昨日夜、イベントをした。
「法衣の装束作法」とでもいおうか?
非公開なので内容は詳しくは載せられない。
と、いうより載せてもだ〜れも興味ないと。
でも「法衣」というのは正倉院文様に大きくかかわってくる。
仏教が日本に入ってくるとき、仏教周りの裂地として一緒に入ってきたもの。
だから着物や帯の文様として脈々と君臨しているいわば文様の大御所であると思っている。
絶対避けて通れぬ場所。
ただ格式や宗派など立ちはだかる問題が多く今まで踏み込めぬ場所でもあった。
今回「非公開」ということで受けてくださる方がいて実現の運びとなる。
内容はここでは触れぬ。
難しい内容は眉間に皺を作りながらの勉強となる。
(笑いの漏れる時もあり・・・ひとえに講師の人柄かと)
当日みなさんのいでたちをご紹介。
なにせ平日の夜である。
皆仕事を終え和装組曲にはしり着物に着替え、難しい講義に挑むのである。
着替え時間は五分、十分しかない。
絶対仕事がその時間に終わらぬ方は代休を取り休日出勤をしての参加。
ちょっとでも早く家に帰りしたいことが、否、せねばならぬことが山積みのはず。
どれほどやりくりしながらの参加かと思うと胸がつまる。
頭が下がる方々でもある。
皆難しい話に必死についていこうと頑張っている。
二十代から六十代の十人である。
いくら好きなこととはいえ、楽に、のほほんと流れる時代である。
いやこの寒い時期に一刻も早く帰りたいはず。
傍で見ていた私は感動・・・素晴らしい・・こんな方々もいるのね・・と。
一つだけ・・七条袈裟を紹介。
僧侶の服装としては最も位の高い格式のあるもの。(宗派にもよる)
今回見せていただいたのが鳳凰の柄。色や柄など制約が多く位によって使える色と使えない色、糸の種類など難しい。履き物は浅沓。
持ち物として檜扇や中啓も見せてもらう。
これは実物を見ないとわからない。
この方形の裂地を身体にうまく巻きつけて、あのお葬式の時の導師のいでたちとなる。
色裳附(いろもつけ)のところで「栗色」の話となる。
「栗色」「落栗色」「栗皮茶色」「渋皮栗色」などややこしい色目となる。
昔の方々はシアン何パーセント、ライトシアン何パーセントなどとは言えないので
栗の甘皮の色、渋の色、実の色、落ちて黒ずんだ色・・というように表現し区別した。
日本ならではの色の表現に何とも言えぬ情緒を感ずるのは私だけではないはず。
見本などを見せてもらいながら段々静かになっていく。
あっという間に一時間半過ぎてしまった。
どんなことも勉強しだすと奥が深く道のりは遠い。
だから・・・面白い・・ととるか・・つらいととるかは人それぞれ。
私は本当に素晴らしい人たちに恵まれ本当に感無量。
ありがとう、一緒にがんばろうな・・・という気持ちで帰りゆく皆さんを見送った。
ところでその時の玄関の花・・
1人の方・・何気に聞く。
「この花は?梅?桃?」
蕾がちょっぴり膨らんでいる・・
「ボケの花よ〜♪」
と答える私に、その方、間髪いれずに
「えっ??!自虐ネタ?」
一瞬凍る私に、
「帰ります!!」
とあせって帰って行った。
失礼しちゃう〜(笑)
折角なので・・最後に
「惚色」
「惚れる色」と書いて「惚色」(ぼけいろ)と読む。「ほれいろ」ではない。
そんな色があったら毎日でも着る人、続出かも。
「惚色」というのはこれ・・と決まった色ではなく、一般的にくすんではっきりしない色を言う。
色味としてはごく薄くくすんだ赤味の混ざった灰色系が主。「休み惚け」「寝惚ける」のマイナスイメージを与えるが、色調を除除にぼかしていくと穏やかな情緒が生まれてくる。
東海道五十三次の庄野の、籠で雨の降る中を先を急ぐ絵はバックの竹林を三段階の惚色で表現している。いつかご覧下され。
風は時々地上にも吹き降りてきて、惚けた芒の穂をなびかせ、
白い茎を鳴らした。
早々にボケの花は桃の花にしなければ・・・
あまりに身につまされていかんわぁ〜♪