和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

ボイトレ&公ちゃん&能面

暫くバタバタしていたらあっという間に五月も終わりに近づいている。



★先ずはボイトレ★
小学校の時、廃校寸前の僻地の学校にいたため・・か、どうかは分からないが音楽教育なるものをほとんど受けない小学生であった。勿論私だけではなくクラス全員がそうだったと信じている。一人お嬢様がいてピアノを習っていたとかで音楽の授業は先生の代わりをしていた時もあった。
小学校の六年間で自信を持って歌える歌は「むすんでひらいて」「こんめえ馬」の二曲だけである。正しくは「むすんでひらいて」は幼稚園で習った歌に違いない。
そんなこんなで統合されたマンモス中学校へ行った時はクラス全員馬鹿にされたものだった。それについては以前・・・既に書いた。

大人になって・・・というより、お婆になってこれではあまりにも恥ずかしいとボイトレに行き始めた。しかもその先生は音大を目指す生徒さん専門の物凄くレベルの高い先生。声楽とピアノを教えている。カンツォーネの歌声の響くレッスン教室の門を叩く。構うものか・・どうせ習うなら中途半端な先生は嫌だった。それにそこそこの先生だと多分しり込みするくらいの低レベルの私でもあった。いやいや低レベルというよりもマイナスレベルのしかも地中深いマグマ近くのレベルであった。
「失礼ですがそのお年、もういいのではないですか?」と初めての時にハッキリと言われめげたものである。
「どんなレベルでもしないよりはいいでしょ!!」何日も何回も食い下がる。
「やれるだけやりますか?」とやっと根負けして頂きあいなった次第である。

      ボイトレについては・・・http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20151017/1445064447

そのボイトレ・・・・・は〜ぁ・・・
やっとコンコーネにたどり着いたのだ。
ピアノで言う「バイエル」の一番。

長い道のりであった。
しかし「為せば成る」である。

「ドミソ」「ミソド」「ソドミ」の和音が聞き分けられず悪戦苦闘。
「では『ミ〜♪』と歌ってください。」と言われそれならできるとばかりに
「ミ〜♪」
と歌うと
「ミと言っているだけでその音は『ド』です」と。

しかも和音は山ほどあるのだ。
「ドミソ」「ドファラ」「シレソ」・・・
一オクターブ上がったり下がったり、もう頭がパニック。

しかし・・・人間辛抱が大切〜♪‥ホント、ホント☆
すごすごと辞めているかも一か月後・・と思う日もあったというに、普通の方の普通のスタート地点へと何とかようやくたどり着けた気分。
偉いぞ、私。どんな時も自分に物凄く甘いのはご容赦を。



四分音符も八分音符も知らぬ私が何とかピアノの伴奏に合わせて音階を見よう見まねで歌えるようになった。
あくまでも見様見真似であるのだが、気持ち的には奇跡に近い。

ドレミファソラシド・・ドレミ・・〜♪と
歌う分には辛うじて音は外さなくなってきたというのに、
低いド・・高いミ・・♪
と突然オクターブ上がるとやや不安定になり、

高いド・・・低いミ・・♪

とオクターブ下がるとてきめんにふらつき外れだす。
そこにリズムが入ると「ああ・・神様仏様〜私を助けて!!」となる。(笑)

まだまだやっと譜面を読んでいるレベル。
それでも最近はちょっと楽しくなってきた。
嬉しい。石の上にも三年だね。


散歩途中で見たお寺の屋根が美しい。



★素敵な公ちゃん★
公ちゃんの本を店先で見つけた。
こう書くと知り合いだと思うでしょ?
高橋源一郎さんの事を勝手に源ちゃんと呼ぶ私であるからして、当然この公ちゃんこと北大路公子さんも見知らぬ人である。
でも・・・

すべて忘れて生きていく (PHP文芸文庫)

すべて忘れて生きていく (PHP文芸文庫)



この本を本屋の店先で見つけた時はまるでこの表紙は私の事…まぎれもない私…
そう思った。
後ろにくっついている河童さんとお相撲さんは私の場合は琵琶と能面に違いない。

項垂れとぼとぼと歩く姿は何を隠そう今の私のまんま・・
そう思うか思わないうちにその本を抱えてレジに向かっていた。

ひょうひょうとして実に面白い。
笑わそうとして書いてはいない。
tomoちゃんが「ゴルゴに頼めば・・」と言ったように
公ちゃんは私に囁く、
「確定申告位自分でやりな、バカボンのパパですら自分でやってる」と。

妙に笑える。



小気味よい。
あ・あ〜あぁ・・・全てを忘れられたら私どんなに幸せだろう。
忘れたいことは忘れないのに、忘れていけない事ばかり忘れる昨今の私。
でも公ちゃんは言う・・

人の願いをかなえる代わりにその人の体の一部を切り取ってしまう神様がいたら、人はここまで簡単に神様に願い事などしないだろう。

   「見ないことで守られて来た平凡は目を開けた瞬間に実態を失ってしまう」と。

そうだ、空虚に感じたら私は自分を、そして周りをちゃんと見ているという事なのだ。
 

   「愚痴をどれだけ言ったところで何の益も生み出さない」のだ。


それが叶わぬ望みであるとされるなら、そこから生きる力のようなものが湧いて来るはずだと。

    「すべてを忘れて生きていく」というのはとりもなおさず
    「すべてを忘れて死んで行く」ということ。


多くの事を忘れ、自由な心を手に入れるのだ、と。


公ちゃんは沢山の面白い本を紹介してくれている。
どれも読みたいとメモをして何と25冊。
そして書きながら気が付いた。

   島尾敏雄「死の棘」・・・駄目だ、これは余りにも暗くて挫折した、私。

こんな本を真剣に読んでいたら私はどっぷり鬱になる、と。

それなのに公ちゃんの解説を読んでいたらもう一度読んでみようか・・とすら思った。
切り口が違う。ちょっと例えるなら丸太を板目や柾目に拘ってその美しさを愛でる人がいるとしよう。
でも公ちゃんは違う。
ノコギリで散々切ったその後の捨てるような削りくずからウサギの形や蟻の姿を見つけて楽しんでしまう。
更にその細かい木くずすらボンドで固めて楽しい事を作り出してしまうのだ。
この人、面白い。

45冊の変わった本のおすすめをどうぞ…
あなたの役に立つのか、立たないのか・・
いやいや役に立つなどはどうでもいいのだ。
ちょっとクスリと笑い自分のがんじがらめの心を少し緩めてあげれば。


それでいいのだ〜・・本を読み終える時には私は既にバカボンの父さん。(笑)


★今、能面★
今取り組んでいるのは「中将」
源融光源氏のモデルになった方。
又は在原業平。どうなりますか・・・
今回は長くなったので追々能や琵琶とどう絡むかを書いていくつもり。



相変わらず鋸を使うのがいまいち。
恐いのでギリギリまで引けない。
手前と向こう側では既に2〜3ミリ寸法とずれている。



更に平ノミは「いまいち」どころか「いまに」。
おっかなびっくりで使っているので直角には程遠い。




顎の部分を心なしか削り過ぎた雰囲気。



裏はなんとか・・

何とか形になるかと思いきや、全体的に5〜6ミリ削らないと寸法が合わない。
は〜ぁ・・・

頑張らなくちゃあ〜♪頑張らなくっちゃあ〜♪頑張らなくっちゃあ〜♪

手裏剣シュシュッ、煙がモクモク・・・

ここできっと公ちゃんの声

    「頑張らなくていいから!!!」

は・は・は・・・大丈夫。
私の「頑張る」は他の人のお風呂の「屁」みたいなものさ・・一瞬に消える