和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

金沢能楽美術館

昨日出先で2時間ばかり、時間の余裕が出来たので、金沢能楽美術館へ急きょ行ってきた。
雨が降り足元が悪いのでちょっと躊躇したのだが、こんな時に行かないと中々行けない。
県の能楽堂の裏を通り・・



広阪の坂を降りる・・・


濡れた石の上よりも石の上の濡れた落ち葉の方が滑る。
これ以上膝を悪くしたくない私は用心深く歩く。
くだり坂よりも階段の方が膝の悪い人間には歩き良いかも・・なんて思いながら。
能楽美術館では今・・・


この企画。
今度の日曜日で終了なのでこの日に行かないともう見られなかった。

今年は遊行上人が「実盛供養600年」の年だそうである。

ここでちょっと「実盛」と「遊行上人」について触れておこう。
知っている方は物凄く詳しい。
でも普通は余り知らないのではないか。

「実盛」は平家物語に出てくる。
斎藤実盛は年齢は70過ぎとも言われている。木曽義仲軍と平維盛軍の戦いで、老武者として侮られぬように、又老醜を隠すため、白髪を黒く染め華麗な朱の錦の直垂を纏い、故郷の戦場で平家軍として散って行った武将である。朱の錦の直垂は主君・平宗盛からの拝領の品。福井が彼の故郷でもある所から「故郷へ錦を飾る」とも言われたのは此処から。義仲の家来・手塚光盛に打ち取られたが最初は誰もこの方が誰かが分らなかった。ご本人は名乗らずに死んでいった。錦の直垂は大将でないと着用が許されない直垂。さぞや名のある武将・・・しかし、誰も分らない。で、今の柴山潟の源平橋たもと「首洗池」(手塚町)で洗ってみると黒髪が真っ白な白髪になり一同の涙を誘った・・という話。この実盛は義仲を一時助けたことがあると言ういわば義仲の恩人でもあった。自分の老いた姿を見たら義仲が手を抜くやもしれぬ・・と、思ったかどうかは知らない。若い武将たちは老将を憐れむやもしれぬ。若い武将たちと悔いなく戦い、最後の命を燃え尽きさせて故郷に果てようと望んだのやもしれぬ。「武士の鑑」であるかどうかは分らぬが、究極のダンディズムであったのであろう。

白髪を染めた時に使われた鏡は池に沈められ、現在は年に一度「鏡池」の掃除の時に見られるらしい。石の匣に収められ吉祥鶴亀文の直径8.5センチの銅鏡とか。又、其の時に使っていた実盛の兜や鎧、大袖は多太神社(小松市)に義仲によって奉納されたらしい。その寺で実盛の兜を見て

   むざんやな甲の下のきりぎりす

と読んだのがあの芭蕉である。
(今で言う「無残」とはニュアンスが違う。「いたわしい」「お気の毒」と言うたぐいの意味らしい。)
その神社では現在でも予約をすればその兜を見せて下さるらしい。
8月に「実盛ゆかりの地」を訪ねるツアーがあった。仕事の関係で参加出来なかったのだが。



平家物語とは別に・・・其の話には続きがある。

やがて篠原の古戦場に実盛の幽霊が出る・・・という亡霊談が起こる。
ある夜、村人を集めて説法する遊行上人、見たことのない白髪老人を見る。
毎晩顔を出すようになったその老人にある日、名を尋ねる。
しかし答えぬ。答えぬだけではなくその老人の姿は他村人の目にも写っていない事に気づく。村人が全て帰ってからその老人に尋ねる。
・・・成仏出来ぬ実盛の幽霊だと言う・・・
上人は首洗いの池で十念をかけ法名「眞阿」と与え成仏させたのだと。
1414年の事。

この話を聞いた当時の世阿弥が自作に取り入れ「実盛」という能に仕立てたとのこと。
今年がちょうど遊行上人の実盛供養600年の節目。
能のことは全く無知であるのだがその実盛の能の衣装が展示されているというのでこれは見なければ・・・と出かけた訳である。
相も変わらず本題に入るまでがながーい。

残念ながら館内は撮影禁止なのでお見せする事が出来ぬ。

で、折角なので写真撮影可能な能面を少しお見せしようと思う。
まずは制作過程。

手の感覚で彫り進めるのかとおもいきや・・・
物凄く精密、正確に寸法が決められているのだ。
実に細かい。
思った以上に非常に華奢である。

ちなみに能面の裏はこんな風になっている。

漆が塗られている。
保存状態を持続するためと使用する方の汗などの汚れ防止のため。
作者の銘が書かれてある。

面は顔の部分を持ってはいけない。
着ける時にはこんな風に持つ。

この写真の面は「増」(そう)といって神々しい女性を演じる時に使う面であるとか。
女面でも少しずつ表情が違うのだ。
一つずつ設計図も違うのだ。

衣装は唐織の能衣装。かなり重い。
長さは組紐で腰にくくりつけている。
模様は宝尽くしを散らしている。


※写真の向きが見苦しく編集し直しましたがすぐに訂正されないようなのでしばらく直るまでご勘弁下さい。






ガラス越しでしか写せなかった面もあり。




ちなみに実盛の最後の戦いでは、馬が田んぼの稲に足をすくわれ馬から落ちたところを手塚光盛に打ち取られたとも言われている。
稲の害虫「稲虫」は実盛の生まれ変わりだという言い伝えもあるとか。
稲の虫を送る「虫送り」の事を「実盛送り」と呼ぶ地方もあるという。
そこでは実盛の人形を作って供養するのだとか。


十月から私は琵琶曲「実盛」を始める。
多分来年の琵琶の演奏会は「実盛」となるであろう。
白髪を真っ黒に染め、若武者の間に混ざって勇壮に戦いそして散って行く。
故郷を死に場所に選んで枯れ木に最後の花を咲かせていった老将を謡う。
これから「実盛」に心酔する一年が始まる。





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散歩で見つけた秋・・・


先日の「夏ツバキ」は

種がすでに下に落ちてしまっていた。
種が「カバツ〜!!」と割れているところを写したかったのだが。