和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

月に村雲

「石童丸」(いしどうまる)のことはご存じだろうか?
九州出身の方はよくご存じ。
私は琵琶の弾き語りでよく聞く。

石童丸・・・おおまかな筋をいうと・・

九州松浦潟の守護、加藤左衛門重氏は正妻・桂子と愛妾・千里がいる。
表面は桂子も千里も仲が良い。千里の方が年が若く美しい。
桂子は内心激しい嫉妬に千里を恨むことはなはだしい。
ある時、二人が仲良く双六をして遊んでいた。
帰ってきた加藤左衛門は障子に映る二人の影を見て驚く。
仲の良い二人の戯れ声とは裏腹、障子には二人の千筋の黒髪が蛇となって絡み合い憎みあい憎悪でのた打ち回っているのである。

加藤左衛門は人生の無常を感じ遁世の念禁じえず出家を考える毎日。
(元をただせば自分のまいた種、人生の無常もへったくれもない・・と思う私である。)
桂子はそのことを知り益々千里に嫉妬心募り、或る家来に言い含めて千里を亡き者にするよう図る。
不憫に思ったその何某(なにがし)かは桂子には千里を葬ったと告げるが、秘かに逃がしてしまう。(何時の世も若くて美しいというのは身を助けるのだ。私のようなお婆であれば一刀両断墓場の露となるはず。)加藤左衛門はそのことを知り、桂子を切ろうとさえするが思いとどまり出家してしまう。
一方、千里は秘かに玉の男子を産む。それが石童丸である。

高野山に出家した父がいると伝え聞いた成長した石童丸は母とともに父を捜しに行く・・・というストーリーである。山道で二人が行き違う瞬間を

    見上げ見下ろす顔と顔
    石童丸の振袖と衣の袖ともつれ合い
    離れがたく見えけるは
    深き縁のあるならん

とある。この時石童丸は振袖を着ていたのだ。
いったいいくつなのかと調べてみれば十歳すぎの勘定になる。
元服前ということであろう。

まさに「父を訪ねて三千里」・・訪ね行けば父は死に、母も死に、ついには天涯孤独となり高野山の僧とともに諸国を歩く・・というもの。実際はその僧こそが訪ね歩いた父であるのだが、石童丸は知らぬまま終わる・・という悲劇。
父は自分が父とは名乗らぬのである。
信濃善光寺の近くの石童寺(現在の西光寺ではないかといわれている)に親子を祭った親子地蔵があるとか・・・行ったことはまだない。

その「石童丸」の琵琶の語りの初めが・・・


     月に村雲 花に風
     心ののままにならぬこと
     浮世に住める習ひなれ


からはじまる。この辺の語りは何処かで聞かれたこともあろうかと・・・


     松の梢を吹く風の音までも母の声かと疑われ
     ほろほろ啼く山鳥の声きけば父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ

30分以上もある長い琵琶曲にもかかわらず、100年前の錦心流宗家の少し雑音混じりの曲だったのだが堪能させてもらった。石童丸を形容するに・・・

     花の容貌(かんばせ) 月の眉 

と続く。美しい人の子供はやはり美しいのだ。
何故このような話かというと・・・
今年が巳年であることから黒髪が蛇になって障子に映るのを連想。
この曲を久しぶりに聞いてみようと思ったことがこの曲を聞く発端。
     
  嗚呼父上に死に別れ 又母上に死に別れ
  天にも地にも只一人 頼りとするは姉ばかり
  逢うてこの由語らんと 帰りてみれば姉も又
  この世を去りて陰もなし
  さてもつれなき浮世かな

と石童丸の曲は続く。

親は子と知ってはいたが 子は親と知らぬままに二人で諸国を修行するのである。
なんと加藤左衛門と言う人は罪作りなのか・・
何時の世も罪作りなのは女ではなく男なのだ・・・

それはさておき・・・

     月に村雲・・・♪・・

の歌い出しを聞いて「雲」のことを書かねば・・と思い出しのである。

で・・忘れないうちに雲の話をと思うが・・・
前置きで一日分のブログの容量を使った感がある。

で・・次回は「雲」の話にする。

お絵かき帳は「雪持ち笹」
人生の過酷な試練や艱難辛苦を自然界の雪に例え、しっかり受け止め茎や幹がたわんでも負けずに雪解けを待つ忍耐強さ、はねのけていく意志の強さを尊んだ中国の思想から「雪持ち笹」「雪持ち梅」などの文様が着物や帯にある。
冬、一度は目にするので参考までに…