和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

小千谷縮


    

       

        雪中に糸となし

        雪中に織り

        雪水に洒ぎ
   
        雪上に晒す

        雪ありて縮あり


江戸時代の越後の文人、鈴木牧之の「北越雪譜」の中の言葉。



























北越雪譜」は1837年(天保8年)出版された雪国百科事典とも言うべき本で出版後大ベストセラーになったそうな。
上の文は麻縮の製法についての行で、この後

       されば越後縮は雪と人と気力相半ばして名産の名あり。

       魚沼郡の雪は縮の親といふべし

と続く。













着物好きな人なら承知の方も多かろうと思うのだが
小千谷縮」は重要無形文化財人間国宝重要無形文化財各個認定保持者)がいないようである。多分個人の技と言うより地域性が強いのであろう。


残念ながら・・・と言うべきか、当然ながらと言うべきか、お見せできる「小千谷縮」を持っていない。商品で何かイメージないかと探すが半襟しか見当たらない。それでは全くわからぬ。



で、写真でお見せできないので簡単な説明だけでもしておこうと思う。
なにせ先だって質問されたことなので。
一応予備知識があれば何処かで何時か目に留まる時もあるやもしれぬ。

地味な話だし、興味のない方には全く退屈この上ない話に違いないので
せめて・・・・・「花を添える」とまではいかない・・・「葉を添える」ぐらいはしておこうと今日は色々な葉っぱを写真でお見せすることにした。散歩のときに写してみた。
















花があると、または実があると一目瞭然。だけれど花も実もない・・・葉っぱだけ。木々の全体像も幹の感じも全くと言っていいほど載せないので・・・何の木の葉か当てるのは難しいだろうと思う。
百枚近くの葉っぱの写真を撮ったのだが撮った本人でないとわからないだろうなあ…と。で分かりやすそうなものだけ載せてみた。
そのおうちそのおうちで大事にしている木が違うことも分かり案外と楽しいひと時。
バックのおうちや庭園が入らないように写してはいたが、分かりにくいのもある・・ごめんなされ〜























まあ、文が退屈なので緑でも見て楽しんでくだされ。


      








             







           ・・・・・・・・・・・・・・・


夏の着物に「上布」という物がある。
上等の麻織物である。書物には「薄く透き通った蝉の羽のような」という形容詞をあてている。
現在作られている「上布」の中で北の方から紹介すると

   越後上布  能登上布  近江上布  宮古上布  八重山上布

と五つある。


























そのうち重要無形文化財保持団体認定を受けているのが
越後上布宮古上布であるのだが。
そのうち越後上布新潟県)の前身、越後麻布をアレンジしてさらりとした風合いを出すために工夫されてできたのが「小千谷縮」と思っていただいて良いかと。
アレンジは江戸時代の中期のころ、播磨明石の浪人、堀次郎将俊(通商、明石次郎)である。麻布を縮ませることに独自の工夫をし成功したとされている。

















縮みの技法だが、緯糸(よこいと)に強い撚りをかけて糊で固定し、織りあげてからぬるま湯で糊を落とす。撚りが戻り布が縮むという仕組み。

堀次郎将俊と妻お満、彼らの二人の娘たちが工夫を凝らし作ったものは瞬く間に全国に広がりさらさらした夏の肌に小気味の良い着物として大流行となった。


   ・ 苧麻(ちょま)を手うみ
   ・ 手くびりでの絣模様
   ・ いざり機で織る
   ・ 湯もみ、足ぶみ
   ・ 雪晒し

とこの五工程は重要無形文化財の指定要件になっている。


















中でも「雪晒し」は雪の上に反物を広げてお日様に当てる作業は、雪の上に発生する
オゾンによる殺菌、漂泊作用を生かした雪国ならではのもの。
色があせたり汚れたりしても再び雪に晒すことにより鮮やかに元の反物によみがえるので「小千谷縮の里帰り」ともいわれている。雪が降らないと江戸時代から続くこの作業もできないとか・・・



重要無形文化財に認定をされているのは、現在

     小千谷縮越後上布   結城紬   久留米絣
 
     芭蕉布  宮古上布  久米島

これに着物の関連としては伊勢型紙である。
一反を手に入れるのは、どれ一つとっても気の遠くなるような額なので手に触る機会もない。
せめて商品として何かお見せできないかと思った次第だが、知識としてさわりだけの話と成ったが、あしからず〜。




























着物はどうしても華やかでここぞと言う時に着飾るイメージが強いし、又そうであるからこそ少し値か張っても皆気合がはいるのではないか。しかし、手に入れなくても勉強しようとする方々にとって、作り手の労力、時間、技術、根気、工夫などなど知れば知るほど大変貴重な芸術作品にも似た美しい伝統工芸品だとわかる。
身に纏う喜びよりもこういう伝統のある国に生まれ、こういう衣装を昔は皆着ていた国であることを誇りに思う私である。一部特権階級のものであったり、金持ちの道楽趣味で集めたりしたものではない・・・普通の庶民が普通に着ていた衣服であったのだ。

    色で着まい  
 
    柄で着まい

    経験で着まい

    まして財力で着まい

    心で着ましょう

    気持ちで着ましょう


今は亡き華道家の安達曈子(とうこ)さんがかつて随筆の中で書かれていたこの言葉は私の大好きな言葉の一つ。祖母から孫へ、親から子へと受け継がれていくのは着物だけではない。着物を通してそれにまつわる全ての思い出までも語り継がれ受け継がれていくのではないだろうか。美しく着せつける事よりも、着せつける事を通して母と子が、祖母と孫が思い出を共有してゆく・・・それが素晴らしいのだし、それがかけがえのない財産になっていくのではないのか。幼い時からそういう思い出を持つ人は本当に幸いな方だと思うのである。

華やかなもの、着飾るもの、自分の美しい姿のみを追及することを目的にしている方々は案外和装組曲では長続きしないように思う。
何かを勉強し一歩一歩、進もうと思う者にとってあくまでも着物文化は地道で地味なものである。何かを学びたいと思う時、その地味さや、地道さを楽しいものと思えるかどうかが長く続けれるかどうかにかかっているのではなかろうか・・・

今日は題も題だったのか、ものすごく真面目に書いた・・・私。
地道に真摯に着物道を進みたいと願う私であるが、それを正直に書いたまででそれ以外の他意は全くない。あくまで着飾ることを目的に着物を着る目的にしたい方はその方の信ずる道を邁進してくださればいいのである。それはその方の自由だし・・・・それもそれで着ないよりはいいのだとも思う。人は皆違うのであるからして。誤解しないで頂きたい。それをとやかく言う気持ちは毛頭ないのである。

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その筋から怖いクレームがきてもいけないので、事前に言い訳をしておこう。
なにせものすごく繊細で小心なお婆ゆえ・・・ペコリ。

ところで・・
色々散歩しながらとった緑の葉っぱの写真だが一つ名前のわからない木があった。
知っている方、教えてください。

木の高さは4〜5メートル。ちょっと見に木の感じや葉っぱの感じが、柿の木かなあ・・とも、コブシの木かなあ・・とも見受けられる。しかしながら良く見るとこんな花らしきものがあった。


















色のついている花と少しピンクの入っているものと・・・
どなたか「これはね・・・」と教えてくだされ。