和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

柳あれこれ

柳といえば川岸、池の周りに茂る姿を容易に想像できる。
これは我が家の五色柳だが健気に寒さの中、芽をだしている。

余りに大きくなりすぎるので去年の秋、バッサバッサと大胆に枝を切った跡。
切り口がどこか可哀想にも見えるのだがそれは今この瞬間だけ。
毎日の雨に、あれよあれよと大きくそしてたわわに伸びる。
「ああ・・もっと切っておけばよかった」と後悔するのは梅雨時。(笑)

金沢では街路樹といえば欅を思うが、大阪、京都などではずらりと柳が立ち並ぶのではないか。
柳は育てやすく繁殖が速い。。中国ではその強い生命力から吉祥とされた。

柳が日本に伝えられたのは奈良時代中期とされている。
日本に伝わっても「柳」は魔よけや邪気払いの植物とされ、戸口に挿したり、送別の時には柳の一枝を添えるという風習さえ残っている。
文様としてよく使われるものは「しだれ柳」「猫柳」「芽柳」が多く単独のほか、梅、桜、流水、燕、蹴鞠と言ったものと組み合わされる。
枝が垂れ下がり風になびく様はそれだけで爽やかな気持ちになる。特に長い柳の枝は意匠化しやすく単純だが美しい風情があるからに違いない。

「柳と燕」は初夏に着る着物や帯に多くみられる文様。
燕が日本に来るのは平均気温が10度くらいの時とかで、丁度柳が芽吹くときと言われているので、燕と柳は春を告げる合図でもある。爽やかな組み合わせでもあるので初夏の着物や帯に多く見受けられる。我が家の柳も芽吹来つつあるが、金沢でも例年より若干早い燕の到来が新聞の紙面をにぎわせている。

一方「柳と蹴鞠」は王朝人の生活から生まれたもので何処までも風雅な印象を与える。

蹴鞠は平安の御代に朝廷や公家の間で行われた遊び。足の甲で毬を蹴りあげて地面に落とさないようにする遊びで、その遊びをする場所には四隅に「柳、桜、楓、松」を配したところから「柳と蹴鞠」の文様として残っているようである。この場合の蹴鞠は球ではなくて中央が若干くびれたものを描くようである。ただ現在では「柳と毬」という言い方もする。

春風にそよぐ柳はなまめかしくもある。
昔は島原の大門に柳が植えられたとか・・
佳人の身のこなしは「柳腰」
時代劇でよく見る芸姑衆の後ろで歩くたびに揺れる帯は「柳結び」
巧みにあしらうのは「柳に風」、
こんな風なあしらいができたら・・・私の憧れの言葉。。
私の場合はまさに「断崖絶壁に寒風」ピューーーッ〜!!
     (勿論こんな言葉はない・・笑)
柳の枝で籠を編み石を入れて護岸工事に用いたのは「柳籠」
三椏(みつまた)原料の紙は「柳紙」
皮をはいだ乾燥柳を麻糸で編んで作ったものが「柳行李」(やなぎごり)
烏帽子の皺は柳行李の網目に似ているので「柳皺」(やなぎさび)
しだれ柳に似た感じの線模様の絞りを「柳絞り」


ここまで来たのでついでと言ってはなんだけど「柳襲」(やなぎがさね)のことも触れておこう。

      柳襲・・・表は「白」裏は「青」

当時の「青」は今の緑の事。

敦良(あつなが)親王の五十日(いか)の祝の時の事。
敦良親王とは後朱雀院のこと、五十日の祝とは小児誕生後五十日に行われる祝の儀のことで口に餅を含ませ幼児の健康と成長を祝ったもの。
紫式部はその時「紅梅に萌黄、柳の唐衣、裳の摺り目・・・」といういでたち。
紅梅の褂(うちき)を重ねて萌黄色の表衣、柳の襲(表が白、裏が青)の唐衣、摺り模様の裳・・と。(仙石宗久著「十二単のはなし」より)


十二単のはなし―現代の皇室の装い

十二単のはなし―現代の皇室の装い



この時、紫式部は自分の取り合わせに
「取りも代へつべくぞ若やかなる」といっている。取り合わせがあまりに派手で流行を追っていて恥ずかしい、誰かの十二単と取り変えてしまいたいほどだと。現代でもあるのでは?会場へ行って自分だけ、派手だったり、地味だったり。いい意味で目立つのならいいのだがいわゆる悪目立ち。早く家に帰りたい・・こんな服装で来るのではなかった・・・と。女性なら今も昔も変わりないこと。どこか紫式部を身近に感じてしまう。


着物の「白」の表地に、裏の八掛けを「緑」色にして、「柳襲」と称して着てみるのも一興。
まさに春のいでたち。平安の御代の合わせ方。ただそのいでたちで柳の木の下にはずっと立たぬ方がよろしかろうと・・・(笑)

ちなみに「京の木」として「高雄楓」「桂」「枝垂柳」とか。
平安の時代にも都大路には街路樹として植えられていたそうである。

       見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける   (素性法師