和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

法事の装い


人の人生には幾つかの節目がある。



節目の中でも大きな節目では儀式が行われる。
どれが大きくて、どれが小さいかは各々地方でも家でも違っているはず。

  
     出産 お宮参り 七五三 入学式 十三参り 卒業式
             成人式 結納 結婚式 葬儀 法事・・・

昔は各々の儀式と着物とは大きな関わりを持っていた。
しかし最近では節目は勿論、儀式と言うことすら余り気にしないでいる。
勿論着物の出番ももはや大きな儀式なのに結婚式でも葬式でも数少ない。

今日はその中でも法事での装いについて少し触れようと思う。

法事の前には葬儀がある。
葬儀はその方の人生の最後の締めくくりともいうべきものである。
しかしそれまでの儀礼と違うのは自分で執り行えないという点。

喪服は元々は白装束で出棺は夜行われたとか。

御所車の模様だが喪の帯となると添えられるものは桔梗と菊。

平安時代は高貴な方の葬儀、葬送は白で統一され縁者や伴人は白い麻布の衣服、葬送の両側は白い布で行列を覆った。
源氏物語には葵の上を亡くした光源氏が四十九日間服喪として灰色の着物で過ごしているのを読まれた方はご存じだと思う。
黒を着るという習慣は江戸時代後期から明治に入ってからの物。


     通夜 葬儀 初七日 四十九日 忌開け

と一連の形態は仏教を根底にした通過儀礼である。勿論各宗派によって色々細かい違いはあるだろうが。これらの中で装束も又いくらか違ったものになっている。
白装束の葬儀は現在も地方などに残っているのではなかろうか。たとえば喪主が逆縁でない場合は白装束を着るのは良く知られている。石川県でいえば喪主どころか喪主の妻も白装束を着る地方もある。まるで時代劇のかたき討ちのいでたちのようで参列した私はびっくりした記憶がある。勿論現在では喪主であっても白装束を着ない場合も数多い。

江戸末期から明治に男性の式服が黒紋付に黒袴になって以来、女性も段々黒装束と変化していく。勿論そこには外国の黒喪服の影響が大と言われている。 現在は白装束、黒装束、黒上着に白下重ねなどなど地方によって異なるのが実情かと。式服の重ね着は重ねる事の煩わしさはもとより不幸の重なることを嫌い黒上着のみの着用となって白下重ねを略し、女性の場合は白い襦袢に黒い着物、黒い帯、黒い小物類が一般的になって行ったようである。

白の比翼を喪服に重ねていたもの・・・

現在はほとんど比翼仕立ては見られない。


告別式には正式には黒喪服を着るが通夜の時は半喪といい、装い方が少し違う。
これは人がなくなって24時間は法的にも宗教的にも人の死と認めていないためのもの。人がなくなっても通夜の時、早々に喪服を着て行くのは失礼とされ半喪と言われる形のいでたちであった。しかしながら現在通夜は皆男性も女性も洋服の場合は喪服を着て行く。ただ着物では色無地に黒い帯となる。この時の長襦袢は白。着物の場合だけはまだまだ色濃く昔の習慣を踏襲しているのだ。
ただ現在通夜の時から黒喪服で全身黒・・という姿も珍しくはない。

ところで・・・何故こんな話になったかというと、昨日親戚の法事があった。
で、こんな機会でもないと不祝儀の話も中々出来ぬと思ったから。

一周忌の法事で、着物は通夜の時と同じいでたちとなる。
地味目の色の無地、一つ紋に黒い名古屋帯となる。この日の一つ紋はひっそりと陰紋。

不祝儀の時の色無地は明るいものよりくすんだ色味の物の方が色がパッと目立たない。
回りは何と言っても黒なのであまりふんわりした明るいものは避けた方が無難である。
そのおうちには桜がまだ咲いていた。

にこやかに笑っている私。しかしながらこんな風にいつもは笑わない。
いつもはものすごく恐ろしい顔をしている。
こんなに笑うと私だと分からない人もいるはず。

余談だが・・・
先日の琵琶の練習日、先生が「羅生門」で鬼が登場する場面で、
「普通の人には、ここで鬼になってもらうのだが、あなたはそのまま地でいいから・・」と先生。
「・・・・・・!!!」  まあ、本当だから何も言えない。
今回こんな写真を出したのは、鬼のような私が、ちょっとにこやかに笑う時もある・・という、教室の生徒さん向けの好感度上げ上げ作戦。(笑)

帯上げ、帯締め、草履、バック、あたりまでは黒。コート、ショール類は黒に近い色が良い。
葬式の時もそうだが黒い草履がずらりと並ぶので私はこんな風に自分の草履を留めている。
端切れなどで自分でちょっと造れば簡単。

私の草履が・・・わかんない・・なんて言わなくていいし、他の人が間違えて履いて行くこともない。
時々洗濯バサミで留めている方も見受けられるが、色無地などの端切れでつくれば分かりやすくて小奇麗でいい。着物の色と一緒なので誰が見ても一目瞭然。
この日は男性陣も自分の革靴を探すのに大変だった様子。

この日の御仏前のお供えは鉄線の柄の縮緬の風呂敷で。まだ寒さが残るので黒いショールを一枚もって。

まだまだおうちで葬儀や法事をなさる方もあるのだ。この日の参加者はおうちの方も入れて四十名弱。

今回私は一周忌なのでとっても地味な色合いのものにした。
年数のたった法事では黒い帯でなくても、般若心経とかが書かれてあるくすんだグレーの帯とか、蓮の柄ものなど・・も悪くないかも。ただ単色使いであくまでひっそり感のあるものが良いかと。亡くなった方との関係とかもあるので身近な人が余りにくだけすぎたりお洒落感のあるものはちょっと控えた方が無難。最近の事だが「平服で・・」との案内などもまれにある。なんといってもその地方やおうちで随分違うので一概な線引きは難しいかもしれない。

最後にそのおうちの六字名号「南無阿弥陀仏」のお軸がものすごく良かったのだが、それは今回触れぬ。ものすごく長くなりそうなのと、色々差しさわりもあろうから。ただそのお軸の天と地の部分の裂(きれ)が素晴らしかったので写真を撮らせていただいた。裂の金の光り方も素晴らしかったが、今日は柄について。以前のブログ「雲」のところできんとん雲みたいな漫画チックだがものすごく格が高いと書いていた柄「瑞雲」&「霊芝雲」。

中々こんな機会でないとお見せできないので・・・・
同時に決して私の絵が下手くそなせいばかりでなく、本当にこんな柄なのだと分かっても欲しかったから。(ここに至っては完全な自己弁護だね。)

とにかく一つ儀式があると着物や着物柄が関わってくるのでとてもうれしい。
一つ一つ・・・勉強だねっ。