和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

紋の数と位置

紋には
「日向紋」「中陰紋」「陰紋」「縫い紋」「洒落紋」とある。
中でも「染め抜き日向紋」と言う紋が一番格式として高い。
紋の形を面で染め抜いて表したもので留袖、黒喪服などの改まった装いに使われる。
それ以外の紋は追々話すとして、今日は「日向紋」について・・・




    正装の紋「染め抜き日向紋」


正装の着物、留袖、黒喪服、色無地、男性の黒紋付などにつける五つ紋・・・
一番格式が高い。五つの紋の場所であるが・・・

後ろ背中心、後ろ両袖、前両胸の五か所。
特に前の両胸は「抱き紋」と呼ぶ。

正装の次の準礼装の着物、女性の色留袖、色無地、男性の無地お召、などにつける三つ紋・・・

後ろ背中心、後ろ両袖の三か所となる。

準礼装から略礼装の着物、女性の色無地、訪問着、江戸小紋、男性の無地の紬やお召につける一つ紋・・・

後ろ背中心となる。

位置や数は男女とも同じであるが大きさが違う。
男性は直径3.8センチ、女性は2.0センチ(書物によっては1.8センチ)と決まっている。

又、たとえば女性は紋が付いていない色無地に黒喪帯を締めても一つ紋の羽織を着る事で格を出すことはできるが、基本正装には羽織は着用しない。それに比べて男性は紋付羽織袴が正装となり、羽織なしの正装はありえない。
実にこのあたりは面白いと思う。そのくせ・・・茶室には羽織は男女とも厳禁。
道行は相手先の玄関や、ホテルならロビーで脱いでクロークに預けたりするが羽織は脱ぐ必要は全くないのに面白い習慣だと思う。

男性の正装や準礼装には紋付羽織袴が基本。
その中でも最も正式なのは黒い羽二重の無地に染め抜き五つ日向紋の着物と羽織。袴は仙台平。
結婚式、叙勲、成人式、大学の卒業式、葬儀、告別式まで慶弔両様とされ、羽織紐、半襟、は白が基本。
黒羽二重以外の、紺、茶、グレー、といった色無地の羽二重の着物と羽織、仙台平の袴という装いもなくはないらしいが、五つ紋は必須で女性の色留袖あたりに匹敵するのではないか・・・というのが定説。勿論一つ紋や、三つ紋は準礼装となる。

男性の着物のマナーというのが女性の時ほど細かくは知らないのだが以前こういうことがあった。
・・・・・教室で皆さんが黒留袖を練習した時の写真を見ながら読んでください・・・

由緒あるおうちでの事だが、全てをしきっていたおばあさまが少し認知症になられて着物の事がわかる方がいなくなった。桐のタンスが何棹もあるのにどういう管理をされていたのか当人にしかわからないというおうちでのこと。

お孫さんが結婚されることになり県外で由緒正しい結婚式を執り行うことになったのだが、何をどう合わせてどの着物にどの帯を合わせていいのかすらわからなくなった御家族からの依頼でそのおうちに出かけた。全員が結婚式に着物で臨まれると言うことだった。

恐ろしいくらいの着物と帯。結婚される方は花嫁衣装なので準備は不要なのだが、御兄弟、姉妹、御両親、叔母様、などの着物一式を結婚式用に合わせてほしいとの依頼。

何通りも考えられるが着られる方の好みもあるので女性用は「ああだ・・こうだ・・色がいい・・柄が好き・・」と迷う時間も楽しみのうち。着物の柄や帯の柄を合わせながら、私にとってもものすごく楽しいひと時でもあった。

まだ未婚のおばさまに当たる方の色留めやお母様の黒留めなどはいかにも・・・というほどの逸品もの、しかも何種類もあるので迷う、迷う・・・久しぶりに目の保養。ところが・・・ところがだ・・・お父様の着物が分からなかった。五つ紋の染め抜き日向紋の羽二重の一揃えはあるのに仙台平の袴が見当たらない。どの桐のタンスを探せども探せどもない。


袴の一腰や二腰買えないようなおうちではない。
何か事情があるやもしれぬ。
で・・・そういうことに詳しい方で、何かと懇意にしてもらっている方に、何人かに電話で問い合わせることにした。
どなたも「仙台平でないとおかしいぞ」と。
でも1人・・・だけこう教えてくださる方がいた。
「仙台平は武家の最高礼装、京都のお公家さんあたりの流れをくむ人は仙台平を使われない方少なくないですよ。お召袴を探して御覧なさい。何処かにあるかも」
と。謎が一挙に解けていく。
つまり、どんなにTPOをかざしてみても、地域性もあればそのうちそのうちのこだわりや歴史、習慣も入ってくると言うこと。
綺麗できっぱりした線引きはいつもいつも出来ないということ。知識だけではどうにもならなかった。
私には初めての経験でした。

それで思い出したのが何年か前の親鸞聖人の「報恩講」でのこと。
報恩講では仏壇横の床の間に「南無阿弥陀仏」の「六字名号」の掛け軸を掛けるのが一般的。
それなのにあるおうちに行った時「子育て観音」の軸が・・。
怪訝そうな私の表情を見て・・・そのおうちの方曰く
「変に思うかもしれないけど・・・これには訳があるの」と話してくださった。
何代も前、子供ができずに家がすたれてしまうと言う時に、子育て観音の軸を掛けて子が授かったという。
以来、何か或る時には感謝する意味でその家ではこの軸をかける風習になったと。
そういういわれを聞くとそれはそれで何だかとっても親しみが持てるし納得できる、どこか温かみさえ感じる。

それ以降は、ちょっとどうだろう??と言うような合わせ方やコーディネートを見ても決めてかからないことにした。そのおうちにはそのおうちのそうでなければならない事情と言う物がある。習慣がある。歴史がある。それは時には他の何をおいてもそのおうちにとっては重要な事柄なのかもしれないのだ。

ただ基本としてのことだけは踏まえて置くことは必要なのだが、その上で個々のやり方を通すのか通さないのか・・それは各人が考える事。
どんなことも自分の知っていることを大上段に構えない方がいいのだ・・・、特に若輩者の私ごときが。(ブログで自分の事を言う言葉に「若」という漢字を使える・・・と喜び勇んで使ったはいいが、「弱輩者」が正しいらしい・・)

そんな話をそのおうちの方に話したら、そのおうちの方は御祖母さまの用意されていたお召袴で結婚式に臨まれた。お祖母さまがまだ御存命なのだし、結婚式の写真を見せる事を考えてそうされたようだ。
知識は所詮知識である。
生きている人たちの思いがとっても暖かい・・・・・
そして、思いがあってのセレモニーでなければならないのではないかと・・・