久しぶり夜電話で幼馴染の友達と長々三時間も喋ったよ・・・
会えないような遠い所にいる人ではない。
会えないような寸暇を惜しむ人なのだ。
肉体的にも精神的にも、極限の中で生きている人なのだ。
昨日は「どうしてる?」と・・
家族の状況、自分の状況、仕事の状況を話しながら
「そっちは?」と聞く。
生まれた時から苦難の人生、艱難辛苦の日々を生きるその人は最近少し落ち着いたらしい。
落ち着いたといっても現実の状況が変わったわけではない。
自分の心の有様が変化して落ち着いたようだ。
取りとめない近況報告の後、ちょっと間をおいて言いにくそうに何か言い淀んでいた。
何か言いにくい話のようだ・・・話し始めるのを私は静に待っていた。
「・・・・洗礼を受けた」と。
「ん?洗礼?」
入信したようだ。
「そう〜・・・・・」
無理もない。
「笑い飛ばされるかと思った」とも。
ちょっと電話口で照れているのが伝わってくる。
いやいや・・・
「よかった、と一瞬思った。」と。正直なところ本当にそう思った。
小さな時から1人で背負うには余りに多くの荷がこれでもか、これでもかと小さな肩にかかっていたのだから。
私の知っている人の中でもダントツ1、2を争うくらいの人生苦難を生きる人であるのだが、今日はその話ではない。
いつかその方の生い立ちを書ける時があるかも…・・・いやいや、ないだろう・・・
本人が絶対「うん」とは言わないだろう。
しかし・・・なんの・・・なんの・・・まだまだ不運と不幸は続いているようだ。(笑)
どこまでも・・線路と一緒〜♪
線路は続くよ・・・〜・・・どこまでも・・・♪
野を越え山越え・・・何処までも〜・・・♪
それはさておき、今日はその日の電話での話。
ひとしきり昔話をしたり、近況の楽しい話の後で、
「自分のこれまでの人生、漢字ひと字で表すと何?」
と言う話になった。
間髪いれず、私は言う。
「『静』やな」
と言うか言わぬか、
「己を知らぬ奴!!」
と大爆笑。
その人は
「自分は洗礼受ける前は『諦』やったかも。今はそれこそ『静』かも」と。
「なんや、時代分け、有り?」と笑う。
「あなたは以前は『暴』と皆に思われていたと思う。他の字はないと思う。でもね・・・どうかなあ〜『優』かも。案外最初から人に優しかったのだわ。」
そして私は
「真面目に答えるとすれば私は『攻』かなあ〜」と。
妙に同意を得られたのは嬉しいことか、悲しいことか。
「『攻』よりも『挑』に近いのでは?」とも言われた。
「ん?挑むなんてそんないいもん、ちゃうで!!」
「静」を目指している私だが、きっと死ぬまで攻め続けて行くだろう。
自分にも、周りにも、自分の残りの人生にも・・・
それが貫けたらどんなに幸せだろう。
生きている限り中々『悟』も『静』もないだろう。
いやいや・・人生明日はどうなるか分からない。
まだまだ未知の老後が待っている。
自分の今までの人生を漢字ひと字・・・というよりも、自分の性格と言ってもいいかもしれない。
生き方と言っていいかもしれない。
どう?皆さんは自分の人生、漢字一字でどう表す?
勿論、漢字一字で表現できるものではないけどね〜♪
そこを敢えて一字で。
暇ひまに考えてみるのも案外楽しい〜☆
火事ではない。夕焼け・・・