和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

橘文様

「橘」は「柑子(こうじ)」や「蜜柑(みかん)」の古名とされている。

      「橘」

古事記に不老不死の理想郷「常世の国」に自生する植物と記されているとか。
長寿を招き多くの子供を授かるとされている文様で単なる植物文様ではなく強い吉祥性を持つ文様である。花嫁衣装はもとより婚礼の掛け袱紗、お祝いの席の着物にはよく目にする。お正月の鏡餅の上に蜜柑を乗せるのもそのため。

文様化されたのは平安時代から。
京都御所の紫宸殿に植えられている「右近の橘」はよく知られている。
中国からもたらされた意匠や文様が多い中、純然たる日本で作られた模様。
菊、桜、紅葉、松、竹、梅、鶴、亀・・・などなど日本独自の模様ではなく中国から入ってきた模様である。日本で作られた模様は案外少なく、「橘」以外には「几帳」「冊子」「檜扇」「御所車」など。
この「橘」・・・絵画的なものや写実的なものは見たことがない。琳派の菊や松のデフォルメされた模様同様、とてもデザイン化されて蜜柑を連想させるような雰囲気はあまりない。又、橘だけというより、他の吉祥文様と合わせて振り袖や留袖に描かれていることが多い。

果実を付けた橘の木そのもので描かれたもの、または実と葉は「橘文」
橘の実の折り枝を文様化したものは「枝橘文」という。
色は必ずしも朱色とは限らぬ。白とか青とか・・時にはこの実の中に色々な模様を描くこともある。

ただしこの文様、年配の人の着物にはあまり見かけない。
長寿という意味合いはあっても子宝に恵まれると言う意味合いのせいか・・・それとも一見かわいらしい印象のせいか。

家紋にはよく使われ十大家紋の一つ。
奈良時代元明天皇がことのほか橘を好まれ庭に植えられたが、お気に入りの女官「三千代」にその美しさを讃えて橘の姓を与えたことから「橘」姓ができたと言われている・・・・此処まで書いて気がついた。これは以前にもすでに何処かで書いているはず。三千代の子、諸兄(もろえ)が橘姓をたてたのが始まり。家紋としては聖武天皇が諸兄に与えたのが始まりといわれている。橘氏の勢力が衰えたため一旦は消えたらしいが、のちに三千代が藤原不比等の妻になったため藤原氏も橘の紋を使うようになったとか。

文様も、家紋もどこか形がよくて愛らしい。


橘にまつわる逸話を一つ・・・・

垂仁天皇の御代・・
天皇は田道間守(たじまのもり)に世にも珍しい「ときじくのかぐの木の実」を探すように命ずる。
数年後、田道間守は珍しい果実を持って天皇に届ける。ところが天皇は既になくなっていたため、悲しみの田道間守は後を追って自刃する。その何年間も探した果実というのがこの「橘」という。

本来は「源・平・藤・橘」という姓は四大公家の名字。
「橘」の姓を名乗る人は大抵「橘」の紋。
武士でこの紋を使ったのが井伊家。
井伊家の祖が誕生した時に井戸のそばに橘の実が落ちていたことからとか。
日蓮宗の寺院も「井筒に橘」の紋。日蓮藤原良門氏の流れをくむところから。

そうそう・・・襲の色目もついでに触れておく。
襲の色目「橘」は表が朽ち葉色、裏が黄色・・・・蜜柑の実の色からか・・
もう一種類あり、表が白、裏が青・・・・蜜柑の花と葉からか・・

ちなみにこの「橘」紋、「茶の実」紋ととても似ている。
「茶の実」紋は橘の紋の実の上の三枚の葉っぱがない。
橘の家紋は時々見かけるが茶の実の家紋は珍しい。
参考までに・・・・