・いいねえ〜と。
表紙の写真・・・いつも凄いなあ・・どんな写真家が撮っているのだろう。
いやいや写真家というより表紙をデザインする方が凄いのかも。

これが又、読んでいてもとても面白いのだ。
何処が面白いかというとまず、片寄らない、バランスが良い、細部やちょっとした逸話などを挟んでくれて読みやすい、時に表や絵や写真をふんだんに使ってとても理解しやすいように書かれてあるのもいい。そのくせ、くだけ過ぎず、所々学術的でもあり最後までこちらまで真摯な姿勢で読めるのもいい。

琳派とは何か、どんな人たちがいて、どういう画風で、どういう歴史的な背景で、今はどうなっているのか・・24ページに渡って様々な角度から切り口があり実に食い入るように読んでしまった。書いている方々が1人でないのもいい。
工芸の世界だけでなく、茶道、華道、書道、勿論着物の世界も・・・色んな分野に興味のある方にお勧め。

一つ二つ面白い箇所を例にとる。

俵屋宗達の「たらし込み」の技法について・・・
通常の水墨表現は、紙を使って墨が沁み込んでいくことでできる「にじみ」を効果的に使うのである。
しかし宗達はそれまでに考えられないような手法を使った。
つまり墨がにじんで沁み込んでいかないような技法をわざと使ったのだ。紙の表面で水墨がゆっくりと乾いていく過程で生み出される思いがけない「表情」や「効果」を敢えて楽しんだようである。紙へのにじみではなく墨そのものに奥行きを見せたのだ。解説者は表紙写真の≪雲龍図屏風≫をあげて、国宝の≪蓮池水禽図≫の上を行くとまで述べていなさる。それまでの水墨画の歴史などとどう違うのか、宗達自身の完成された境地、又三島由紀夫の文なども引用しながら実に素人にも分りやすく解説。解説は近代美術史の専門家 古田亮氏。
“意”の宗達、“知”の光琳、“情”の抱一・・・何と分りやすい・・そして何と的確。  
古田亮氏の著書も参考までに。

新書518俵屋宗達 (平凡社新書)

新書518俵屋宗達 (平凡社新書)




又、「光琳の金」「抱一の銀」と題してこの二人の解説を担当されたのは日本近世美術を専門とする仲町啓子氏と マシュー・マツケルウェイ氏。
この二人の方の文も実に興味深く分りやすかった。
宗達の金が平面的でありながら奥行きを感じさせるものであるのに対し、光琳は立てて鑑賞する三次元性を錯覚させないであくまでも平面としての緊迫感、ハリを出そうとしていると解説。人工的な金の使い方を屏風に持ち込んだ初めての人が光琳である、と。又酒井抱一は幽玄な雰囲気を銀で更に押し出しいて、夕立に打たれる夏草や、風に吹かれる秋草をどちらも銀という色で薄暗く、ひんやりと肌寒い様子に仕上げている・・と。そう・・・抱一の世界は金では表現できない。銀でなければ、と。

すぐわかる琳派の美術

すぐわかる琳派の美術

もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたい尾形光琳―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

酒井抱一 (別冊太陽 日本のこころ)

酒井抱一 (別冊太陽 日本のこころ)


今までもう一つごっちゃになり、分り辛かった物がまるで糸が微かにほどけるように分って行ったのが嬉しい。

又、萬美術屋(←このいい方・・何と洒脱〜♪笑っちゃったよ。)、安村敏信氏の光琳は読んでいて物凄く興味深くて楽しかった。

光琳は頗る裕福な呉服商雁金屋(教室の生徒さんなら此のあたりまでは押さえているはず)の家に生まれている。家業を継ぐ必要もなく、趣味に明け暮れていたようで女性関係も派手で正妻を含め六人女性がいたらしい。
ところが30歳の時父が没し、やがて全盛を極めた身代も傾きだしていく。36歳で莫大な貸付金は回収不能になり弟、乾山からも借金をしていく。父から譲り受けた光悦の蒔絵、信楽の花器、宗達の屏風次々と手放していく。やがて生活が立ち行かなくなり絵師として自ら稼いでいく決心をしていくのである。それがなんと40歳の時。特に流派などない彼は工芸品の手法を屏風に加えたり、伊勢物語の世界を入れたりと自らの美意識を作品に反映していったようである。宗達の「たらし込み」の技法とは全く違う作品などに真骨頂を示したとか。

そうそう・・・面白い話を読んだ。
紅白梅図屏風≫で紅梅と白梅の間の暗い水流部分・・・の話。

銀箔を一旦置いて墨を其の上に引き、温水でそれを除去し、更に箔足(箔の重なる部分)風のものを作り、防染糊で水流を描き。まるで銀焼けしたような水流を表現したとのこと。今までは図鑑などで見ていて単に時代と共に銀が酸化して黒っぽくなっていると思っていただけだったのに、そんなややこしいことをして工芸と絵画を融合させていたのだと初めてちょっぴり理解。こんな解説、今までなかった。それも嬉しい。いやいやきっと専門書などでは有ったに違いない。私が読まなかっただけであろう。専門書は読む前からどうも「完読」できないぞと自分が自分に釘を刺すところがあり、出した手を引くところがあるのだ。

美術館商売―美術なんて…と思う前に (智慧の海叢書)

美術館商売―美術なんて…と思う前に (智慧の海叢書)


私的には三冊目の本を注文しようと思っている。
偉ぶらず難しすぎず、きっと素人に分りやすく書いていて下さると思うので。

どの研究者の話も多分その著書を読むと理解不能な領域だと思うのだが、素人にもわかりやすく噛んで含めて解説して頂いている。

こういう解説は有るようで案外ないのだ。今回はこの雑誌、事務所に置いておくので是非生徒さんに一読を勧めたい。


そうそう・・・もう一つ・・・
(ドンドン長くなる。すんません。いやいや心おきなく書きたい気持ちが、申し訳ない気持ちを遙かに上回る。キスゲ姐さんの舌打ちが聞こえてくる。ここは聞こえない振り〜。そういうのはとても上手な私さ。知らんふり、知らんふり〜♪)

この五月号の最初のページが「長野」(姥捨)深沢七郎の「楢山節考」の解説。
齋藤愼爾(さいとうしんじ)氏の文であった。
文もいいし、絵もいい。さらりと読むだけなのに、・・・・ああ・・だめだ・・・・涙で胸が詰まる。
日本にはこういう時代があったのだ。70歳の誕生日前に姥捨て山に捨てられる年寄り。
それでも其の時代の方が今よりも親も子も人間的で有ったのではなかろうか・・
確か、映画で阪本スミ子さんか誰かがこのおりんの役に没頭して歯をみんな抜いて役にのめり込んだのではなかったろうか。
それはそれでたった一本の歯でも右往左往している私には恐ろしい脅威なのだが。
感動とはそれほどの力があるのよね、魂を揺り動かすのよね・・・・・解説を読んでいるだけで辛くなる。

       置き去りにされた山の中で、静かに正座して念仏を唱えるおりんに雪が降り続ける・・・

こんな書物をサラリと読める人が本当にいるのだろうか。



更に後半には中沢新一氏に関する4ページ分の記載。
その中で氏の「もう一度、人間の心を泥からこね直す」という一文があった。
妙に心に響いた。この言葉を私は忘れられないだろう。

ただ良いと言う記事を順次載せているのではない。
全編、全ページにまで揺るがない意図をそこはかとなく感じるのは私だけか。
でも決して言い過ぎてはいない。
何かを感じ、何処で落とし所を見つけるかはあくまで読者次第なのだ。

そうそう・・・takikioさんの好きな高橋源一郎氏のコラムも毎回あるよん〜♪


もう一枚も削除できる今月の写真がないので今回で4月分のブログはおしまい〜
2回で満杯になった4月分だが、不要な写真を削除しながら何とか5回まで持ちこえられた。
めでたし・・・めでたし・・・☆☆☆