昨日は綺麗な色の話。
で・・・今日は綺麗でない色の話。
沢山の綺麗で魅力的な色の名前の中で反対に汚い色もある。
極めつけが
「糞色」とかいて「ばばいろ」と読む。
失礼の極みというもの。
お婆としては「むっ!!」となる。
命名した人のセンスを疑う。
「鼠色」という色もあるが、「溝鼠色」という更に出所地まで付けた懇切丁寧な名前まである。
「鼠色」はまだいい。利休鼠とかいって茶人の好む色としても違うステージが用意されているので。
「糞色」・・・何故こんな名前をつけたか。
今日はそんな話。
広重の絵に(←歌川) 江戸百景を書いたものがあるのだがその絵に馬の糞をわざわざ書いている。一つではない・・・・転々と・・・・いっぱーい。
何処までも写実的に書きたかったのか、臨場感を持たせたかったのか。
ずっと疑問であったのだが、今年昔の子供の祝着の展示を見に行ったときに驚いた。
(興味のある方は和装組曲のHP今年のイベント履歴「男の子の着物」をご覧ください。)
なんと紋付にヤギ、そしてその足元に大きな糞。紋付に書くぅ〜?
で・・考えた。ここからは自分の感想&推測。
花の生け方だけでなく話の構成もかなり無手勝流。
美しい草花を描いてもバックにうごめく虫の存在まで彷彿とさせる虫喰いの葉を描くのと同じ思想ではないかと。草をはむヤギの根元に大きな糞、可愛い犬の走る足元に糞、・・自然という物、動物の営みという物に実に忠実に真摯に向き合っているのではないかと。綺麗に目に映るものだけでなく人が案外隠し、見向かないふりをする物にきちんと向き合うことが自然に身についていたのではないかと。
ひょっとしてものすごいことかも、これってと。
子供が五歳くらいまで生存することすら中々難しい昔の時代に親は万感の思いを持って晴れ着を作った。雄々しくとか、出世してくれとか、・・あれことれ望んではいなかったのだ。ただひたすら健康に育ってほしいと。
生きていく根幹の思想が多分、こういう自然な排泄物から目をそむけさせなかったのかもしれない。
「糞色」という色名に何だか悪くない気持ちにさえなった私。
ただ・・・「ばばいろ」という読み方は嫌だなあ〜。
しいていえば・・「いのちいろ」とでも。