和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

浴衣帯の結び方

今回の「いろは会」は浴衣などに結ぶ半幅帯の結び方を実践してもらった。
勿論浴衣に限ったことではなく、カジュアルな着物の帯結びとして使ってくださるとそれはそれでお洒落でもある。
そんな時は化繊の帯ではなく、博多の帯をパシッと結んでいただけるととってもスマート。

実際ネットなどで色々結び方を見てみると色んな結び方がある。


しかし基本の結び「貝の口」と「文庫」の応用が圧倒的に多い。
この二つの基本の結びさえできればあとは自分で色々アレンジすればよい。

今回はその二つに加えて「絶対忘れない失敗しない結び」を伝授。
要所要所でここさえ守れば帯は崩れない…というものに挑戦してもらった。
勿論、結びの基本は「貝の口」と「文庫」。

この日参加された方は六名。
その方その方で浴衣や帯に幅や長さ、色など制限がある。
その中で自分の帯用のスキルを覚えてもらう事にした。




流石にこれは大きすぎる。
十代の女性の帯の大きさ。
大きすぎるとちょっと野暮ったくなる。
後ろの帯幅を半分にして・・とアドバイスした。



蝶ちょの大きさは年齢や体の大きさ、厚みなどで各自加減しないと何処までも勘違いした雰囲気になってしまうので気を付けて。
特に赤い帯はコンパクトにした方がシャキッと格好良くなる。







次の方・・









この方・・・雰囲気をがらりと変えてきた。



「いよっ!!!天城越え〜!!!」
と声がかかる。色っぽくも大胆。





ヘアスタイルも前回の子供っぽいのとは大違い。
「物凄く頑張って自分でやりました。」と。
人間やればできる。(笑)
出来るように頑張るから次が更にステージを上げられる。
前回とは別人。浴衣はある意味物凄いコスプレでもある。





次の方・・・
手慣れたものである。










次の方・・
この方はとてもお若い。でも落ち着いた雰囲気でしっとりと着こなしている。
久留米絣に麻の帯」と自分の着物や帯をちゃんと説明できるのも素敵。






髪も実に美しい。


髪は美容師のお母さんが結ってくださったとか。
お母さんに浴衣や着物を着せてもらえるのに敢えて習いにいらした訳を聞く。
しかも県外からの参加。
「自分で着物を着られるようになることは大切」
と言われたようである。
お嬢さんも凄いがお母さんも凄い。







皆さん本当に色々自分なりの創作に励んでくださったのだが、
この辺にしておかないと多分直ぐ今月の容量が満杯になるに違いない。
ではでは・・・
今回はこれにて・・・(^_-)-☆






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                 今後の「いろは会」のご案内
         8月25日(土) テーマ「秋の気配」
              時間が許せば「銀座結び」に挑戦。
              六通、又は全通の帯でいらして下さい。
              名古屋帯でも袋帯でも可能。


         9月29日(土) テーマ「秋の模様」
              時代と共に変化していった特徴的な文様の話。
              正倉院文様・有職文様・名物裂などについて。
              その他琳派文様について簡単に触れます。



              ※詳細はメールにてお問い合わせください。



               




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振り向かないで〜♪





「涼」と銘打って涼しさを感じるような着物姿を考えるいろは会が先日すんだ。
各自の色んな感想や思考が楽しかった。

「涼」を自分のこととして捉えた人、
涼しさを相手にどう与えるかを考えた人、
何時もの着物姿にちょびっと「涼」を加えた人、


色々だが先ずはご覧あれ…


夏大島の着物に羅の波模様の帯






光が入ると着物は透け感があり、涼し気だ。
前は帯揚げや帯締めがあるので少し明るくはなるのだが、如何せん後姿がちょっと黒々している。
バックの夏素材が若干ウキウキ感あるのだが、後姿を少しばかり工夫したい。
例えば、この羅の帯をもう少し柄をお太鼓の下に持って行くように結べばどうだろう・・・
同じコーディーネートでもちょっと波模様の爽やかさが後姿に出るのではなかろうか。


次の方は流石に年配者。
日傘を使用。
それだけで清涼感がある。
皺などが余りついていないのと、体にスッキリ沿っているので多分「綿麻交織」の夏素材に羅の帯。
白と緑の帯が一層涼しい雰囲気を醸し出している。
周りの緑にも映えてハッと人を振り向かせるかもしれない。






次の方は紗の色無地に銀糸の入った夏袋帯




白いUVカットの日傘も所々レースが入っている。
この方は特にここに気を使われたとか。



銀とガラスで作られたいかにも夏向きの髪飾り。
それを綺麗に自分で結い上げられた髪に。
初めてヘアをアップする時にはゴムでくくられお団子状態で
「髪を工夫しようよ」
と私に言われ
「駄目駄目、髪は苦手」
と言われていたのに、今ではここまでスッとできるようになった。
何でも努力するというのは凄いね。


次の方は紗の着物に羅の二重組織の帯。
このての帯は物凄く固い。
慣れるまで指が痛いと思うのだが、絞めれば締めるほど少しずつ馴染んで来るので一杯使って。




この方の今回のこだわりはこれ・・・


帯どめが「金魚」。
「涼しげじゃあない?」と。
「かわいい〜♪」の声。

この方の一番最初に直すべき点は髪。
髪がちょっと暑苦しい。
次回までに一工夫されたし。
また、もし麻色の無地の帯などがあれば金魚がまるで水槽に泳いでいるようなストーリーも出来上がるかも。


色んな切り口で皆さん思考されたようできっと考えているだけで楽しかったはず。
持っている着物や帯の数は変えられないのでちょっとした小物で演出された雰囲気があり。
見ていても工夫がみられる。
それがとても大切だと思う。

私はと言えば
白い蚊絣の上布に科布(しなふ)の帯。
今回は涼しさに拘ってみた。
蚊絣の白い上布の着物はお父さんが昔よく来ていた記憶がある方も多いかもしれない。
お父さんの着物があれば自分用に是非仕立て直ししてみては?例え長さが足りなくても、おはしょりがなくてもとても涼しいので病みつきになるはず。





麻は着ているとすぐ皺になるし、肘や膝が出てしまう。
でも身体との間に空間ができるので見た感じはスッキリ見えないのだが、何となく風をはぶんでいるように見えて、見る方も直ぐ麻の素材だと認識してくださるのがいい。
帯の素材は「シナの木」。昔は結構あったのだが、今では珍しい。でも締める時にちょっとコワい。堅い。
でもキチッと締めようと思わないと良い。緩くふんわり体に巻くと良い。だからお太鼓もパシッ、ピシッとしない。そのキツキツ感のないのが気持ちよいのだ。

帯枕はヘチマ。襦袢も薄い薄い紋麻にした。傘は柿渋で染めたものでもう20年も使っているので色あせている。それが自分では濃い色の新しい物より気に入っている。


この日は下に着る襦袢や肌襦袢下着をどういったものを選ぶ方がいいかなど少し話をした。
着物の場合大半の方はガーゼの肌襦袢か、もしくは化繊の洗えるものをチョイスされるのが普通だが、それでは暑すぎてとても二度と着物は着たくなくなるので色々涼しく着る提案をさせて頂いた。今では洗えるシルク100パーセント素材が出ているのでそんな話をした。ちなみに私はそれ。


今日も暑い…しばらく30度近くの日が続きそう・・
体調に気を付けてくださいね。

なお、次回のいろは会「半幅帯の結び方」は定員になりましたので締めきりますね。
冬なら10名入れるのですが、夏は暑いので6名で。
それに確実に結びこんで半幅エキスパートになっていただきたいので。



ではでは・・・もうすぐ7月
一年の半分が済む。
慌ただしい前半戦だった。
後半はちょっとのんびりしたい。。。

琵琶演奏会終了〜♪♪♪

今年の錦心流定期琵琶演奏会が先日終了した。



沢山のご来場を頂きありがとうございました。

今年は受付のディスプレイを担当した。
今年のテーマは「伏籠」(ふせご)
着物に香を焚き染めるための道具。


      伏籠について知りたい方はこちら
         
 伏籠   http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20130103/1357194915




着物をかけてあるので伏籠については分かり辛いが以前のブログを見てくだされば雰囲気は分かっていただけるかと思う。

ちなみに平安時代の死亡原因は一説には

1.疫病 
2.栄養失調
3.皮膚病

と言われ、それらが死に至る大きな要因だったのではなかったか、というのを聞き3の皮膚病の大きな要因である入浴の習慣がなかった事に焦点を当てた。お風呂と言うのは庶民の間に浸透したのが江戸時代と言われている。それ以前は風呂といっても蒸気の中での今でいうサウナに近いお風呂だったらしい。しかも平安時代に至っては体を拭くことによって清潔さを保っていたらしい。
もっとも地位の有る方々は防虫や抗菌、又防臭の為、衣服に香を焚き染めていた。

それで今回はそのころの香を焚き染める道具を忠実に再現したと言われている伏籠を展示。皆さんにお披露目。
本漆で螺鈿や金泥を駆使し、朱房で加飾されている。以前このブログでお披露目している我が和装組曲の品。

朱房を木目込み人形と共に・・・



私のこの日の衣装はグレーの霞柄の絽の付け下げ。
帯はつる草柄の金茶の夏袋帯
琵琶の曲は「琵琶塚」
静かなおとなしい曲。


生徒さんも駆けつけてくださる。
有難い。


折角来ていただいたのにお会いできなかった方々も何人かいたのを来場者名簿で後で知る。
ご挨拶できなくてすみません。裏方でバタバタ走っていたので。この場を借りてお詫びいたしますね。
裏方として着せ付けと後片付けを10人担当したのが和装組曲のこの二人。
流石に長い間私の傍にいる方々なので今では安心して任せられる。
お疲れさまでした。朝早くからの準備や搬入、後片付けまで手伝ってくださりありがとうございました。



さて・・・最後になりましたが、素敵な方をご紹介。






この着物・・
柄は何もないのだが、実は大変な技を有する。
それは「暈し」(ぼかし)の技法なのだ。
昔は沢山いらした友禅の職人さんでも、こういう美しいグラデーションに染め上げることが大変難しいのだ。
花や蝶や鳥や風景があれば案外人の目はごまかせるのだが、グラデーションだけで美しく均一に滞りなく仕上げるのは並々ならぬ技が必要で皆さんが思われる以上に職人さんの技術が必要なのだ。えてして人は何とか友禅・・と言う風に柄に目を奪われるのだが、こういう染の美しさも分かるようになって頂きたい。
又帯について。帯は汕頭風の地が透けるものだが、帯芯の色が驚き。着物の色と同じ色を使用している事。普通は黒か白か、そういうオーソドックスなものを使う。その方がいろんな着物に使えるから。でもこの方は色んなものに使えなくてよいのだ、この着物にピタリと照準を合わせて来られた。それが実にスッキリと収まっているのだ。できるようで出来るものではない。一瞬で私は目を奪われてしまった。本当の着物好きというのはこういう人のことなんだ、と。着物と帯が同色っぽくなるので帯揚げは白をキッパリとチョイス。凛々しい。

そういう着物の選択といい、コーディネートといい、そしてご自分らしくゆったりと自ら手早く着られたことといい、素晴らしい。私の人生の大先輩でもあり、本部の琵琶の大御所。この方の琵琶曲はユーチューブに何曲も上がっている。
琵琶の演奏もさることながら着物を着られてゆったりと佇むその姿はちょっと口では言い表せない風格。しかもその日使われていた扇子柄が何とアジサイの切り絵。小さなことや細部に至るまでの気の使い方。

写真をブログに載せたいのですけれど…と控えめに撮影をお願いしたら、実に爽やかに気持ちよく快諾くださった。私も、そして和装組曲のメンバーも感嘆してその姿を称賛。着物も帯も着姿も全て文句のつけようがない選択。
きっと着物を勉強する皆さんの参考になるはず。

着物は雅で華やかであれもこれもという着飾ったものばかりではない、一つ一つ無駄を排し必要なものを最小限、という何とも毅然とした気持ちの良い引き算の美も有るのだと教えてくださっているような気がする。年齢のいった方はやはりこういう姿が凛としていて見る方も気持ちが良い。この方はやはり別格のオーラだ。

先生ありがとうございました。



この演奏会が済むと毎年ちょっとほっとする。
さあ・・・今度は能面に邁進しなければ…秋の能面展が控えている。


あっ、そうそう・・・・
私のボイトレの先生が期せずして来てくださった。
ハードな毎日を精力的に過ごされている方でプロの歌手や音楽家を数多く輩出されている。
先日も先生がプロデュースされたオペラの舞台を終えられたばかり。
この日もレッスンの合間に寄ってくださったのだ。
上の本部の先生もそうだが、人生の大先輩のお二人の先生達だが、活動はびっくりするくらい精力的でしかも前向き。

この先生は、何人かの琵琶を聞かれて私の一番の弱点を瞬時に見抜かれた。
先生と話をして、私が気も付かなかったその点を指摘くださり、次回からそこを集中的に直していこう、と相成った。
凄い先生だ。来年に向けての課題ができた。
これもまた、楽しみの一つ。

頑張ろう〜♪

頑張れることを持つって素敵〜♪♪

私はなんて幸せ者〜♪♪♪


あじさいコンサート



以前ご案内したコンサートが6月9日(土)に開催された。
雰囲気のある古民家・・80年程経ているおうちはこんな雰囲気。








中は・・・
松を使った梁や天井や敷居。
今でも松脂が時々ぽとり・・・。
敷居からも松脂が浮き出てくる、と。






何と天袋の持ち手が琵琶の形をしているような…



座敷の天井が漆塗り・・・しかもピカッピカッ。
小さい時の実家の古い家を思い出す。


仏壇の上にも欄間。勿論「天女」・・



生活する上で多少不便かもしれないのだが、大切な文化財として皆さんで守っていかれている。
そして今回のようにコンサート会場として開放くださり多くの方々の憩いの場となっている。
ご自分のおうちをこうやって提供してくださる方々に心から敬意を表したい。
草一つないお庭ですね・・と言うとご主人「必死に草むしり担当いたしました」と。(笑)
こうやって恩恵を受けている身を感謝しつつ・・・


今回の演奏場所はここ座敷。
ご来場いただいたのはおよそ60名。
前回に続き又聞きに来ました、と言う方もあり。
曲を前回と変えて良かったわぁ〜♪





掛かっている花嫁のれん人間国宝・木村雨山に書いていただいたものをこの家の大奥様が輿入れする時にご持参されたとか。


座敷の縁の戸は全て開けられて心地よい風がその暖簾を揺らす。
まさにクーラー不要。


演奏者の控えの間も実に配慮され気持ちが良い。
勿論壁は弁柄。床の間の木材が黒柿とは面白い。




これは藤舎さんとのリハーサル風景。
何故わかるかと言うと、私は手に時計をしているから。



こちらは本番。既に時計を外している。
歌うは「祇園精舎」をコラボで。
そして「重衡」はソロで。


教室の生徒さんも来てくださり記念撮影。
皆さん、流石…素敵な着物での来場ありがとうございました。




さて・・・今度は来週の日曜日の琵琶の定期演奏会
気持を切り替えて又頑張りまっす。
今度は経正の「琵琶塚」。
どうぞいらして下さいね。




    
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・♪・・・・・
            錦心流琵琶演奏会


  
      6月17日(日)  12時30分開場
      石川県立音楽堂 交流ホール





    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 

アンデパンダン展&いろは会

21世紀美術館で開催・・



案内を頂いた時「アンデパンダン展? 何それ?」
という感じだった。

19世紀にフランスで始まったアンデパンダン美術展から名称を借りているとのこと。
セザンヌやボナールなどもこの展覧会の出身とか。

意味としては「特定の流れにとらわれない自由で無審査の作品展」という意味らしい。
日本では日本美術会が「日本アンデパンダン展」を開催しているという。
石川美術会は発足以来毎年アンデパンダン展を行っているとか。
今年私の知人から案内をもらったので最終日ではあったが日曜日行ってきた。

いろんな分野の無審査、無償、自由出品の展覧会と言うのは何度か足を運んでいるにはいたが、私のどこかに「無償」と言う事はイコールお金を取れないレベル・・という感覚が動きがたい位の雰囲気を持っていた。ところが、そこでは表現と精神の自由さが最大限に尊重され、プロもアマも障害者も実に自由に交流し鑑賞し自主的、民主的に、互いの領分を尊重しあいながら独立して存在していて驚きであった。「えっ?」という作品の横に「おおーっ!!」という作品があったりして中々楽しい空間であった。中には年金暮らしですので・・なんていう方もあったのだが、物凄い生きるエネルギーに満ち満ちていた。六十歳で定年になってもこんな新しく自由な生き方が待っていると思うと年を取るのもわるくはない、そう思わせてくれる空間でもあった。

中でも私が感動した作品だけでも何とかお見せしたい・・・・
出来ればクリックしてアップで見ていただきたい。





本来写真は禁止なのだがこの制作者の方から特別許可を頂き載せることにした。
ブログにも載せたいことを申し出たが何処まで理解して頂いたのかわからないが
「変な事に使わんで」と。(笑)
何だかとても懐かしく心癒された絵だった。
板の木目が何とも写実的で昔の板塀の記憶が鮮やかによみがえり感無量。

実はこんな大作。どれだけ見ていても飽きず自宅に飾りたいほどの郷愁を覚えた。




さて、今回この会に誘ってくださったのが・・・



この方。後ろの二作品は共にこの方の作品。
この方は専門は草木染の染織家。
だから暖簾は分かる…
しかし、絵も描いていらしたとは。
しかも年季が入った腕前。
綿の花がグリーンに映えて実に爽やか。
色々な草木染の作品を作るアトリエの傍らに、キャンバスを置いて気分転換に油絵を描く彼女を想像してみる。こんな自然な中での満ち足りた生活に身を置く老後人生・・・何と豊かで贅沢な事であろうか。どんな毎日もその方が選び取ったものなのだけれど、できれば心地よいものに囲まれたこういう生活を選んで生きていきたいと羨ましく自分の慌ただしく過ごす日々をちょっと反省もした。

どの方にも言えるのだが、かなり年齢は上の方が多い。
そういう方々が本職とは違う所で趣味を持ちしかもかなりなレベルで頑張られているのを見ると本当に驚きである。
皆さんのエネルギーが凄くて圧倒されて帰ってきた。
皆さん、熱く生きてるなあ〜♪
私もまだまだ甘ちゃん。
もっと熱く熱く頑張らないといけないと自分の心を鼓舞された時間だった。
誘ってくださってありがとう〜♪
素敵な時間でした。


ところで我が職場の暖簾はこの方に注文して制作して頂いたもの。



勿論草木染。しかも「月見草」の花と茎で染めていただいた。
黄色く見える色は「アルミ媒染」で黒っぽく見える色は「鉄媒染」で。


持ってきてくださったのを見て私は
胡麻竹か黒竹かどちらかの暖簾棒がいるなあ・・・」と密かに思う。
流石にこれだけの草木染にプラスチックの棒はあまりだしなあ・・と。
雰囲気からでは黒竹か・・・と。黒竹がスッキリと美しい〜と。

その時彼女すかさず私に聞く。
「黒竹の暖簾棒持ってきたからあげようか」と。

目が点になっちゃったよ。何で分かったの?

そんなこんなでこの月見草の暖簾をかけてのいろは会が土曜日開催。



玄関に並んだ草履も夏の雰囲気。




今回は「透」(すける)というテーマ。



お母さんの着物と帯。
丈が足りないのでおはしょりがない。
んなこと、ちっとも構わない。臨機応変
縦絽。縦絽だけに透け感が薄い。光に当たると透けるが室内では余り透けない。
それでも縦糸に所々銀糸が入っていて涼やか。
昔から銀の糸を素材に織り込んでいたのね、と感動。
今はやりなのかと思いきや、昔の方々の単なるアイディアを頂いているにすぎない。
昔の職人さんはやはり凄かったのだ。

帯の赤い紅葉と青の紅葉がなんとも可愛い。

青い紅葉の色で小物をチョイス。


この方、涼し気で実に爽やか。


足元も麻素材で何とも涼しさの演出が素敵。
着物愛好歴が長いと流石にチョイスも堂に入っている。





やはりこの方も先の方と同じ、回数をこなすというのは凄い事。
選ぶ着物も絽の江戸小紋に帯は草にホタルの絵柄の絽綴れ。
合わせ方も実に格という点も文句なしで板についている。
女性ってやはり凄いなあ、と。
好きだというのはやはり素晴らしいと思う。
ここまでパーフェクトになっていくのね。。。



若干透け感が不足ですがそれも仕方がない。
何しろ六月はもう一度ある。
それも考えないといけない。(笑)



私は不規則な横絽に薄の付け下げ小紋、着物の前部分の薄は銀の糸で刺繍されている。
帯は花菱の柄の夏袋帯
すこし格を上げたのはそのいでたちのままアンデパンダン展に行きたかったから。
余りくだけ過ぎないように気を付けたので。



          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪♪・・・・・・・
      これからの「いろは会」のご案内

           6月23日(土) テーマ「涼」
      7月 7日(土) テーマ「半幅帯」(浴衣可)
      8月25日(土) テーマ「秋の気配」


           ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






毎日お暑うございますが、暑さに負けずに又お会いしましょうね〜☆
職場の玄関も夏仕様・・・となりました。


ボイトレ&公ちゃん&能面

暫くバタバタしていたらあっという間に五月も終わりに近づいている。



★先ずはボイトレ★
小学校の時、廃校寸前の僻地の学校にいたため・・か、どうかは分からないが音楽教育なるものをほとんど受けない小学生であった。勿論私だけではなくクラス全員がそうだったと信じている。一人お嬢様がいてピアノを習っていたとかで音楽の授業は先生の代わりをしていた時もあった。
小学校の六年間で自信を持って歌える歌は「むすんでひらいて」「こんめえ馬」の二曲だけである。正しくは「むすんでひらいて」は幼稚園で習った歌に違いない。
そんなこんなで統合されたマンモス中学校へ行った時はクラス全員馬鹿にされたものだった。それについては以前・・・既に書いた。

大人になって・・・というより、お婆になってこれではあまりにも恥ずかしいとボイトレに行き始めた。しかもその先生は音大を目指す生徒さん専門の物凄くレベルの高い先生。声楽とピアノを教えている。カンツォーネの歌声の響くレッスン教室の門を叩く。構うものか・・どうせ習うなら中途半端な先生は嫌だった。それにそこそこの先生だと多分しり込みするくらいの低レベルの私でもあった。いやいや低レベルというよりもマイナスレベルのしかも地中深いマグマ近くのレベルであった。
「失礼ですがそのお年、もういいのではないですか?」と初めての時にハッキリと言われめげたものである。
「どんなレベルでもしないよりはいいでしょ!!」何日も何回も食い下がる。
「やれるだけやりますか?」とやっと根負けして頂きあいなった次第である。

      ボイトレについては・・・http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20151017/1445064447

そのボイトレ・・・・・は〜ぁ・・・
やっとコンコーネにたどり着いたのだ。
ピアノで言う「バイエル」の一番。

長い道のりであった。
しかし「為せば成る」である。

「ドミソ」「ミソド」「ソドミ」の和音が聞き分けられず悪戦苦闘。
「では『ミ〜♪』と歌ってください。」と言われそれならできるとばかりに
「ミ〜♪」
と歌うと
「ミと言っているだけでその音は『ド』です」と。

しかも和音は山ほどあるのだ。
「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」・・・
一オクターブ上がったり下がったり、もう頭がパニック。

しかし・・・人間辛抱が大切〜♪‥ホント、ホント☆
すごすごと辞めているかも一か月後・・と思う日もあったというに、普通の方の普通のスタート地点へと何とかようやくたどり着けた気分。
偉いぞ、私。どんな時も自分に物凄く甘いのはご容赦を。



四分音符も八分音符も知らぬ私が何とかピアノの伴奏に合わせて音階を見よう見まねで歌えるようになった。
あくまでも見様見真似であるのだが、気持ち的には奇跡に近い。

ドレミファソラシド・・ドレミ・・〜♪と
歌う分には辛うじて音は外さなくなってきたというのに、
低いド・・高いミ・・♪
と突然オクターブ上がるとやや不安定になり、

高いド・・・低いミ・・♪

とオクターブ下がるとてきめんにふらつき外れだす。
そこにリズムが入ると「ああ・・神様仏様〜私を助けて!!」となる。(笑)

まだまだやっと譜面を読んでいるレベル。
それでも最近はちょっと楽しくなってきた。
嬉しい。石の上にも三年だね。


散歩途中で見たお寺の屋根が美しい。



★素敵な公ちゃん★
公ちゃんの本を店先で見つけた。
こう書くと知り合いだと思うでしょ?
高橋源一郎さんの事を勝手に源ちゃんと呼ぶ私であるからして、当然この公ちゃんこと北大路公子さんも見知らぬ人である。
でも・・・

すべて忘れて生きていく (PHP文芸文庫)

すべて忘れて生きていく (PHP文芸文庫)



この本を本屋の店先で見つけた時はまるでこの表紙は私の事…まぎれもない私…
そう思った。
後ろにくっついている河童さんとお相撲さんは私の場合は琵琶と能面に違いない。

項垂れとぼとぼと歩く姿は何を隠そう今の私のまんま・・
そう思うか思わないうちにその本を抱えてレジに向かっていた。

ひょうひょうとして実に面白い。
笑わそうとして書いてはいない。
tomoちゃんが「ゴルゴに頼めば・・」と言ったように
公ちゃんは私に囁く、
「確定申告位自分でやりな、バカボンのパパですら自分でやってる」と。

妙に笑える。



小気味よい。
あ・あ〜あぁ・・・全てを忘れられたら私どんなに幸せだろう。
忘れたいことは忘れないのに、忘れていけない事ばかり忘れる昨今の私。
でも公ちゃんは言う・・

人の願いをかなえる代わりにその人の体の一部を切り取ってしまう神様がいたら、人はここまで簡単に神様に願い事などしないだろう。

   「見ないことで守られて来た平凡は目を開けた瞬間に実態を失ってしまう」と。

そうだ、空虚に感じたら私は自分を、そして周りをちゃんと見ているという事なのだ。
 

   「愚痴をどれだけ言ったところで何の益も生み出さない」のだ。


それが叶わぬ望みであるとされるなら、そこから生きる力のようなものが湧いて来るはずだと。

    「すべてを忘れて生きていく」というのはとりもなおさず
    「すべてを忘れて死んで行く」ということ。


多くの事を忘れ、自由な心を手に入れるのだ、と。


公ちゃんは沢山の面白い本を紹介してくれている。
どれも読みたいとメモをして何と25冊。
そして書きながら気が付いた。

   島尾敏雄「死の棘」・・・駄目だ、これは余りにも暗くて挫折した、私。

こんな本を真剣に読んでいたら私はどっぷり鬱になる、と。

それなのに公ちゃんの解説を読んでいたらもう一度読んでみようか・・とすら思った。
切り口が違う。ちょっと例えるなら丸太を板目や柾目に拘ってその美しさを愛でる人がいるとしよう。
でも公ちゃんは違う。
ノコギリで散々切ったその後の捨てるような削りくずからウサギの形や蟻の姿を見つけて楽しんでしまう。
更にその細かい木くずすらボンドで固めて楽しい事を作り出してしまうのだ。
この人、面白い。

45冊の変わった本のおすすめをどうぞ…
あなたの役に立つのか、立たないのか・・
いやいや役に立つなどはどうでもいいのだ。
ちょっとクスリと笑い自分のがんじがらめの心を少し緩めてあげれば。


それでいいのだ〜・・本を読み終える時には私は既にバカボンの父さん。(笑)


★今、能面★
今取り組んでいるのは「中将」
源融光源氏のモデルになった方。
又は在原業平。どうなりますか・・・
今回は長くなったので追々能や琵琶とどう絡むかを書いていくつもり。



相変わらず鋸を使うのがいまいち。
恐いのでギリギリまで引けない。
手前と向こう側では既に2〜3ミリ寸法とずれている。



更に平ノミは「いまいち」どころか「いまに」。
おっかなびっくりで使っているので直角には程遠い。




顎の部分を心なしか削り過ぎた雰囲気。



裏はなんとか・・

何とか形になるかと思いきや、全体的に5〜6ミリ削らないと寸法が合わない。
は〜ぁ・・・

頑張らなくちゃあ〜♪頑張らなくっちゃあ〜♪頑張らなくっちゃあ〜♪

手裏剣シュシュッ、煙がモクモク・・・

ここできっと公ちゃんの声

    「頑張らなくていいから!!!」

は・は・は・・・大丈夫。
私の「頑張る」は他の人のお風呂の「屁」みたいなものさ・・一瞬に消える














     

あじさいコンサート&諸々

4月の「はなみずきコンサート」の第2弾〜・・・♪

まだチラシも出来上がっていないのだが、出来上がるころには既に満席になっているはずなので和装組曲関係者には先にご案内。
はなみずきのコンサートに、既に満席で入れなかった方・・・今回金沢での演奏となるので宜しければどうぞ。
100名は入れる開場なのだが、主催者の方によれば今回は50名で打ち切るとのこと。




2軒の旧家でコラボ。
1軒でお食事し、その後もう1軒に移動してコンサートとなる。
どちらもとても大きな邸なのでゆったり楽しめるはず。
移動・・・といっても間に1軒か2軒のおうちがある程度でどちらに車を置いていても可。

お食事不要の方は予約の時に申し出てくだされば良しとの事。
多分パンフレットは直に出来上がるはず。
そうなれば前回同様すぐに一杯になる。
どうぞ早めに。
今回は早めにお知らせする旨、お約束していたので〜・・・

私の琵琶の演奏曲は「祇園精舎」を予定している。
多分これは藤舎さんの笛とのコラボ。
もう一曲はまだ決めてはいない。
単独15分の持ち時間が可能なら「琵琶塚」
そして10分程度の持ち時間なら「重衡」
を考えているのだが、それも今後変動するかもしれない・・・
主催者側の意向にもよるので。
どちらにしても演奏前に少し解説の時間をとって説明しますね。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪♪・・・・・・

最近何冊か本を読んだ。
中でもちょっと面白かったのが・・・・3冊

まずはこれ・・・・


闇に咲く

闇に咲く


この世に思いを残して死んで行った人の姿が見える「おいち」が主人公。
血の匂いを纏った商家の若旦那は生まれて引き離された双子の姉がいた。
しかし幼くして死んでしまいその姉が自分の体の中にいて時々現れ自分を支配してしまうと訴える。
折も折、深川界隈で夜鷹が立て続けに殺されて行く。
おいちは岡っ引きと力を合わせながら真相に迫っていく・・というストーリー。
この人の本は今まで読んだことがなかったのだが、この世に思いを残して死んで行った人たちは琵琶の世界と絡むので今回ちょっと読んでみようと思ったのだ。
どちらかと言えばストーリーで読ませる感。
それはそれで面白いのだが、「この世に思いを残して死んで行った人たち」という所が私の中では今一つ怨念が足りなかったし多少期待外れの感。
多分これは作者の責任ではなく、出版社の本の帯を書く人の責かな、とも。
まあ、若い世代を対象にしているのだろうからこれはこれで良しなのかもしれない。
何も考えずにストーリーでグイグイ引き込まれたい方にはお薦め。


もう一つはこれ・・・


銀二貫 (幻冬舎時代小説文庫)

銀二貫 (幻冬舎時代小説文庫)



前回紹介した高田郁さんの本。
今回は寒天問屋の話。
父を亡くした武家の少年を銀二貫で寒天問屋の主人和助が買い取る。
その銀二貫は手を付けてはいけない天満宮再建のお金でもあった。
和助はその少年に商家の厳しい躾と生活を叩きこんでいく。
そして天満宮再建を望む店の人たちの思いや大阪天満の度重なる大火を交えながらつづる。
少年はやがて成人し、自分を助けてくれた周りにやがては恩を返し立派な商人と成長していくのである。
いつも自分を支えてくれていた真帆という娘が大火で顔に大やけどを負ってしまう。
醜く引き連れた化け物と言われる顔を手ぬぐいで隠しながらそれでも懸命に働き生きていく真帆だが、やがては手ぬぐいを外して胸を張って生きていく過程が中々けなげで力強い。
これまでのブログには書いていないのだが、かつて45年前、私は全身火傷で入院し、退院してからも完全に治るまでに辛い思いをしたことなどが思い出され読んでいて切なかった。


どちらも中々読ませて面白い。
私が20代か、30代なら「闇に咲く」が印象深かったに違いない。
ストーリーで引っ張って読ませてくれるから。
でも今では「銀二貫」が圧倒的に面白い。

高田郁さんという作家さんは恐ろしい位に時代背景に拘る方である。
多分膨大な資料を準備し、江戸期の大火や大阪の人情、商いの心得、商家の繋がり、それらを実に丁寧にそして律儀に書かれているに違いない。
呉服問屋の時もしかり、料亭の時もしかり、お寺を舞台にした三昧聖の時もしかり、今回の寒天問屋もしかり、この方の書はどれを読んでもストーリーだけで読ませるのではなくバックグランドの蘊蓄が凄い。読んでいて自分の中にある点や線にひたひたと迫って繋げてくれる。そして点在していた自分の知識がふっとつながった時の嬉しさったらないのだ。
例えば・・・・呉服問屋の時は「甚三紅」という言葉・・着物の紅色の胴裏の事だが、何故これが「甚三紅」と言われるのかとか。三昧聖での三昧での樒の果たす役割など母や祖母に聞いていたことと微妙にリンクしていく。又今回の寒天問屋では「寒天」と「糸寒天」の作り方の違いなど、又蒸し羊羹と羊羹の固め方の違いや工夫など。こういう事は中々文献などを読んだからといって的確に書けるものではなかろう。この方は寒天を自宅で煮て実際に作ってみたとのこと…なるほど・・体得してからの執筆なのかと納得する。
静かに丁寧に、そして嫌味なく恐ろしくサラサラと読める文体なのだが、実に人を納得させるものがあるのはそういう事かとも。
だからこの方の本は私には肩透かしと言うものが全くない。
今回は表紙の絵も漫画チックでなくて手に取っていてもイライラ感がなく気持ちが良かった。


そしてもう一冊・・・・
こちらは実に重いテーマ、
いや現代ではある意味日常茶飯事の軽いテーマかもしれない。

緋文字 (光文社古典新訳文庫)

緋文字 (光文社古典新訳文庫)


この本は50年前、一度読んだことがある。
私は高校生の時、部活で「日本文学研究会」と「世界文学研究会」という課外サークル活動の、共にどちらもの部長をしていたことがある。
勿論その時は対象は全て古典文学であった。読んで感想を次回までにまとめ皆の前で発表する、そして討論し次の書を課題として出す、と言う事を繰り返してもいた。課題を出した方が次の司会となる。当然その書への思い入れや拘りがないと司会者は皆の意見を出し尽くせない。そんなこんなで部員は皆当時の図書館にある大抵の文学作品は一度は目を通してもいた。たしかその時に「緋文字」というホーソーンの書を皆で読む機会があったのだ。この書を課題に押した女生徒は美しい楚々とした儚げな雰囲気の人だった。ただ彼女は自分の意見を言う時に、実に力強く真っ直ぐに相手の目を見て話す人だったと記憶している。彼女は実に多くの書を休み時間などを利用して日々寸暇を惜しんで読んでいた気がする。ただ当時の高校生では現実味がなく架空の話でのやり取りで私としては実に記憶が薄い。ただ「緋色」という色が妙に鮮やかに残酷な色として心に残ったのも事実であった。

今回朝日新聞でこの書の批評をしていた方の文を読んで、かなり自分のこの本への印象が違ったのでもう一度読んでみようと思ったのだ。

あらすじは・・・
17世紀、夫に先立ち単身アメリカに渡ったへスターは不倫をし子供を産む。
当時は不倫した女は「A」(adultery)という真っ赤な文字を胸につけて刑台に立たされた。
子供の父親の名前を言うように、牧師や医師や沢山の人々の前で糾弾されるのだが、へスターは頑として言わない。
しかし夫は相手の男が誰だかを分かってしまうのだ。
なんと子供の父親は人々の先鋒となって彼女を糾弾する牧師だった・・・・

朝日新聞の書評では激しい倫理観を持つ清教徒アメリカに渡って新境地に布教したことを理由にあげ、これが現在の社会に強い影響を及ぼしていると。現在のフランスとアメリカでの不倫に対する人々の感覚がかなり違う事などを解説されていた。「倫理」と「信仰」は大切なのだが、絶対ではなくもっと人間らしく生きようというホーソンの主張ではないかと言う解説者の見方も添えられていた。

色々賛否はあるだろうが、もう一度読んでみよう…と新しい今の訳でもう一度挑戦した。
気になる方はどうぞ・・・