和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

打敷

打敷・・と書いて「うちしき」と呼ぶ。
仏壇周りの事を良く知っている方はすぐわかるはず。

我が家の仏壇で申し訳ないが仏壇の中にかかっている朱色の布

大小二枚あるのがわかる??

それが打敷。以前仏壇周りの模様の話をしたときに鳳凰のところで使った打敷。その時にちらりと触れた。

明日は八月十日・・・そろそろお盆用に仏壇を少しセッティングしなおそうと今日はあれこれ掃除した。
その時に打敷をまだ冬用のままにしていることに気がついた。
そう・・・この朱色の打敷は冬用。
夏用は

所々絽や紗で織なされている。

仏壇に掛ける前の状態はまさにこんな状態。
それを左右を折って自分のうちの仏壇の幅に合わせて打ち掛ける。

打敷の左上には織った処の織元番号も出ている。
経糸に何、横糸に何を使っているかも明記されている。
もし皆さんが西陣で帯を買われたらみてみられるといい。
必ずと言っていいほどついている。
なんという機屋で織られたものかが分かる。
博多織はまた違うマークとなる。
それは又いつか機会があれば。
写真が縦にになってしまったがお分かりいただけるかと。


ちなみに西陣織のこの金色の形は「蚕の繭」をかたどったもの。

こんなお盆用の物もある。

絽目が通っているのが分かるはず。


皆、裏は白一色に織られている。
裏の白一色はお葬式の時の為の物である。
お葬式の時の仏壇は模様や柄を見せない。


ついでに言うと仏花も飾らない。
榊の葉か樒の葉のみである。
「樒」というのは「しきみ」と呼び、昔墓地の回りにはこの木が必ず植えられていたものだ。獣よけである。昔は墓を荒らさないように獣よけに植えていたそうな。少し強いにおいがする・・・というが私はあまり感じない。

話がそれていく・・・戻すね。

打敷・・・
いまでこそこんな風に一枚の織物で作られているが昔はどうであったか??
特に大きなお寺の打敷はさぞや大きな布が必要だったのではないか・・・

ここからはお坊さんから聞いた話。

京都の本願寺さんの両脇やお向かいさんに昔は端切れの店が軒を連ねていたそうな。
地方からくる信徒や門徒がそこで端切れを買い本願寺に奉納するためとか。
10センチ×10センチていどの小さな布切れだったらしい。
織元で出た端切れであったり、それ用に作られたものであったりしたのであろう。
その小さな布切れを奉納し集まった布を丁寧に縫い合わせお坊さんの袈裟を作ったり、寺院の打敷にしたりしたそうな。

決して裕福ではなかった、むしろ貧乏であった方々がその端切れ屋さんで買った一枚の布をお寺さんも丁寧に扱って大事にしたということであろう。

さて・・・今日は何の話??と着物の話を楽しみにしていた方・・・
「なんだ!!仏壇の話は関係ない!!」と思ったはず。とくにお若い方々。
あにはからんや・・

金襴の布はそれほど貴重だったころの話・・・
江戸時代にはなくなられた人の大切にしていた衣服をその方の菩提を弔うために打敷や仏幡にして寺院に奉納した習慣があったそうな・・勿論裕福なおうちの話。
仏幡と書いて「ぶっぱん」と読む。寺院の中に下げる旗飾りである。
小袖をほどけば一枚の反物に戻るのでそれをまた打ち敷きに縫いなおすのであろうかと思う。

つまり・・・何が言いたいかと言うと、江戸時代の打敷を丁寧にほどくと江戸時代のそのころ着られていた小袖の形が再現できるということだ。
現在残っている小袖は打敷を元の小袖に復元させたものが多いのだと言うことである。
一般家庭ではとうに捨てられたり朽ち果てたりボロボロになってない小袖でも仏具として奉納されたものは復元し、現在では美術館や博物館などに収められている・・・と言うことを言いたかったのである。


今日は明日からのお盆用仏壇しつらえをしながらそんなことをつらつら考えておった・・・というわけさ〜


色々な宗派があるので皆違うはず。
うちは浄土真宗であるがそれでも地方や地域、土地柄などによってもかなり違うはず。
その辺はあしからず・・・ということで・・・今日はおしまいさ〜♪