和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

爺ちゃん〜♪

私だけでなく誰でも二人、爺ちゃんがいるはず。
母方の爺ちゃんと、父方の爺ちゃんと。

昨日母の同人歌集「松の雫」を読んでいて懐かしくなった。
母が二人の父の歌を読んでいたので。


父方の爺ちゃんはまさに海の男その人であった。

毎日着物で生活していた人で着物姿が実に格好良かった。
漁のない時など着流しで浜に出かけていく。そのあとを三つか四つの私がひょこひょこ付いて回っていた。浜につくとひょいと後ろ裾を帯にはさんで煙管片手に網を修理したり、浮きを直したり、舟の点検をしたり・・…本当に無口な人であった。
私が「じいちゃん・・・あのね、あのね・・」とか「じいちゃん・・・そんでね、そんでね・・」とかうるさくまとわりついていたのだ。母は 二人時には三人の寝たきりの病人の世話で忙しく爺ちゃんは私のお伴を渋々許していたに違いない。
修理が済んで着物の裾を落として両腕をそれぞれの袖口に入れ海をじっと見ている姿はものすごく絵になったのを子供心に覚えている。
端正な顔立ち、真っ白い髪、焦茶色の紬、黒一色の木綿の角帯、そして黒い足袋、黒いマフラーを首に巻き両端を懐に入れていた。
白い砂浜に立ち、鉛色の空の下、北陸の荒れた海と時々はじく白い波を背景に、爺ちゃんの静かな格好良さを私は幼心に刻み込んだようだ。
見かけの男らしさだけではなかったことが、昨日読んだ母の歌が物語っていた。


      素人の吾のさばきし虎河豚をためらわず食みし舅でありき
                              
      ことほぎて神酒を舳先に注ぎたる起舟は遠く舅遥かなり

                           
                           (7号 海鳴り より )

何処から何処まで海の男だったのだ。

で・・・・ここからが今日の話。(笑)
前置きが長すぎ〜教室の皆さんの声が聞こえそう。

「風呂に行く前にチャッチャーと読もうとしたら、長い長い〜・・。しかたないから後半は風呂からあがってにした。そしたら前半を既に忘れていた。」とか
「職場のお昼の休みに読んだら、それだけで休み時間が終わったよ〜。ほん〜とにっ!!」とか。
「もうちょっと、短くコンパクトにしてもらえん?」と。
「短くするのも腕やろが?」と。

は、は、は・・・そうはいくか〜、ますます長くするもんね〜。。。
私のブログさ。誰の指図も受けぬわ。(笑)
爺ちゃんが海の男なら、私は浜の女さあ。
少なくても4分の1、海の男の荒くれた血がはいっているのさ〜。諦めてくだされ。

そうそう・・・本題。
父方の格好いい爺ちゃんはさておき・・・
(えっ〜・・さておくんかあ・・ここまで引っ張って〜!!・・そんなもん・・そんなもん。何事も思い通りに行かぬものさ。)
母方の爺ちゃんの話をする。
(最初からそこに行ってくれ〜・・・という声も聞こえなくもないが、ここでは聞こえないふり・・いつもは直情型の私だが、今日は山から下りてきたキツネになろう。)

当時私は19歳だった。
爺ちゃんが入院し、かなり状態が悪いと知らされた。
当時私は大学生だった。
勿論貧乏はちっとも変わらない。むしろ更に拍車がかかっていた。
大きな老舗旅館の女中として8時間から9時間の労働を毎日こなし大学に通っていた。
40年以上前の話。今の角間ではなく金沢城の中にあった。
仕事場から走って15分、歩いて25分の場所。

朝、5時から8時半までお客さんの朝食の準備
8時半に学校にピューッとダッシュ
4時40分に学校から寄り道せず必死にリターン〜
夕方5時から夜10時ごろまで旅館の夕食準備や布団敷き、風呂場の掃除などに当たっていた。
学校の事は全て学校で済ませていた。でないと帰宅して学校の事に費やす時間などないのだから。

住み込みで旅館の少し離れた寮に入っていた。
同じ大学の薬学部の人が向いに、隣は文学部の人だった。
三畳の広さの個室がもらえ食事は旅館の仕事の合間に食べさせてもらえた。
座って食べる事もあれば立って合間合間に摘まんで食べる事もあった。
それでも雨露しのげて食事を食べられ少ないながらも給料をもらえるのはものすごく有難く良く働いた、と自分でも思う。働くことが全く苦にならなかったというのもある。毎日新しいことを教えてもらえる喜びもあった。自分の部屋に窓がある、それも嬉しかった。

爺ちゃんの話に戻ると
「良くないらしいから、明日お休みにしてお見舞いにいっておいで」と旅館の奥さんの言葉にうなずく。
旅館は日観連、交通公社の認定の旅館でたしか4階建。3階だったかも・・・。記憶が怪しい。奥さんと旦那さん、それに小さな二人のお子さん、大旦那さんと大奥さんの六人家族だった。大奥さんはほとんど寝たきりだったがとても優しく穏やかな人だった。
学生の住み込みは私たち3人だがご近所の主婦の方のパートが大人数だった。勿論正規雇用の女中頭の方もいた。トイレ掃除専門、風呂掃除専門、買いだし専門、お花やお茶の専門・・と分かれていた。私たち大学生は足りない部所にふり当てられた。特に春休み、夏休みは学校が休みなので一日中働いたものだ。私はそれが実に楽しかったのだが、薬学部の人は健康を害し留年し、文学部の人は単位が取れず一年せずに学校をやめて行った。単位が取れないと奨学金は打ち止めにされたのだ。そうなれば授業料が払えない。単位は絶対落とせないのだ。


私が休むと皆に迷惑がかかるのは分かっていたが、365日正月も盆も私は自分の方から休みを1日も取らなかったのでこんな時は優先してもらえた。今の労働基準法では許されぬだろうが。

次の日、学校からそのまま病院に行く。
バスで1時間のところ。
病室には誰もいなくて私は爺ちゃんのベットの丸椅子に腰かけた。
爺ちゃんはほとんど意識がなかったようだ。
時々苦しそうな息遣いがした。
布団にそっと手を入れ爺ちゃんの手を探した。
冷たさにびっくりした。
あ〜あ・・・体温まで下がっている・・と。
布団の中で静かにそっと自分の両手でくるむが暖かくはならない。
そっと、そっとさすり続けた。
爺ちゃん、まっとってやあ〜なんとかするから・・・と思う。
ふっとまるで聞こえたかのようにうっすらと目を開けたが見たのは天井。すぐに又寝息が聞こえた。

親戚の人たちが来るのを境に病院を後にする。
そのまま手芸屋さんに行きカシミヤの細い毛糸を20玉買う。
その日から爺ちゃんに毛布をつくりだす。
今ならストアーで暖かなボアの二枚重ねを買って行くところだが当時はそんなものすら右から左に手に入らなかった。
一個のインスタントラーメンを2晩に分けて食べていた身にはものすごい散財でもあった。

夜十時、仕事が終わってから1時間は爺ちゃんの為に時間を使おう。
爺ちゃんだけの事を考えて、良くなることを祈りながら毛糸を編もう。
少しくすんだ草色の毛糸だった。爺ちゃんの好きな色。
かぎ針で七宝編みでふっくら編んでいった。
あの薄くやせ細った身体に重い毛布は駄目だ。
かるく・・・軽く・・仕上げよう。
出来上がったら持っていこう。
ものすごく暖かいぞう〜。
軽いぞう〜。
気持ちが一杯詰まっているぞう〜。
すぐ治るかもしれん。
爺ちゃん、待っとってや。
一生懸命編むからね。

ところが急ぐ気持ちと裏腹に案外進まない。
巾1メートル50センチ、長さ2メートルを想定して編んでいたのだが進まない。
糸が足りない。3分の1位で更に手芸屋さんに走る。

小さい頃里帰りする母に連れられ行った母の生家。
大きな奥座敷には爺ちゃんの本が山と積まれていた。
縁側には所せましと本の山は天井まで迫る勢いであった。
ものすごく本が好きな人でいつもいつも本を読んでいたように思う。
或る時、書架に古い何冊かの本を見てパラパラめくりながら聞いたことがある。
「これ何?犬が主人公?」と。
南総里見八犬伝だった。
「お前のかあちやんの名前はこの八犬士の持っている玉からつけたんやぞ」と。

  幸うすき彦乃をしのと呼ぶ夢二父は知らずや吾を名付けし 

                         (11号 春野より)                    

と母の歌があった。母は爺ちゃんが何故自分に「信」の字を付けたのか知っていたのだろうか?

又、ある時は近所の人たちと囲碁をしていた。
次の一手を待つ人々。
ずーー〜・・・・ーーー〜・・・・ーーっと考えている爺ちゃんに
私は「起きてる?」と顔を覗き込んで聞いて皆の大爆笑をかったこともある。
私が小学校一年くらいの時だろうか。

昔からの色々なことを考えながら、思い出しながら毛糸を編んだ。
まさに毛糸を編んでいるときは爺ちゃんと私の登場人物2人だけ・・・の世界だった。

雪の降っている日だった。霙だったかもしれぬ。ものすごく寒かったのだけは覚えている。
旅館の奥さんが走ってカタカタいう下駄の音が私の窓の下で止まった。私の名前を呼んだ。
窓を開けて二階から下を覗く私に、
「爺ちゃん、亡くなったらしいわ。すぐ帰ると良いわ。こっちは何とかするから。」と。
今のように携帯電話はおろか、寮に電話すらなかったときである。


間に合わなんだ・・・間に合わなんだ・・・
何処にもないような暖かい毛布を仕上げる事ができなんだ。。。
「どや!!」と爺ちゃんに掛けてあげることができなんだ。

それでも家に帰るバスに乗りながら私は黙々と憑かれたように毛糸を編み続けていた。


     朝穫りの苺を籠に持ち呉れし父の汗見つ嫁して間もなく

     母ならむもしや父かもいたづきの吾を案ずるように鳩啼く
                           (13号 夕顔より )