和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

私事・・・きもの文化検定受験顛末

毎年きもの文化検定を受けている。

5・4・3・2級と全てすんなり受かった。
たかをくくっていたわけではないのだが、1級に案外てこずっていた。


1級を最初に受けた時、何点か足りなかった。
ほんの何点かだった。「チッ」と自分自身に舌打ちをした。
ところがその時にはまだまだ楽観していた。気持ちに余裕もあった。
わずか何点かだ、ちょっと勉強すれば来年はすぐ受かるはず・・・と。
楽勝〜のはず。今思えばどこまでもめでたい女だった。

ところが次の年の1月・・・・

凍った道で犬を連れて散歩中、突然犬がメス犬の匂いを嗅いで思わぬ方向に突然走った。
予想していないことで何と私はツルツルの路で転んでしまった。その何年か前、倒れた450ccバイクを起こそうとした拍子に腰椎の圧迫骨折を2個、骨折していたので(これは既にブログで書いているはず。)無意識のうちに腰をかばって手をついていた。
右手はこの私の全体重を支えきれるはずもなく、哀れ我が腕・・・ぽきりと折れ反対方向に向いてしまった。

それから3カ月あまりギプス生活となる。なんと右手のギプスは仕事上物凄く痛かった。
しかも手は骨をくっつけるため高々と天井方向に向けられて固められたので、わずかにギプスを免れた指先を使うことすら不可能だっただけでなく、脇の力まで使えないという状態となる。つまりペットボトルの蓋さえ自分で開けられないと言う無様な状態であった。

運悪くその年は音楽堂で450人の観客に向けてのショーを秋に計画していた。
ショーすら不可能?と皆ざわめく中で決行することを決めたのだ。
ポスターもチラシもチケットも既に印刷済みだ。おまけに後援も取り付けてある。
ネットで既に告知もしている。決行以外の選択肢はない。
気持ちは「着物検定」どころではなかった。
作らないといけない資料が山ほどあった。
しかもパソコンに向かっても左手しか使えないのだ。
降りかかる突発事項もこれでもかと降り注ぐ。
まさに断崖絶壁、背水の陣。ざわめく皆に「やるといったらやる。」と言い切る自分もまた心配で、心もとないのは言うまでもなかった。

70人近くの一般モデルの着物や帯の調整、ヘアスタイル、メイクの割り振りもやらないといけなかった。
メイキャップアーティスト、ヘアーデザイナーの決定も未定だった。
日舞の先生、琵琶の先生、チェリストの方、フラメンコダンサーの方、アコースティックギタリストの方々、
更に著作権の申請の数々、司会者の台本、パワーポイント作成に始まり映像、記録・・・
そして何よりパンフレットを印刷するまでに20〜30件のスポンサーも見つけなくては・・・
しないといけないことは正に山ほどあった。
そして何と悪い時には悪いことが重なるのだ。
それまで事務全般を任せていた私の片腕どころか、両腕両足とも頼る方が御主人の転勤で広島へ。
流石に絶望にも似た気持ちになる。

最後は一人なのだ・・いや最初から一人なのだ。誰かをあてにするな・・・ということなのだ。
それならそれで一人でやるしかないのだ。
でも「着物検定」は何点かの事だったので自分で中々諦められず、何とか夜は夜で時間を作りながら女々しくも試験問題に取り組んだのだ。
勿論左手しか使えない。ミミズの這ったような・・という例えがあるが、瀕死のミミズが七転八倒のた打ち回ったような字でノートに書きなぐった。

ところが何と、・・・・私って可哀想・・・可哀想すぎ〜・・・(笑)
その年に「着物検定」は「準1級・準2級」と新設されたのだ。これは一足飛びに難しい問題になるのは必須。
こんな程度の勉強では絶対無理・・と不安がよぎる。
丁度そのころ更に運悪く・・・琵琶の演奏会で以前から弾きたかった「本能寺」が許された。
実は私、ショーをかかえていて・・とか、着物検定とか・・・そんなこと琵琶の先生には関係ないことだ。
「やれ」といわれればやるしかないのだ。弾きなれたこの曲で・・・などと口が裂けても言えない。師の言葉は絶対なのだ。
右手はギプスである。練習もできない。ギプスの右手に撥(ばち)をガムテープでくくり練習した。
こんなどれもこれも、中途半端なことで大丈夫か・・・不安で夜は眠れない日々。
自分でこの時秘かにこう呼んでいた。
「不運と不幸のミルフィーユ」の日々と。(世にも不味そうなミルフィーユ!!)

何かを諦めるとしたら・・着物検定、そして琵琶だろう。
出来ない・・どれも諦められない。どれも今まで必死にやってきたもの。
着物検定は1度辞めたらもう受けられない・・と思う。
行くしかない。この勢いでやるしかない。出来ないと思った時、道はなくなるのだ。

家族だけでなく回りからも生徒さんからもブーイングの嵐。
「二兎追う物は一兎も得られず」
二兎どころか三兎である。
仕事は別格。これは頑張る。死ぬ気でやる覚悟だ。
これがうまくいかなければ「和装組曲」の明日はない。
ショーが上手くいかなければ和装組曲は閉める、と皆に宣言した。
気持ちは行くところまで行けーっ。
着物検定はギリギリでいいのだ、ギリギリでも合格は合格だ。ギリギリ合格を目指していた。
自分に言い聞かす。そんな状態でも不合格は全く念頭になかった。どこまでもめでてぇ〜私だった。

なんと・・・その年の着物検定は何点どころか凄まじく足りなかった。自己嫌悪。しかし、当然と言えば当然。
不合格の通知を受け取った日 眠れなかった。夜中2時、起きて勉強を始めた。「今の私にのんびり寝ている時間はない」。
とにかくやるしかない。難しくなったらなったで追うしかないのだ。こんな仕事をしていて着物に関わる検定を見て見ぬふりは出来ないのだ。
落ちることを恐れて試験を受けないなど、それこそ卑怯というもの。その一念だった。

映画の一場面がよみがえる。
たしか・・・おじいちゃんが孫に言う。「挑戦して負けることが弱虫なのではない。負けることを恐れて挑戦することすらできない者が弱虫なのだ」
・・・ちょっとそんな感じの場面だ。

自分自身を叱咤する自分の気持ちに熱が出そうだった。

着物検定の一級は範囲もテキストもないのだ。
これはと思う着物関係の本をできるだけ読んだ。
2級までのテキスト5冊も念のため5〜6回は読み返した。

一年頑張ったのに・・・ギリギリ通るはずだった。でも結果はまたも足りなかった。
しかし今度は準一級にはなんとか合格した。それが去年の事。階段は一歩上がったぞ。
そのことは去年の暮れにこのブログでも書いている。
我が教室、4人が2級を受け全て受かった年だった。まあ、そのうち皆に追いつかれるだろう・・・とも思った。
その時はその時のこと。受かった方が凄いのだ。
日本全国の合格者の最高得点が確か80点位だったろうか。
合格率は1級受験者の3パーセントくらいか。

やり方を変えるしかない・・
一級受かるために自分には決定的な何かが足りないのだ。
一体何が足りない・・
知識か、やり方か・・
案外毎日のビールが悪いのかも・・・(笑)
最後には検定の問題を作る方の出題方法が悪いのでは?・・・とまで考えた。
人のせいにできたらどれほど気が楽か。
とそう思った時に気が付いた。
ギリギリでいい、という気持ちが良くないのだ。
それならギリギリの勉強しか知らず知らずしないはず。

今年は自分が最高得点を取る気構えで臨まないといけないのではないか、と。
又、知識でしか理解していないのでいつも丸暗記だ。体感がないので分かっている問題でも、出題の仕方を変えられたら出来ない問題が多いのだ。
どんな切り口から出されてもできるようにする時は理解しているような気持〜・・ではだめだ。本当に理解しないと。
身体に覚えさせないと、と。

今年はやり方をパラリと変えた。ある意味冒険だった。
とにかく何でも実地に見に行くことだと。とにかく色々やってみよう。それでだめなら又考えれば良いことだ。

縮緬工場しかり、精錬工場しかり、江戸小紋工場しかり、絞り染めの工程しかり、型絵染しかり、版画しかり、湯のししかり・・・・・
京都でお坊さんの金襴の展示があると聞けば日帰りで行き・・・
美術館で能装束が展示されると聞けば時間をやり繰りして行く・・・
着物関係の神社があると聞けば行ってみる・・・
ちょっとでも着物の知識に役に立つことはどんなことでも見逃さないでおこう、と。
すでに損得勘定は度外視していた。何かに挑戦する時は小さなことに拘わってはいけないのだ。

そうこうしてハード月間、ハードウィークを過ごすうちに、今年1月か2月の神社での膝の怪我の治りが悪く悪化。
4月からは痛みで夜眠られない日の方が多く成り、5月は常に熱を持ち腫れあがる。6月は正座できなくなり、7月では靴を履けなくなり、8月にはついに一歩も歩けなくなる。
「半月板の手術しかないね」医者は冷たく言い放つ。
冷たいのではなく、当たり前である。一人ひとりの患者に感情移入しているはずもない。

9月松葉杖生活になり本当に情けない気持ちになったが、不思議なことに気持ちはいつも着物検定を向いていた。
今年こそは・・最高得点で1級をクリアーするぞ・・と。もう気持ちはそれしかなかった。
ここで怪我を理由に諦めたら一生悔いが残る。今受験しなければ2度と受験できないだろうとも思っていた。
自分の力以上の挑戦をしようとしているのだ。勢いを自ら断ったら2度と出来ないのは分かっていた。
なにせ1級合格は北陸にはまだ誰もいない・・・はず。
あの京都でさえ、40人近くの受験者のうち受かるのは1人なのだ。
それほど難しいことに取り組んでいるのだ。甘いことを言い出すときりがない。

「頑張れ!!」毎日ありとあらゆる着物の本を読みながら自分を励ます。
「弱い心に負けるな!!」忘れて行く記憶と闘いながら自分に言い聞かす。
「年に逃げこむな!!」辞める言い訳は山ほどあるのだ。
「このまま歩けなくなるかも・・」という不安がいつも頭をよぎる。
もし手術するとしてもても「着物検定」を受けてからにしよう。
痛み止めは長期間服用すると記憶に支障をきたすかも、と心配になり、早々で服用をやめた。
なにせそれでなくても年々記憶力は低下の一方なのだ。
早朝は琵琶、昼は仕事、夜は仕事の後に足のリハビリと試験勉強に費やした。
負けないぞ・・・こんなことで。
こんなことくらいで弱音を吐くような女やないで〜・・と自分を奮い立たせる。
こんなことくらいで負けるようなやわな人生歩いてないだろうが〜・・数々の修羅場を思い出しながら自分で自分を叱咤そして叱咤また叱咤。

「無理しないで」・・と言われる度に自分に言い聞かす。
「無理をしないで出来ることなどない。」と。
どんなことも頑張らないで出来るわけがないのだ。
ちょちょっと勉強してパッと合格できるほどの力は今の自分にはないこともよく知っている。
甘いキラキラした言葉を真に受けてはいけないのだ。

本当は物凄くか弱く、小心者で、心配性でしかも臆病なのだ。
弱気になったら、土石流の如く弱気が押し寄せる。弱気の虫を気迫で押しのけるしかない。

当日、曲げられない状態の足を引きずり傷みに打ち勝ちながら試験会場に入る。
すでに左足は右足の1.7倍の太さとなっていた。
トイレへ行っても曲げられない。しかもトイレは2つしかないので受験者であふれかえる。
座るトイレでないと・・・なんて言ってられない。空いたトイレに入るしかない。
右手は右の壁・・左手は前の壁・・押さえて掴んで・・・
「今の私は女マトリックス〜」なんて思ってクスリと笑ってみる。格好いいじゃん!!

北陸3県で6名の1級受験者。
合格するのは私さあ〜、私だけさあ〜、しかも最高得点で・・・・と心に言い聞かす。
自分と同じ条件で誰でもやれるものならやってみな〜・・・と。
この何年間で私がやってきたこと、出来るもんならやりなはれ〜・・と。
負けやせんがな。
自分で自分を励ます。
後は天に任せるしかない。



前回のブログで書いた養成コース卒業試験の後、着物検定の話になる。
「今年の感触は?」と生徒さんに聞かれる。
「多分、受かっている・・はず」と答えた。
私の心の中では受かるか、受からないか・・・が問題なのではなかった。
最高得点を取れるか、取れないか・・・今年はそこだった。
夕方、ポストの中の通知を発見。
ドキドキはしたが、落ち着いていた。

開けると「一級合格」の文字。77点と書かれている。
80点は取れたはずなのに。何処かでミスった?多分文章題。

最高得点は・・とみると
なんと79点。負けた。
番町皿屋敷ではないが、1点・・・2点・・・・足りない〜。(笑)
ここで最高得点だと良かったのだが、事実は小説のようには行かぬ。

まあ、私の頑張りは最高得点取るほどではなかったということだな、と自分に言い聞かす。
まだまだ「ひよっこ!!可愛い私〜♪、キュートなお婆さ!!」
頑張っている人はまだまだ頑張っていると言うことだ。それはそれで嬉しいことさ。
どんな時でもポジティブに、どこまでも自分流に受け止められる私って、な〜んて素敵〜☆

本当に長い1年だった。辛くて苦しいボロボロのここ何年かだった。でも物凄く頑張った何年かでもあった。ある意味充実した楽しい年月でもあった。
こんな1年、1年を送る私に友人が言う。
「いつか・・・ぜんまい仕掛けのおもちゃがある日突然パタッ!!と止まるように人生を終えるよ、きっと。」
と。

そうなれば、そうなったで、それこそ本望さ〜♪
応援してくれたみんな、ありがと〜♪♪♪

      
       やっときもの文化検定一級受かったよ〜♪