和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

極真空手〜☆

今日は新しい生徒さん、みえる。
体育会系の方で柔道にはまった方だった。
つい、私も色々の話をし楽しいひと時。
着物教室というより「私がこの運動にはまった理由!!」二人自慢大会。
で、今回はその話。


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時は45歳の春。随分ずーっとかなーり昔のこと。
一大決心をした。
「ものすごい不得意なことに挑戦しよう」と。
自分にとって不得意の極地。
未知なる領域。
文化系しか興味のなかった私。
で・・柔道、空手、剣道、居合抜き、少林寺拳法・・・なんでもいいので格闘技をやろうと。
近くにある道場に片っ端から電話。
「中高年向きの教室していません」
「怪我しますよ、お若い方ではないので」
こちらの歳がわかると体裁の良い御断りの返事。
一軒だけ、歳も言わず粘る私にサラリという。
「まあ・・見学を一度してください」
・・・見学したらビビると思っているのが電話口から感じ取れる。
それが極真空手の道場だった。
行こうじゃあないの・・・見てやろうじゃないの・・・我恐るるものなし・・と。
他の空手とどう違うかも・・どんな空手なのかも全く知らぬ。予備知識もいらぬ勢いだった。
鼻っ柱は当時も今も変わらない。

その夜、見学に行く。
「押忍!!」(おす・・という漢字はこう書くと後から聞かされる。)
という声とともに屈強な若者ばかり出入りする。
十代、二十代・・・か。三十代はいない。勿論女性もいない。
(実際は3人いた。ただこの方々とはめったに会わなかった。)
私が入り口でおたおたしていたら
「父兄の方は外でお待ちください。」と。
私のほかに七〜八人の高校生、二十代の若者二人、体験入学。
私も空手着を買い参加する。
「あのおばさん、マジかよ〜」
声が聞こえる。

正直震えながら参加。
上の奥歯と下の奥歯がカチカチと音を立てているのが自分の耳に聞こえた。
腹筋200回、背筋200回、腕立て200回、スクワット200回、・・
この段階で高校生1人洗面所で吐く、
正拳つき200回、中段蹴り100回、下段けり100回、上段けり・・
基礎練習延々と続く。

私はといえば腕立てではない腕立て・・腹筋でない腹筋・・
真似だけ、形だけ・・でも新しい空手着でお腹の皮はやぶれ、背中の皮ははがれ、
サンドバックに拳をめり込ませるに至っては防具のない関節の皮はむけ、
肉からは汁が出て、血まで出でくる始末。
「誰か、私をとめて〜」心でさけぶ。
誰も人のことなどかまう余裕はない。
必死なのは皆一緒。
その時、先生が走ってくる。
「血が出ているやんか、・・」と。
タオルを取りに走る。
・・・これで私は練習を外れれる…
「バカヤロウ、サンドバック汚れてしまったやんか」
・・・そっちか・・・甘くはない。
勿論最後まで皆と一緒にサンドバックに怒りをたたきつける。

そんなこんなで2時間半の練習は恐ろしいくらいに続きやっと終わる。
今でこそお稽古ごとの一環になっている節も若干あるかもしれないが、当時は入門希望者が多く見込みのある人を選別し他を振り落とす厳しい体験練習が目的だと後できかされた。
無様な気持ちで帰る。身体も痛い。勇んで行った分、心はさらに無残であった。

車に乗ってエンジンをかけようとしてきづく。
10本の関節と言う関節は皮がむけ、はれ上がり血が出て色が変わっている。
自分の爪には手のひらの肉と血が食い込んでいる。
サンドバックに拳を打ち込む時の力で握った自分の力で爪が食い込んだものと。
体中痛いのでどこもここも区別なく痛い。
身体は重く膝も肩も手首もはれ上がり動けない。
運転席のシートに30分動けず呆然と座っていたような・・

家に帰っても階段も上がることすらできずその夜は階段の下で寝る。
夜熱がでる。
節々は痛くはれ上がり皮の破けたところは衣服にくっつき強烈な痛み。
・・・やっぱ無理やったなあ・・・と敗北感。
人生気迫だけではどうにもならぬのだと。
心頭滅却しても痛いものは痛いのだ。


しかし・・・しかしである。

1日休むと悔しくなる。
破れた皮に薬を塗りながら揺れ動く。
1回でリタイアするのはあまりに悔しい。
やめるのはいつでもできる。
行こうと決めたのはお前だろうが・・と自分に言う。
もう一度行こう・・・否、無理無理・・・自問自答。
なんと高校生は5人残ったが20代の方は来なかった。
・・そう・・みんなひどかったんだ・・自分だけではない・・
気持ちが軽くなる。
6ヶ月後には私以外、もう一人高校生、他は誰も残ってはいなかった。
でも又新しい方々が見学に来て入れ替わる。
かくして私は週三回、四年間通い続けたのである。
勿論怪我とあざと挫折の四年間だったが。


   右足内側靭帯損傷、右手中指と薬指関節骨折、
   肋骨ひひ、右足甲骨折、頸椎損傷、・・・

数々の怪我をした四年間だった。
ほとんど休まず通った。
テーピングしたり、ギブスをしていても残っている部分を鍛えた。
何より、一週間休むと二度と行けない自分が怖かったから。
自分の弱さに向き合い乗り越えようとけなげに努力した4年間だった。

肉体の痛みは精神の痛みを超える・・といえば聞こえはいいが
身体の痛みはやっぱ、痛いのである。

筋肉を使うと筋肉痛になる。
だが次同じ運動をしても筋肉痛にはならない。
運動したことで筋肉が大きくしっかり付いたから。
なら、精神もそうではないか?
ストレスを持っていても、少しずつクリアすれば
何時か同じストレスがかかっても乗り越えられるのではないか?
そう思うとストレスもある程度人間には必要かもと思うようになっていた。

強くなろう。
何より人にではなく自分に負けぬようにしよう。
自分の弱さ、危うさ、もろさ、いいわけ、自己弁護・・・
ありとあらゆる弱さを乗り越えよう。
少なくても乗り越えようと努力しよう。
あの人やこの人に勝つためでない。
一か月前の自分、一週間前の自分、そして昨日の自分に勝つために。


単なる「お婆」が「スーパーお婆」になりたいと決心した日でもある。
まだまだ死ぬまで続く・・
だから楽しいとも言える。