職場の二階、談話スペース・・・
こういう絵がかかっている。
真正面から見るとこんな絵・・・
能の「羽衣」である。
「羽衣」は皆さんもよくご存じかと思う。
富士の高嶺を三保が浦・・・
から始まる。三保が浦で松に衣がかかっているのを漁師白竜がみつける。
これは家の宝、国の宝・・・素晴らしい羽衣に目を奪われ家に持ち帰ろうとする。
その時、天女が言う・・
のう・・
それは天人の羽衣とてたやすく人間に与うるべきものにあらず
もとの如くに置きたまへ
それならなおさら返すことはできないという白竜
悲しや衣なくては飛行の道も絶え羽なき鳥の如くにて
登らむとすれば翅なし、地に又のぞめば下界なり
力及ばずせん方も、涙の露の玉かづら、かざしの花もしをしをと
五衰の姿目の前に、ふりさけ見れば霞立つ
天路の雁もなつかしや
とお・よ・よ・・・と泣き崩れる。
その姿のあまりにも悲しく、嘆く姿の哀れさに白竜は衣を返してあげることにする。
ただ最後に一曲歌い踊って見せてくれと所望する。
心有りける海人よ
さらば再び天上に帰る嬉しさ有明の
月の宮居の舞ひの曲 ここにて奏しまゐらせん
といって晴々と天に帰って行く・・・というストーリー。
これは琵琶曲の飯田胡春氏の作。
この額は今から10年ほど前、気に入って買ったもの。
こんな仕事につくかどうかは別にして、当時は「衣」というのは何処かそういう夢があるものだと思っていた。
画廊で見た瞬間、欲しいと思ったもの。
着付け教室を開くと決めた時、何処かにこの額を飾れるような空間を設けたいと思った。納戸の中に眠っていたこの額が日の目を見たのが今から五年前。
衣を纏うや天女は生き生きと生気を取り戻し、はつらつと美しい舞やうっとりする曲を奏で鳥のように軽やかに天に戻って行く・・・まるで着物と一緒ではないか・・・と。
漁師はそれを天女に返さずお金に換えて一生贅沢に暮らすという選択肢もあったのに、泣き崩れる天女の打ちひしがれる様を見て返してしまう・・
その一枚の着物の思い出がその人の顔色を取り戻させ、別人にしてしまう・・・
着物にもそういう力があるのではないか・・・
そういう思いで談話スペースにその額は静かにでも、でんと収まっているのである。
話ちょいと脇道いくが・・・
この「羽衣」のおよよと打ちひしがれる天女の様子・・・
琵琶の弾き語りで何度やっても上手くいかぬ。
天を仰いで慟哭し、地に伏して哀吟する。何処までも白竜の心をつかんで離さぬように歌わねばならぬ・・・
しかも何処までも品格を持って格調高く・・・と。
「無理、無理・・」と思う。私なら追っかけて行って「返してんか!!私のやで!!」と力で取り返すところ。。。
結局先生からは
「あんたにはこの曲、無理やな!!川中島に行こう!!」と。
今でも習ったのに合格するまでにいかなんだ思い出深い曲でもある。
この額をみると嬉しい半面、毎回チクっと胸が痛むのも事実。
霞に匂う花の雨 雪をめぐらす雲の袖
左右さ左右颯爽(さっさ)とたなびきたなびく三保の浦
浮島が原に立つ雲の あしたか山や富士の峯
いつしか霞へだつれば 波の鼓に松の琴
調べもともに澄み渡る
(飯田胡春氏作「羽衣」より)