最近、立て続けに
「十二単って本当に十二枚着ていたからついたの?」
と聞かれた。
十二単は十二色の色の衣を重ねたと思われているようだが、
実際は九枚〜十六枚と言われているそうな。
色も十二色、というわけでもない。
私もまだまだ勉強中なので自信を持って言えないのだが、調べたことや知っている範囲で書いてみる。
「十二単」という言葉自体が見られるのは平家物語とか。
壇ノ浦で建礼門院が身を投げる時の装いを
「弥生の末のことなので藤かさねの十二単であった」と・・
たまたまその時に着ていた枚数が十二枚であったのかもしれぬ。
ちなみに今と違ってその当時は袷(あわせ)の着物ではなくて皆、単(ひとえ)のきものが主であったそうな・・・
屋島の誉れでは玉虫の前が船の上で扇を掲げるところでは「柳かさね」という表現をしているが枚数までは言及していない。
「十二単」という心地の良い言葉はこの平家物語あたりから使われたらしい。
・ 小袖・・・白地の肌着(これを数に入れぬ方も多い)
・ 単 ・・・正式な下着
・ 五衣・・・「いつつぎぬ」とよび五枚の衣。
さまざまな色を組み合わせる十二単の華
・ 打衣・・・「うちぎぬ」と呼ぶ
綾を砧(きぬた)で打ち光沢を出したところからついた名前
・ 表着・・・「おもてぎ」又は「うわぎ」と呼ぶ
唐衣の下に着る
・ 唐衣・・・「からぎぬ」と呼ぶ
最も重要で正式な衣装。普段のリラックスしているときは着ない
・ 袴 ・・・年齢や立場を表す
・ 裳 ・・・後ろに長く垂れて華やかさを強調
大抵は白地。
これに加えるとすれば「引き腰」があろうか。
高貴な女性に使えた女性の出仕時の衣装であったため、臣下である女性の方が常に最高の礼をつくしたため、改まった服装が求められたようである。そのため仕事の時は表着の上に唐衣と裳を常に着用していたようである。一方普段は五衣(袿・・うちぎ)姿。
この辺まで行くと段々ややこしく面倒くさい話になるのでこの辺で。
おいおいに教室でも皆で勉強していきたいと思っている。
十二単がでたついで・・・「かさねの色目」について・・ちょこっと触れておこう。
先日生徒さんから「かさねの色目」について質問された。
その名残が現代の着物の表地と八掛の色合わせに残っているのだが、
昔も表地と八掛だったか?と・・。
上にも触れたように十二単のころは単衣(ひとえ)の物が主だったらしいので裏・・で、裏としての役割をもつ衣装は表着であろうかと。
では「かさねの色目」は何のことか?と。
なるべく早く「チャンチャン」と手打ちにしたい時ほど生徒さんに粘られる。
知識のないのが見事に露呈。赤くなったり・・・あおくなったり・・・(笑)
私も昔勉強した程度にしか知らないのだが、それをまとめると・・・
「かさねの色目」として大きく分けて三つに分かれるのではないかと思う。
○ 表と裏を組み合わせる
表着の額縁になっている裏が出るのでその色との配色
(ときには表と裏の間から真ん中の色がでていることもあり・・・
それを中部なかべという)
○ 五衣(いつつぎぬ)と単との組み合わせ
グラデーションとなって濃淡になる配色を「匂いかさね」といい、
グラデーションの中に白を一色配するものを「薄様」(うすよう)という。
(なんと美しい呼び方なんだろうといつも感嘆している私)
そして案外知られていないようであるが三つ目の種類として
○ 経糸と緯糸の色の組み合わせ
唐衣に主に使用されたのではないかと聞いている。
たとえばかさねの色目の「杜若(かきつばた)」
表と裏の組み合わせだと表は「二藍」(ふたあい)裏は「萌黄」(もえぎ)
まさに杜若の葉と花の色の組み合わせである。
でも同じ杜若のかさねの色として「萌黄」と「紅梅」という色の合わせ方もある。
このへんが難しい・・素人としては一色に決めてほしい。
何通りもあるとややこしく覚えにくくていけない。
先日ある本を読んでいると吉岡幸雄さんの話として
かさねの色の「杜若」についてのくだりがあった。
それには薄い二枚の生地、表が「萌黄」もう一枚が「紅梅」
重ねて着ると「二藍」に見えるとのこと。
なるほど・・・なんだか納得。
経糸と緯糸の組み合わせだと表は「萌黄」裏は「紅梅」となるとも聞いたことがある。
なぜか?という問いに、織り上がると着物全体が「紫」色の杜若の色となるから。
勿論唐衣が主なので模様の浮きによって萌黄のところもあれば紅梅のところもある。
そこがまた美しい。日本の色の感覚は本当に驚くべき見事さかと。
十二単やかさねの色の話は中々難しい・・のだけれど少しずつ皆で勉強していきたい。
まずは手始めに五月には十二単の着せつけを京都へ行って学んでくる。
有志十名で日帰りの予定。
帰ってきたらご報告をHPの方に載せるつもり、お待ちあれ〜♪。