和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

  ☆ ちょっと怖かった話〜 ☆

着物の話も嫌と言うほど続いたのでちょっと気分転換。

       


・・・・・ちょっぴり怖かった話さあ〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



今から二十年弱前の話。
知り合いのお義父様が亡くなられた。
病院で・・。
当時は病院の霊安室で御家族が御遺体を引き取られに来るまで預かってくださる。
大抵は一日、二日・・でご家族の方と葬儀社の方が話し合われて通夜の場所が決まり、そちらに御遺体が移動される。

その時・・・の話。
物凄く運の悪いことが続いた。
喪主となるべき方が移動中で連絡が取れなくなる。
今のように携帯などない時である。
その方も御家族も金沢から遠く離れて住んでいらっしゃる。

で急きょ奥様(この方が私の知人)がみえられ、なんとか葬儀社の方と打ち合わせだけは出来たのだが、
あいにくその前後に病院で亡くなられる方が多くてその日に御遺体を移動しないといけなかった。
亡くなられた方の家はある。で、とりあえずそこに移動して何処で葬儀をするかなど喪主となるべき人と連絡を取ることとなる。

とにかく知り合いがこちらに少なく親戚は皆遠く離れている。
その方の心細さもあり、しばらくはお手伝いすることとなる。
「私にできる事なら・・・」
そんな時誰でも言うことだろうし、心底思うことだろう。
私だけでなくこちらの方の知り合いなどや遠い親戚などがおうちに一緒に行き手伝えることは手伝おう…となる。
なにせ長い何年にもなる病院生活、おうちがどうなっているのか皆目わからぬ。
皆で掃除したり、仏壇を整えたりしないといけないだろう、必要なものも沢山買いそろえないといけないだろう・・・と。

おうちは金沢から一時間半以上はかかるちょっと辺鄙な場所。
御遺体を乗せた車についてゆっくり進む。
ドンドン人里とは離れ波音が聞こえる海沿いの寂しい場所であった。
おうちの仏間に御遺体を安置し、葬儀社の方は詳しいことは明日でも喪主の方と・・・となる。
病院専属の葬儀社で次々と亡くなられた方に対応しないと行けないので慌ただしく病院にもどられた。
その時に幾つかの注意点だけ念を押された。

    御遺体を決して一人にしてはいけないこと。
    ろうそくの明かりを絶やさぬこと。
    線香はずっと焚いてあげ消さぬようにして線香の香りを家に行きとどかせること。
    御遺体は硬直でほんの少し動くことがあること・・・などなど。

夕方六時ちょっと前だったろうか・・・
電気、ガス、水道、が留められているので何とかしなければ・・・となる。
電話をしようにも隣のおうちに行かないと出来ない。
一緒に行った人の一人が「よし!!」とその任を負う。
頑張って・・とお任せし私たちは御遺体の枕元に座って今後の段取りを話し合う。
何年間も主不在の家は埃もたまり、クモの巣も張り、建てつけも悪くなり開いたガラス戸は締まらないし、締められた襖はビクともしない。もはや形がい化していた。
ネズミどころかゴキブリさえ一匹もいない。
時々頼りなげに動くのは蜘蛛だけ・・という有様。

そのおうちの方 突然思い出したかのように言う。
「大変。子供たちだけで留守番させてあるので家にかえらないと・・・」
「明日の仮通夜の準備をするためにも一度家にもどらないと・・色々喪服とかの準備もしないといけないし。」
と。確かに。
同時に隣のおうちに行っていた方が帰る。
「ガスも水道も電気も明日からになった。一晩の辛抱や。」と。

「一晩の辛抱??誰がするの??」
何だか物凄くいや〜なというか、不安な感じを持った。
電気もガスも水道もなく・・一晩〜・・・。
この御遺体はどうなる??
一人にはさせられない。
そこに居合わせた四人が顔を見合わせた。

    どうする・・・誰かが残らないと・・・一体誰が残る・・・

私以外の二人が慌てて言う。
「私は今日はどうしても帰らないと・・・孫が・・」とか
「わしは血圧の薬を持ってきていないし・・」とか。
どういうわけか三人が同時に私を見る。
「えっ??私!!」

おうちの方が頭を下げられた。
後に引けない雰囲気となる。

電気も、ガスも、水道もない中での御遺体との一晩。
葬儀や仮通夜、その手伝い・・・何十回といっていいほど手伝って来た。
私の生まれた家は村なので葬儀で奔走する母や姉の手伝いはした、嫁いだ家は親戚が多かったし、
ご近所さんの葬儀の手伝いもやってきた。
何とかなるだろう・・・その時私は甘く見ていた。

普通ならすぐ朝になるはずだった。
大勢で手分けして仕事しながらの場合は・・・。
流石に一人で・・は初めてである。
何とかなるだろう・・・たかをくくっていた。

「じやあ・・・後はよろしく。」
「何もしなくていいからね。」

何かをしてほしいと言われようが何もできるはずがない。
家の中は蝋燭の明かりだけである。
それも御遺体の枕元と仏壇の中。

とにかく、ろうそくの明かりだけを頼りに動くしかない。
まず、トイレ・・・小さなろうそくを片手に長い廊下を歩く。
歩くときおこる風でろうそくが消えそうになる。
そうっとそうっと歩く。
歩くたびに木の床が「ミシリ・・ミシリ・・」となる。
まるでこの図は牡丹灯篭やなあ・・。
蝋燭を一本・・・二本・・・
あ〜あ・・・朝まで持つには一本足りない・・・なんて思う。
自分の笑い顔がひきつって行く。
恐怖心を何とか紛らわそうとするのだが、余計自分の恐怖心をあおるだけであった。

ろうそくを立てるところもないのでトイレの床にろうそくの蝋をたらしろうをくっつける。
頼りないろうそくの明かりでも有るだけ感謝である。
そしてまた、家の端のトイレからそうっとそうっと長い廊下を歩いて仏間に帰る。
なにせ古い家であちこち改築などされているようで途中段が所々にある。
蝋燭の明かりの範囲に入らずつんのめりそうになる。
落ち着いて・・・気分を変えて・・・
「お茶でも・・」と自分でつぶやき、水もガスもないことを途中で気付く。

夜9時ごろだろうか・・・
私の使ったろうそくの静かに動く明かりに恐る恐る見に来たご近所さん・・・
事の顛末を知ると気の毒そうに言われた。
「朝まで一人は長いぞう〜」と。
「何か欲しいものがあるなら・・・」と。

これ幸いにお願いすることにした。
「じやあ・・・」と言った瞬間、
何を頼まれるか、目が空を泳いでいる。
社交辞令ってあるのよね。。。しょうがないことさ〜。
「大きなバケツに2杯分水を頂けませんか」と。
「水?」
「はい、ろうそくが万一倒れたりして火を出さぬためにも一応用心だけはしておきたいのです」と。

そういうことなら・・・と安心され、すぐに持って来てくださる。
仏間の外の廊下と土間に1個ずつおく。
用心に越したことはない。

古い家屋は隙間風が凄い。
しかも浜風が思い出したように建てつけの悪い襖や戸、崩れ落ちた壁の隙間から吹き付ける。
いつ何時ろうそくが倒れるやもしれぬ…
火事でも出して、明日の朝、二人の遺体・・となっていたらそれこそ笑い話にもならぬ。

とにかく布団もない。いや有ることはある。
建てつけの悪い襖を足や手や肘、膝、全身使って力任せに、開ければ押し入れの中に、有るは有る。
でもその布団はカビ臭くてとても使えるものでもない。
柱に寄りかかり膝小僧を抱えじっとろうそくの火を消さぬように見ているだけ。
時々線香を付けたす。じーっと時々いうろうそくの芯の燃える音がかすかに部屋に響く。
そして小さなろうそくを持ってそろりそろりとトイレに行く。

昔の古い家はトイレが一番離れている。
どうかすると家の外にあった。
その家もまだ下水が完備していなかったので家の一番端っこにあった。
せめて外の月でも見えぬかと小さなトイレの窓を開けようとするが木の戸はビクとも動かない。

子供のころは夜中、トイレに行くのが一番怖かったのだが、なんとその時はトイレから仏間に帰る時が怖かったとは何と言う皮肉なこと。
トイレから廊下をつたわって歩いてくると台所があり、居間があり、座敷が見え、仏間になる。
仏間には蝋燭の明かりで御遺体付近に鈍い明かりがさしている。

御遺体には葬儀社さんの用意した、真っ白で光沢のある薄い布団がかけられ、顔には白い布。
灯りがろうそくだけのはずなのに、家の中で御遺体のその部分がふわっと白く光っていたのだ。
   トイレから帰ると御遺体が起きていたらどうしよう。。。
   硬直で足が跳ね上がっていたらどうしよう。。。
   キョンシーのように手を差し出していたらどうしょう。。。

結局は静かに寝ている御遺体であるのだが、自分の想像して高なる心臓の音で自分が恐怖に落ちて行ってしまう。
時々入る隙間風で顔の上の白布がほんの少しずれていても怖くて中々直せない。
   白布を持ちあげた瞬間、目を開けられたらどうしよう。。。
   突然手首をガチッと掴まれたらどうしよう。。。
   ドラキュラのように牙をむかれたらどうしよう。。。


私の恐怖心は日本に限らず世界各国の怖い話に結びついて行く。
多分自分に物凄く近い身内ならそれほど怖くなかったかもしれぬ。
ほとんど時候の挨拶くらいしかしたことのない方なので心臓が早鐘のように打つのが分かる。

しかし・・・
気が小さくてビクビクおびえながらも、そのうち腹が立っていく。
なんで私がこんなことを・・・こんなところで・・・と。
しかし引き受けたのだ・・・まがりなりにも・・渋々ながらも、自分が。
引き受けた自分を呪うしかない。

御遺体を見ないように見ないようにすればするほど怖い。
ムクッと起きてこちらを見られたら私は心臓まひをきっと起こすぞ・・
見ないようにするからなお怖いのだ。
しっかりと見てみよう。
・・・・ああ・・やっぱり怖い。
その繰り返しだった。

こんなに長く座っている・・・もう朝に違いない・・
期待しながら見る腕時計は無情にも12時にもなっていない。

頭にふっと浮かぶ・・・草木も眠る丑三つ時・・に近づいて行く。
ああ・・本当にこの怖さに朝まで耐えられるだろうか・・・

何か気を紛らわせようと思う。
体育座りをして両ひざを抱えながらこの方の人生を思ってみる。

多分戦前の生まれに違いない。
貧しい生活事情の中、厳しく育てられたに違いない。
孝行を大切に学んだ世代だろう。
戦争に駆り出された青年期だったに違いない。
結婚し子供をもうけこの家の中に子供たちの声が満ちあふれていたに違いない。
子供たちは皆独立し孫も増え、多分楽しい喜びにあふれた人生の一時もあったろう。
でも子供たちの結婚、仕事、転勤や引っ越し、自分たちの老後、病気、伴侶の死・・・
気がつけば年寄りの一人暮らし。
そして襲ってくる自分の病気、老衰・・・・
家にも帰えられぬ病院生活・・・・
徐々に生きる希望も張り合いも亡くなっていったに違いない。
亡きがらとなって帰ってきてもこの人を迎え入れる人一人いないこの夜。
しかも私はほとんど見知らぬ人間なのだ。

悲しすぎないか・・
哀れすぎないか・・
無情すぎないか・・

こんな最後を迎えるとは思ってもみなかったに違いない。

体育座りをし、両腕で両足を抱えている私の膝にポトリ・・・ポトリ・・と。
それが涙とは自分でも直ぐには気がつかなかった。
でも、その時に思った。
自分はこの人に、今何をしてあげられるだろうか…と。

埃をかぶって頼りない蝋燭の明かりに鈍く光る仏壇が目に入った。
明日の朝までにこの仏壇と仏壇周りを綺麗に磨こう。
せめてそれくらいはさせてもらおう。
今の自分にはそれくらいしかしてあげられることはない。

ご近所さんから頂いたバケツの水二杯のうち一杯で仏壇を綺麗に細部まで拭き清めて過ごした。
こんなものでいいかなあ…
これで勘弁してもらえるかなあ…
とっても綺麗ではないけれど何とか見れる状態となる。
いつしか窓の外は白々とし、外には鳥の声までする。

       
         ああ・・・夜が明けた・・・


勘違いをしないでもらいたい。
私はこれっぽっちも誰かを責めたり非難したりしていない。

みんな、日々の生活に追われているだけなのだ。
みんな、一生懸命に生きているだけなのだ。
みんな、生きていると優先順位が違ってくるのだ。
多分それが家庭を持つということ。

誰が悪いわけでもない。
むしろ自然なことなのかもしれない。
本当にそう思っている。


やがて、昨日帰られた方々が戻って見えられた。
「ごめんね、押しつけてしもうて」
「怖かったやろう?」と。

私は心の中で思う。

      死んだ人は一つも悪いことをせんの。
           悪いことをするのはみんな生きてる人さ〜。




    【余談ですが・・・】

写真は藍色の牡丹唐草である。
でも良く見てほしい・・
上の方の花は牡丹は花の裏側を描いている。
面白い〜。
前からの美しい姿しか人は案外愛でない。
せいぜい真横あたり。
でも真後ろからこういう花をとらえるのは洒脱。
しかも数が前と後ろと同じ数として扱っているのもいい。
花の前と後ろを同じように美しいととらえているからこそできること。
昔の人は一味も二味も違うなあ、と。

ちなみにこの裏の花を使った紋「裏梅」「裏桔梗」「裏菊」・・・もある。
 

         ※このブログのnoirさんの花の写真が本当にたまにだがこの手法をいれている。
          お江戸の方はやることが違うね・・・と思って見ている。
          noirさんが昔の人・・・かどうかは知らない。