和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

犬文様・猫文様

猫や犬の文様を着物や帯に書くとは考えられない・・と思われるかもしれないが案外多い。
特に犬は桃山、江戸時代画題として取り上げられている。

俵屋宗達の子犬図、丸山応挙の作品などを模写した着物や帯が流行ったり、洋犬「狆」(ちん)、犬のはり子、竹に犬など猫に比べて犬が圧倒的に多かったようだ。実際、子供の黒紋付に犬が可愛く描かれていたのを見たことが何度かある。子猫もなくはない。毛糸玉にじゃれたり、鈴にじゃれたりしている可愛い子猫、無邪気に眠っているあどけない猫・・・もいる。書物以外で見たことはそんなに多くはないのだが、可愛いし無邪気な子供の着物柄としていかにも有りそうであるのは想像に難くない。
写真は「花岡コレクション」の一つ。
所有者の方の了解を頂いて写真を撮らせていただいたもの。

日本では猫の着物柄が意外と少ないが、中国では「猫」の発音が「おいぼれ」を意味する「耄」(ぼう)と同じ発音から長寿の吉祥文であるという。蝶や牡丹と一緒に組み合わされることが多いとか。
江戸時代の浮世絵版画に見られる猫が和服をまとって行楽に興じる絵などから羽織裏などに模写されたり、昭和にはアールヌーボー風に描かれるようになったのも有る。銘仙に赤い蝶ネクタイのようなリボンを付けた可愛いスマートなクロネコを見たこともある。
最近のものでは半幅帯で猫の織り帯もみた。最近の物は本当になんでもあるのだ。

           今日はこれで・・・おしまい。


あまりに短くてちょっと自分が拍子抜け〜。

以前家で飼っていた野生の大型の黒い犬、武蔵の話は以前すでにした。
で・・・今日は私が二十代の時に体験した「黒猫」の話。
日本では化け猫の話などあるように猫を霊的な存在として見る向きがある。
が、今日はそういう話ではない。
    (勿論、宅急便の話でもない・・・言われる前に言っておかねば。)



長くなるかもしれぬので急ぐ方・・・ここからはスルーしてくだされ。

         

         ・・・・・・・・・黒  猫・・・・〜・・・・♪・・・・・



私が二十代の時の話。
嫁いだ家が兼業農家だったので農作業の小屋として納屋なるものがあった。一階は土間で各種農機具が置かれていて、二階はいわゆる「あま」といって沢山の量の藁(わら)が保存されていた。畑作業などに必要となることもあれば、筵を編んだり縄をぬったり、雪囲い、お正月飾りに使用したりと用途はすこぶる多かった。
農家の納屋はジャガイモ、玉ねぎ、サツマイモなどの保存場所も兼ねるので案外ネズミが多い。で、ネズミよけとして猫を飼っている家が圧倒的に多かった。又、自分の家の猫でない猫が出入りしても皆とても寛大だった。なにせネズミが野放図になるのを威嚇してくれる効果があったので。我が家にはその時たまたま猫がいなかった。居た時もあるので嫌いと言うわけでもなかった。

そんなある日・・・

納屋の土間のコンクリの上に黒ずんだ血のような跡。何だろう・・若干の気味悪さもあったが、跡をたどって行くと、大きなジャガイモなどを保管していたザルの後ろにまっ黒い猫がうずくまっている。こちらを向いた顔を見てギョッとした。
なんと左目がえぐられているようにない。顔は血でべっとりと濡れているようだ。今ついた傷に違いない。身体もどうも傷だらけである。足の傷が特に深いようである。片方の足が力なくコンクリの上に投げ出されていた。身体は大きく波打ち呼吸の荒々しさが体中を激しくゆすっている。骨がどうかなっているに違いない。あちこちの毛も血で濡れて体中に張り付いているように見える。

私に向かって「フーッ!!!」と威嚇する。今にも飛びかからん勢いである。今は神経が立っているに違いない。そっとして置く以外に手はない。

そのままに放置しておいていいものだろうか、一瞬迷う私。
同時に凄い深そうな傷なので多分死ぬに違いないと思ったのも確か。
ただあんな身体であまりにも不憫。皿に水と薄めた牛乳と煮干しを混ぜたご飯を乗せザルの近くに置いておく。
欲しい時に食べるだろう。ただキズの具合では食べるのは無理かも・・・とも思う。

毎日新しい水と餌に替える。
しかし、来る日も来る日も食べてある気配がない。
ザルの後ろにはすでにいない。
あまに上がったやもしれぬ。
藁があるのと身体を休めるには保温効果もあるし何より誰も出入りしない。
既に死んだのかも…とあまを見る。

猫は死ぬ時人の見ていない所で死ぬという。
見に行かぬ方がよい。そっとしておこう。
例え生きていても多分時間の問題だろう。

でも毎日新しい水と餌を皿に入れ続けた。
食べている気配は全くなかったばかりか、生きている気配すらない。
その時の私を見たら動物保護団体の方からクレームがつくだろう。
押さえつけても獣医につれていくべきだ、と。
そういわれればそうだったやもしれぬ。

十日、二週間もしたころだろうか・・・
いくらなんでもこれだけ食べずに生きていられないだろう・・・
あの状態なら傷が化膿しているに違いない。
あの傷ではネズミも捕まえられないだろうと思った。
きっと藁の中で冷たくなっているに違いない。
猫は死に際を人に見せぬというではないか。

恐る恐る梯子に登ろうと2〜3段登って気がついた。
子猫の啼き声がする。
明らかに産まれたての声。
何匹かいる。

最初傷を負った黒い猫と明らかに生まれたての猫とが一致せず私の頭で混乱。
まだ脚が立つか立たぬかの子猫の毛の色が真っ黒なのを見て初めて納得。
あんな身体で子猫を産んだのだ。
それよりも雌だったのだ。
あの傷を負う位、雌の身体で何があったのか。
誰と戦ったのか。
ちらっと見ただけだが子猫は3匹はいた。
母なる黒猫はいなかった。
何処へ行ったのだろう。
藁の陰でお産の後、力尽きて死んでいるやもしれぬ。
それならそれで哀れすぎる。
せめてこの子猫たちを育ててやらねば。

その時梯子の足元に気配。
黒猫だ。
私が子猫に何かすると思ったようでものすごい形相で梯子下で牙をむく。
片方しかない目が血走っている。凄味のある形相である。

「何もしないからね・・・ちょっと心配だっただけやから・・ね・・・ねっ!!」
とかなんとか、通じもしない相手に焦ってしどろもどろに弁解し、すぐその場を去る。

子猫がいるならおなかもすこう〜
また食べるかどうかもわからないのに餌をやり続けた。
きっといつかは食べるだろう。
その時の私は猫はあくまでペットの感覚だった。
それからは気にはなっていたのだが、餌を取りかえる以外は行かないようにした。
子供を産んだばかりだし、傷もまだ完治していないだろう。
子供のころ、母に言われたことが頭をよぎる。
子供を産んだばかりの猫は、その子を取られるくらいなら自分で食べてしまうので産んで間もない猫や子猫に不用意に近づいてはいけない、と。

時々子猫の啼き声はしても、母猫はその存在さえ感じさせない用心深さである。
私もなるべく素知らぬふりで過ごす毎日。
家族にも何も言わぬ状態であった。
「人の手に触れたものは食べぬのかもしれぬ」
と思ったのはそのあと、更に何日もした後のこと。

きっとそうやって生きてきたに違いない。
野生の血のままたった一人で人に媚びずに自分で餌を取り、周りと戦い生きてきた猫に違いない。
なんだか胸を締め付けられるように思った。
人の施しなど最初からいらぬのだ。
あてにもせぬのだ。
真の意味で誇り高い猫なのだ。
しかしそんな猫が本当にいるとはどうしても信じられなかった。

日の経過とともに妙に彼女を身近に感じだしていた。
その生き方に切ない思いを感じたがどうか貫いてほしいという一抹の身勝手な思いもあったのではなかろうか。
・・・名前をつけた。「黒夜叉」(くろやしゃ)と。
一応雌である。こんな呼び名は本人も迷惑であろう。
私は心の中でだけ「黒夜叉」とよんだ。
決して声に出して呼ぶことはなかった。
彼女は誰の所有物でもないのだ。私と言えど勝手に名前をつけて呼ぶことはためらわれた。

真っ黒な毛なみの猫ではあったが、毛並みは美しいとはとても言えなかった。所々古い傷の跡もある。毛が生えていないので古傷に違いない。
傷は治ったとはいえ、左目が空洞で深いホコラのように穴になっている。じっと正視できない私であった。
いつも目があっても私が視線をそらせた。
かすかに脚を引きづりながら忍び足で周りに警戒しながら歩いていた。
大した猫である。私の中でいつしか最高の敬意を込めて彼女に対していた。同時に不憫でしょうがなかった。
毎日必死に決死の覚悟で張り詰めて生きているに違いないのだ。

この猫の事を決して誰にも言ってはならぬ。
人の口の端にのぼらせてはいけない。
それは彼女を冒涜するようであり、1人自分の胸にしまいこんでいた。
農繁期ならいつか誰かが悟るはず。でも誰も納屋に出入りする必要のない時だった。
また、猫の鳴き声がしてもどこかの迷い猫がうちのあまに入り込みネズミを恐怖に落としていると思うくらいのことだった。

何処の家の猫も座布団の上で丸くなり、その家人から餌をもらいぬくぬくと生きているのだ。
私に何か出来る事はないか・・・哀れさがつのる。
決して人に気を許さぬ状況下で生きて来ていたのだ。こんな猫が本当にいるのだ。
しかし、好きなようにさせてなるべく彼女の邪魔をしないこと以外に私にできる事はないと心の中で分かってもいた。

何週間か過ぎた。
納屋で私と突然遭遇しても牙をむいたりはしなくなった。
でも決して気を許していないことは私との間合いがいつも決して縮まらないことで容易に想像できた。偶然ちょっとでも距離を詰めた状況に陥った時でも、それがたとえ半歩でも必ずその分 黒夜叉は離れた。不用意に近くに寄らせようとは決してしない。
ただ黒夜叉にとって納屋の中の周りの景色の一つに私は入れてもらったようである。

その日は、天気の良い日だった。
洗濯物を棹に干していた。
鳩が1羽、棹に止まって小さく喉の奥で啼いていた。
静かでのどかな田園風景であった。

ちょっと離れて黒夜叉。異様な殺気に私の方が緊張した。
鳩を狙っている。
いくらなんでも2メートル近くもある洗濯物の棹の上の鳩である。

あんな片目で距離感もとれぬ。
あんな不自由な足で跳べやしない。
下手をすれば又怪我をするのがおちだ。

鳩が啼くことを辞め跳ぼうとしたその時と、ものすごい勢いで黒夜叉がジャンプしたのとほとんど同時だった。
いや、黒夜叉の方が行動を起こすのが若干勝っていた。
気配を感じ行動に移すことにおいて、鳩は若干遅れをとった、それが命取りになってしまった。
鳩は洗濯物の棹から2〜30センチ離れたか離れないかの空中で黒夜叉につかまってしまった。
鳩をくわえたまま黒夜叉はドン!!と地面にたたきつけられた。
かなり大きな音だった。
何せ自分以上の大きさも重さもある獲物である。
しかも羽を広げ跳ぼうと勢いのついた鳩である。

鳩は少し羽をばたつかせていたがやがて動かなくなった。
黒夜叉もしばらく動かない。
一瞬黒夜叉も死んだか・・と私が思うくらいの間があった。

その時の呆然とした私のふがいなさを責める人もいるだろう。
何故鳩を助けてやらなかったのか・・と。
何故みすみす猫のえじきにしたのか・・と。
余りに無慈悲で鳩が可愛そうではないか・・と。

そんなこと出来るわけがない。

確かに黒夜叉のその姿は美しさのかけらもない。鳩のおおらかさ、無邪気さに比べ、むごたらしく不気味で正視できないようなまがまがしいだけの存在でしかない。
でも子猫をかかえ、こんな身体でこんな姿で誰の手助けもなしに1人必死に生きているのだ。
自分で死ぬ気で鳩に向き合っていたに違いないのだ。
自分の死は子猫たちにも即、死を意味することは誰よりも彼女が知っていた。

成功の割合は少なかったに違いない。
それなのに鳩をくわえて黒夜叉は地面に鳩の体重まで加えてたたきつけられたのだ。
鳩も生死がかかっている。羽をばたつかせ逃れようとしていた。
それでも放さなかったのだ。必死だったに違いない。
餌を待っている子供たちのところに持っていかねばならぬのだ。
死に物狂いだったに違いない。
多分彼女も相当の全身打撲を受けたに違いない。
ものすごい衝撃だったはず。羽を広げれば自分より二倍も三倍も大きい、そんな大きな鳩を引きずり納屋の中に脚を引きづりながら消えて行った。

片足は引きずり、しかも片目しかない、たった一人、野生の血で仕留めた獲物だ。
私がどうできよう・・・なにもできやしない・・・・何もしてはいけない・・・人間の入り込む余地などそこには微塵もないのだ。

しかし衝撃の一瞬だった。
その時の事が30年以上たっているのにスローモーションのようによみがえる。
洗濯物の棹の支柱に一度ジャンプしはずみをつける黒夜叉、慌てて飛び立とうとする鳩、その飛び立ったばかりの鳩を空中で一撃する・・・落ちて共に地面にたたきつけられる姿・・・ゆっくりした映像が私の脳裏に刻み込まれている。
毎日の生活で野生をここまで目の当たりにしたのは何と言っても初めてかもしれぬ。
時々飼い猫が食べる気もないのに捕まえたネズミを家人に見せに来るというのは見たことはある、子供のころ。
今ではネズミを捕まえる猫すらいないだろう。それどころかネズミもほとんどいないのではないか。

それからも私は餌と牛乳や水を新しいものにして与え続けた。
食べないであろうことは分かっていた。
しかし餌のない時、せめて子猫だけでも何かちょっとでもあると助かるかもしれない。
獲物と戦い、帰ってこられぬ状況になるやもしれぬ。

ある日、牛乳、煮干し入りのご飯が綺麗に食べてあったことがあった。
信じられなかった。後にも先にも初めてである。
私に気を許してくれたのか・・・と思ってもみる。
いやいやそんなこと、絶対有るわけがない。
何処かのどら猫が食べたのやもしれぬ。きっとそうだろう。
でも・・・もしかして・・
喜び勇んで次の日に水と牛乳と餌を持っていった。

忘れもしない。
子猫もろとも黒夜叉はいなくなっていた。
今までの事がまるで嘘のように忽然とあまから消えていた。
その後二度と見る事はなかった。

 
              ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


以前老犬武蔵の事を書いたことがあるのでここでは触れぬが、あの犬も野生の血を色濃くもった本当に変わった犬だった。しかし十年以上一緒に暮らした大型犬であったので家族にものすごく近い存在だった。
一方この猫は、老犬武蔵以上に野生の血をもった猫だったといえる。
黒夜叉は最後まで手なづけることなど出来なかったし、私自身そうしたいと思ったことすらなかった。
ひょっとしたら手なずけられるかも・・と一瞬たりとも思う領域にもいなかった。


書物の中の穏やかな笑顔で眠る猫の絵を見ていて、ふっと黒夜叉を思い出し書いてみたくなった。なが〜い文を読んでくださりありがとうございました。

         

                      おしまいさぁ〜。。。(笑)