和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

稲刈りの思い出   〜リベンジ編〜

以前小学校の時の稲刈りの思い出を書いた。

その時にいつかリベンジ編も書きたいと思っていた。
無様な失敗談だけでは余りに私が可哀想過ぎなので。(笑)
私も偶にはちゃんと仕事できた子供時代も有ったことを何処かで静にさりげなく主張しておかねば。

・・・・で・・・今日はその話。
農家の仕事、といっても中々町の方々や若い方は分らないかも…と思い、今日は絵を用意した。

「土に生きる歓び絵巻」から。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちょっと一言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
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北陸の雪が溶け出し春田の準備を村中でする所から、稲を刈り取り脱穀するまでを順番に載せていく。
素朴で穏やかなほのぼのした農村画家 藤井信之氏の絵で楽しんでちょ。主に明治、大正、昭和の初期の農村風景を丁寧に書いたことでしられ、此の方自身が北陸の篤農家でもあった。時代の流れに押流され烈しく変貌する農耕生活を後世に残すべく記録され高く評価されている方でもある。中々機会がないと目にしないものだと思う。何とはなしの雰囲気だけでも伝われば、嬉しい。

絵はさりげなくほのぼのとした書き方をされてはいるのだが、良く見ると味わい深くちょっぴり怖い発見もある。
例えば用水の両脇の草刈りをする人夫の最初の絵・・・川の両脇には柵(さく)は一切ない。
長い板が一枚か二枚川に渡してあるだけである。
冬雪が深くなりあたり一面雪に覆われると学校の行き帰りなど子供が落ちて流される・・という不運なこともよくあった。
雪で川が分らず私自身が川に落ちた経験もある。それは以前「吹雪の思いで〜♪」に既に書いた。
農作業は貧乏な村落の死活問題だったので生きて行く上で優先順位が恐ろしく過酷でもあった。

又、例えば牛を引く女の農耕風景・・・いつもなら荒起こしは男仕事。でも戦時中は村には女や年寄りしか残っていない。
女でも田の荒起こしができるように牛や馬の力を利用したのである。決して江戸時代の大昔の図ではない。
私の幼稚園や小学校の低学年に牛小屋、馬小屋を我が家だけではなくご近所さんは持っていた。戦争時の名残である。
私も学校から帰ってまず馬小屋へ寄って馬や牛に「ただいま〜♪」とちょっと話しかけてから家に入った記憶もある。
ほのぼのと見える絵からそんな背景を少しでも想像していただければと思う。 


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折に触れ小学校の時、中学校の時の話は随時挟みながらブログに書いて来ていたのだが、小学校4年の時1番上の姉が結婚し、小学校6年の時2番目の姉が結婚した、確か。・・・何と言っても50年は前の事なので1年2年の誤差は許してちょ。稲刈りの思い出の所で姉は自分の仕事の後、手を切ってしまった私の変わりに、私の割り当ての田んぼの稲まで刈ってくれたのがこの2番目の姉。刈り終えた後も自分が手伝ったとは一言も云わなかった。

 

             


昔の農家は兎に角、農繁期の人手がとても貴重。だから野良仕事で人並み以上の仕事をする女性は重宝がられた。
又嫁いだ家にはその嫁の母親とか父親とか又兄弟や嫁が手伝いに行くものであったらしい。
「結(ゆい)」という村の互助組織が例え村が離れていても婚姻関係にまで普及していた表れでもあろう。
嫁いだ年の田植え時期には母親が手伝いに行ったようである。
稲刈り時期も母は手伝いに行かないといけないので病人の世話や家の仕事、自分の家の稲刈りの算段にも苦労していたようである。
その何年か前から和栽の仕事も少しするようになっていたので母の仕事は毎日多忙を極めていたに違いない。




ところが・・・・
前夜私は母に呼ばれた。
母が言うには姉の家から来てほしいと頼まれたが、何と先方からは私を名指ししてきたとか。
「あんた、行ってくれる?」と。
私は「中学時代の思い出」で書いたように屋根裏部屋で何とか試験勉強に入れ込んでいた時なので正直田んぼの手伝いは避けたかった。自分の家なら否も応もない。何を置いても行くしかない。しかし他所の家にまで行きたくなかった。田んぼの仕事はそうでなくても大嫌いだった。何と言って夏休みが終われば試験が待っている。試験勉強も少しはしないと。


しかし・・・
しかし・・・である。

あの姉には恩義がある。何度も助けてもらっている。
その姉が私に・・と言うなら行くしかあるまい。
「分った。行く!!」と。
母はホッとした顔で附け足した。
「あんやと。でも皆の脚を引っ張らんように・・・。あんたが失敗したらあの子が恥をかくから」と。
言われなくてもよく分っている。
一番下の妹でいつも碌な事が出来ない頼りない妹だった。
嫁ぎ先で姉に恥をかかす訳にはいかない。
思いも決意も新たな健気な私であった。




 そして・・・ いよいよ・・・その日・・・運命の日〜・・・・
(私には運命の日が一杯あるのだ)・・・・・・・


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何があろうがなかろうが、朝は何時も早い。牛乳配達と新聞配達の仕事を済ませ、ご飯とみそ汁をかきこんで食べる。汗をかくことが分っている日なのでこの日の小皿には梅干しが二個用意されていた。そして田んぼ用の服に着替えた。
稲穂は、はしかくて私は肌が赤くはれ上がるので手には「こて」という紺地で赤い紐のついた防具(笑)をつけ、指先しか出てはいない。手ぬぐいと帽子もつけ顔も目しかだしていない、正に全身「はしかさ」対策。足元は動きやすいように地下足袋である。このころは今と違って日焼けなど全く気にしてもいなかった。ただこんなすっぽり覆ったいで立ち・・次の日には体中汗疹だらけになる。完全に治るころ今度は自分の家の稲刈りが待っているのだ。

自転車で姉の嫁ぎ先へ向かった。当時は中学校まで自転車で通っていたので自転車はお手の物。今のように産業道路もなにも出来ていなかった時代でもあった。又道路は舗装されていないので砂利道、時にはバランスを壊すと田の中や川の中に落ちるような畦道など通りながら一時間以上はかかった。姉の家に着いたのは七時か少し過ぎか・・・はっきりした記憶はないのだが田んぼに出るのに8時を回ってなんて悠長なことはない。

すでにご近所の主婦たちや親戚の方々何人かが玄関や庭先に華やかな帽子を冠って何時でも出発可能ないでたち。自転車を納屋に片づけて走って皆の前に行き帽子を取って挨拶した。「妹です。いつも姉が世話になっていて有難うございます。今日は皆さんの邪魔にならないように頑張りますのでよろしくお願いします。」とかなんとか・・・・兎に角、鼻っ柱の強い私が、何時になく何処までも慎重にへりくだっていた気がする。母からもくどいように言われていた。実際さすようなご近所さんの視線を感じて、物凄い緊張感もあったのは確か。
「こんな子が一人前に働けるの?」ときっと誰しも思っていたに違いない。いやいや誰も思っていなかったかもしれぬ。自分が自分の心で思っていたので人の目をひがんで勝手にそう取っていたに違いない。




皆揃って「じゃあ・・・そろそろ」と田んぼに向かって歩き始めた。
びっくり・・・田んぼの大きさが半端やない。「こんなでかい田んぼ・・・端まで行くのにどれくらいかかる?」の広さ。
自分の家の田は200、300歩・・あたりで400歩ある田はそう多くはない。その2倍はゆうにあったかも。
ちょっと武者ぶるい。「これは大変やぞ」と。「普通のペースだと一日体力持たないぞ」と。
前掛けのポケットには大小幾つもの種類の絆創膏と化膿どめの薬。そちらの用意は万端。(笑)
「さあ・・・何時でもこい・・・」の心で叫ぶ言葉も震えていたに違いない。




姉は私を手招きして自分の後に続くように、という。
「押し!!」付いていくぞ、どこまでも。鼻息だけは今も昔も一緒。何処までも自分を知らぬ女である。
1人、2人と田に入り稲を刈り出していく。最後に姉と私がおもむろに従う。
俯きながら姉は私にそっと言う。
「急ぐと駄目よ。最初は小手調べ。競争せんかてええ。ゆっくりと自分のペースをつかむつもりで。」と。
確かに。半日の勝負ではない。一日続く仕事なのだ。しかも午後の方が遙かに長い。そして疲れきっているはず。
急いで息を切らしたら1日バタバタとペースをつかめずに終わってしまう。
疲労感だけで効果のない仕事になってしまう。
しかもこんな広い田だ。向こう側に着くまで腰を伸ばす事も出来ない。
何となしに前の人についていく感じで少々ゆるーいペースで始めた。
皆、力をセーブしているのが何となく伝わってくる。




途中10分の休憩でお茶を頂く。
乾いた喉にはとても美味しくてついつい・・・・飲む私に姉が耳打ちする。
「飲みすぎたら午後身体が動かなくなる。喉を潤す程度〜」と注意される。
しかも田んぼにはトイレがない。確かに。

ゆったりと穏やかに静に仕事は進んで昼の休憩となる。
姉の家で昼食。ご近所さんは各自の家に三々五々〜。





姉が下準備した食材でパ・パ・パッと並べた。
皆で食べるとたとえ粗末な食事でも美味しいし、労働の後の食事はどんな物でもありがたい。
疲れすぎると冷たくて口当たりの良いものでも、一口も食べられなくなる。そういう仕事のやり方は既に失敗である。
姉がご飯をお代わりしようとおひつ(ご飯が入った木の入れ物)の蓋をまくろうとした時、何人かいた義理の妹さんの1人がおひつの蓋の上に自分の肘を掛けてどかそうとしない。
「あの・・」とちょっと躊躇した姉は、食べることを諦めて、「ごちそうさま〜」と手を合せて空いた食器を流しに運ぶ。
聞こえたか聞こえずか・・・知ってか知らずか・・・義妹なる方は他の方と何の屈託もないように和やかに話をしている。
私はじっとその義理の妹なる人を見た。多分私は恐ろしい形相だったに違いない。
「あ?おかわり?」とその方。初めて気がついたように私には朗らかに言う。
私は返事せず静に首を振り、姉に続いて「ごちそうさま〜」と手を合せた。

・・・・私は騙されやせん・・・








あの人は聞こえていたはずだ。
分っていたはずだ。
ねえちゃんにご飯を食べさせない気だ・・・あの人。
嫌いやなあ〜・・・・意地悪な人や。
ねえちゃん、こんなところに嫁いだんや・・・と。
しかも義理の姉妹兄弟は何人もいる。
小姑1人は鬼千匹・・・・・
姉も嫁ぐ時に覚悟してきたはず。

外でこてや脚絆、汗をかいた仕事着や前掛けなどをさっと洗い、干している姉の所にそっと寄り添い手伝った。
「・・・・・・・」
何か言おうとした私だが言うのを辞めた。
言ってどうなる。

「疲れた?」と姉は聞く。
「全然でござんすよ・・あねさん。あたいの力はこんな程度ではござんせん。」とおどけてみせる。
「はいはい・・・期待しておりますよ・・午後が本丸さ〜♪」と姉も笑って答えていた。



ちょっと休憩して午後の部。
集まった方から順次田んぼに向かう。
あの意地悪なおひつに肘かざした人が流石に私に嫌かったのか、家の前で出かけようとした私を呼びとめた。
「いもを蒸したのでいらん?食べながら行けば?」と。機嫌を取りに来たと思った。差し出す笊に芋が5〜6本。
「あんたからは何もいらんで」と言うところをちょっと考えた。ざるの中の一番大きな芋を一本「スッ」ともらった。
「ありがとう」とにっこり笑い、何の屈託もない可愛い少女を今度は私が演じる。
それを絆創膏の入っている前掛けのポケットに入れ姉の後を追った。




息を切らせながら「ねえちゃん・・・食べよ」と皆と少し遅れて歩く姉に言った。
姉はちょっと立ち止まりながら「ぷっ」と笑った。
「あんたの目、睨むと目茶怖いからねえ〜」と。
2人で芋を食べながら田舎の畦道を歩いていたのが今でも懐かしい。

そして午後の田んぼに入るのであった。

「かっ飛ばすよ」と姉。「付いておいでよ」と力を入れる。
「ん?・・・・いい!・・・私の存在は忘れて。1人でかっ飛ばして〜!!」と私は恐る恐る辞退。
「何いうてんの。死ぬ気で付いて来!!いくで!!!」と。

姉ちゃんの目は物凄く真剣であった。
サッカーボールを挟んだ二人の選手さながらのアイコンタクト。(笑)


・・・・あ〜あ、姉ちゃんに芋を食べさせたのは間違いやったかもしれん・・・・
余計な力となったに違いない。
「ねえちゃん、付いていくから、おならせんでよ〜♪」
笑わそうとおどけて言う私の言葉に姉はニコリともしなかった。
姉の気持ちは既に「真剣モード」に突入していた。

此の時の姉は18歳。私は12歳。
大人と子供の差であった。





そして午後の稲刈りとなる。

恐ろしい位のリズム、早さ、躍動感・・・・流石だった。
勿論、言うまでもなく私のこと。(笑)
ほんまほんま。付いて行った。何処までも。

最初は時々遅くなる私は後ろから来た人と場所を変わっていた。
段々私もリズムに乗り、皆と同じようなペースになる。
前の人に追い付きその方と場所を変わる。
始める時に一番最後に始めたのに向こう側に着くのは姉は一番最初だった。
次の田からは姉が1番最初、1人2人置いて私・・・・という順番となる。
気持ちの良い位に実にスムース。
「どや!!!」と誇りを胸に何処までも自然体。
変に力を入れると疲労感倍増なので何処までも平常心。
何も考えずただ身体が動くように無心で心も身体の動きに合せていたような気がする。
前の人の刈るリズムに合せながら呼吸を合せながら付いて行っていた。

姉は途中から私の事など全く眼中にない様子でただ黙々と、軽々と、そしてひたすらに稲を刈っているようだった。
姉と私の間には時々早い方が割って入ったりもした。
勿論私も最初は遅れないように・・・と思ってはいたが、途中からは田んぼには自分1人しかいないような静かな気持ちだった。
ただ稲を刈る・・・置く。そして又刈る。心の中に静かな風景が広がっていただけだった気がする。
端までいけば又最初に戻る。
最初に戻るために歩く畦道でともすると肩で息をする自分の乱れた呼吸と、少し早く打つ心臓の音と、疲れた自分の足幅を、鼻から空気を胸一杯に吸い込んでゆっくりと吐きながらそれらを微妙に調整していった。
その繰り返し・・・いつのまにか私は無心で刈っていた。

前の人を何人か抜き、その方と場所を変わる。
そして又刈り続ける。
やがて私の前には姉しかいなかった。
しかも私は既に追いつき、横一線に並んでいた。

「誰かと思ったよ!!」とびっくりした姉。刈る手を止めて私に笑いかける。
まさか自分を追い抜く者がいるとは思っていなかったに違いない。

「芋の力は絶大さ〜♪」と私。(笑)



気がつけば夕方。
端まで刈り終えて腰を伸ばす。
流石に疲れた。
なんと田の中には姉と私の2人〜。
「えっ?皆は〜?」と廻りを見ると他の方は遠い畦に腰をおろして湧水の近くで談笑している。
みんなへばっていた。(笑)冠っていた帽子を脱いで手ぬぐいで汗をぬぐいながらこちらに手を振る人もいる。
今日はもうこれで・・・おしまい〜という判断だろう。
誰とはなしに言う。
「あんたら、たいしたもんやなあ〜♪」
掛け値なしに称賛された。
心地よい・・・・〜♪
私はと言えば、身体の何処も絆創膏のないのが一番嬉しい。


一日の労働が済み、気持ちの良い風を受けながら帰り支度をする。
自転車で又1時間以上・・・砂利道を帰らねばならぬ。
身体は疲れ切っていたので来た時以上の時間がかかるだろう。
姉が自転車の私を村はずれまで送ってくれた。

「じゃあ〜」という私。
「・・・・・あのね・・・・・・」
「母ちゃんにはいらんこと言うていかんぞ」
と姉は私の目を真正面から見てこれは譲れない・・とでも言うように言う。

「・・・ん?・・・・・・」
一瞬何の事かと思う。
ああ・・・肘かけおひつさんの事か・・・・・・

「承知!!!」
と私は姉に敬礼しておどけて見せた。
すっかり忘れてもいた。

いらぬ心配はさせてはいかん。
この年の何年か前に母は事故で記憶喪失になっていた。
一部の記憶は戻ったようだが、時々話している最中に頼りなげに宙をさまよう母の眼にはまだ完全ではない兆しが見え隠れしていた。
だからこそ、いらぬ心配はできるだけさせたくはなかった。
多分姉は娘の嫁ぎ先で余計な心配をしかねない母を気遣って私を名指しで助っ人を頼んだに違いない。




母ちゃんも・・・姉ちゃんも・・・
みんな与えられた中で一生懸命明るく生きている。
今まで皆の足を引っ張って何の役にも立たなかった自分が初めて少しは役に立つようになったことも嬉しかった。


自転車の前かごには姉の嫁ぎ先のお義母さんからのお土産まであった。
やっと一人前と認められた日でもあった。

疲れた体であったから歩いた方が早いようなトロトロした速度であったのだが、左手に見える海に沈んだ夕日の後色が物凄く綺麗だったのが記憶に新しい。
日の落ちた砂利道を何だか誇らしく思って自転車を「ガッタンゴットン〜♪」と、時々「ギ〜」「ゴ〜」という雑音入りでこいでいた。
明日は一日試験勉強せねば〜♪
記憶には全く無いのだけれど、健気で愛くるしい私だからして、きっとそう思っていたに違いない。
   (誰もその時のことは知らないので何とでも書けるのも嬉しい〜・・・
     なにせ50年前の事だもん・・・当時の私を知っている人はもうほとんどいない・・そう願おう。)



         リベンジ編・・・・・おしまい。(笑)


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お盆休みでちょっと時間が出来たので書いてみた。

最後まで読んで下さり、あんやと〜♪
読んで下さった方、愚にもつかぬ話で時間を取ってしまいごめんなされ。


市販されていない、この「土に生きる歓び絵巻」は伯父が私にくれたもの。
退職後、古文書解析、墓石の拓本、発掘調査、郷土歴史研究に積極的に晩年を費やした人だった。
亡くなる一か月前まで講演や研究会に精力的に心血を注いでいた伯父でもあった。
母も、その伯父もこのお盆が新盆であった。
姉の夫もそのご兄弟姉妹の何人か・・・今は墓の下である。

姉の家の墓参りをしながら昔通った砂利道を今は車で通りながら懐かしく思い出していた。
車だとこんなに近い〜・・・・
寸暇を惜しんで働いていた昔に比べて、今の私は時間も労力も本当に有効に使っているだろうか・・・
自責の念も頭をかすめる。(ほんの一瞬だったけど・・・・・笑・・・・・)




日中は暑くても、朝晩すこーし、ほんのすこーし空気の冷たさが感じられ秋の気配がするこの頃〜。

本当の夏の疲れは秋口にでると言う。
身体は、涼しくなってからの労わりが案外大事かも〜☆

御身大切に〜♪






・・・・・・・・・・・・・初めて読んで下さる方に参考までに・・♪・・・・・・・・・
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「稲刈りの思いで」に関しては  http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20131014/1381704464

「吹雪の思い出〜♪」に関しては http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20121218/1355819540 

「中学時代〜♪」に関しては  http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20130116/1358319718

「母の記憶喪失」に関しては http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20121124/1353732038


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