和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

食べ物の話

着物の話が続きちょっと飽きたので気分転換。

小学校二年か三年の時の話。
私の家は昔の農家&漁師の家だった。
浜処で家も今と違い始終開け放しであった。
座敷という広い場所があり仏壇、神棚があり・・そう夏はふすまを開け放して広々していた。
そこに当時三人の病人が寝たっきりでいた。
私の幼稚園の時、「大きいばあちゃん」「中ばあちゃん」「小さいばあちゃん」と呼んでいたが小学二年生頃にはどのおばあちゃんかはすでにいなくて、父が加わって寝ていた。
足に大けがをし動けず母が三人の看病していた。
当時は車もなければタクシーもない。
荷車に布団を敷き、そこに皆で父を寝させて砂利道を片道二時間かけて母が病院に連れていくのである。勿論行って帰ってくるには一日がかりである。
当然家の仕事は残ったものの分担となる。

おじいちゃんは漁をし魚を売っていた、私の1人の姉は畑仕事の手伝いと病人の面倒をみたし、別の姉は田の仕事や家事をしたし、私とすぐ上の姉は風呂焚きや草むしり
鶏の世話などそれぞれができる事を分担するのが学校から帰ってからの仕事だった。
鶏のえさやりや鶏舎(というほど立派ではなく二十羽程度だが病人にとっては卵は貴重な栄養源だったのでとても鶏は大切にされた)の掃除では糞まみれとなり、風呂焚きは顔を煤だらけにしてやったものだ。でも苦と思ったことはなかった。当時はどんな家も似たり寄ったり家族中が働いていたから。中でも風呂焚きは学校から借りてきた本を読むには絶好の仕事だったからむしろ喜んでした仕事だった。

何が原因だったかはよく覚えていないが一番下の私は多分わがままだったのだろう・・
「毎日おんなじおかずばかりでいやや!!たまには違うものが食べたい!!」
というようなことをいって母を困らせたようだ。
次の日、学校から帰るとメモがあった。
いつも学校から帰ると
    ○○は畑の水まき  ○○は田の草取り  
    ○○はおばあちゃんのおむつ替え  ○○は馬小屋を掃除

というように指示があったのだ。
その日は私の名前のところに

   今日は風呂たきと夕飯を作るように

とある。材料は台所の物を使うように・・・と。魚は爺ちゃんから売れないものをもらうように・・と書いてある。
台所の湧水の中に(冷蔵庫なるものがまだなくて湧水の中に色々野菜が浮いていたのだ)胡瓜とナスがあった。
おじいちゃんに聞くと今日は「びろびろ」と。
びろびろというのはげんげとか水魚のことだと思うのだが確信はない。白身の魚に回りにゼラチン質がついていて味噌汁に使うと相場が決まっている。正式な名前は今でも知らない。

大変どころか一大事である。
手伝い程度はあるから火は使えるが、なにせ1人で料理したことがない。
でもまだたかをくくっていたところがある。
風呂は何時も焚いているのでおてのもの。
風呂焚きの合間になんとかなるはず・・・と。

ナスはオランダ煮  きゅうりは酢の物 びろびろは味噌汁

ご承知だろうがオランダ煮なるものは醤油で甘く煮るだけのものである。

ところがどっこい・・・それからの二時間は悪戦苦闘。
醤油がおおいかな? 砂糖がたりないかな? いやいや塩がたりないか??
う〜ん・・・皆足りないぞ!!

と。適当に見よう見まねで加える・・加える。
塩梅なるものが何たるかも知らぬ小学二年生・・三年生。

皆が帰ってくるまでには何とかなった。形的には。
私の左指は三か所、右手は一か所ガーゼとテープにくるまれていた。
(右手に包丁を持つのに何故に右手を切ったのかさえ覚えていない私である。)
私は怒られると思った。
全く食べられる代物ではないのは味見した私が知っている。
もうどうにもならない状態なのも自分が一番知っている。

まず一口、爺ちゃんが食べちょっとむせる。
何か言おうとしたが私の飯台の下に隠した手を目ざとく見てしまったのだろう。
黙って食べた。躊躇もなく・・・黙々と。
他の家族もただ黙って食べた。
今日の漁がどうだった・・病人が今日はどうだった・・
田の水回りでご近所さんとどうだった・・・芋のできは今年の雨でどうなるだろう・・・とか
いつもの会話が続き

「ごちそうさまでした」
と皆席をたつ。

1人私はびろびろの入った味噌汁の椀を持ったままだった。
一口も食べられなかった。なにせ食べられるものではない。
ポトン・・ポトン・・・味噌汁の中に涙がこぼれた。
何故泣くのか自分でもわからなかった。
うまくできなかった悔しさか、誰も文句ひとつ言わず黙って食べたことへの感謝なのか、料理一つできない癖に文句を言った自分への反省か・・・・
ただ涙が止まらずその日の事はいまでも鮮明に覚えている。

後かたずけを姉としているときに姉が
「みんな後で喉が渇くだろうからお茶の用意をしておくといいよ」
と。
今思うとこの姉は私と六つ違いだから中学一年か二年のはず。
「わかった」
と私。
番茶をつくりポットに詰めておいたことは言うまでもない。

自分でできないこと、人にやってもらったことに文句はいうまい。
文句を言う時は自分でやれ。
その覚悟もなしに軽軽に批判すな!!
身体に沁みこんだ出来事だった。

辰巳芳子 スープの手ほどき 和の部 (文春新書)

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辰巳芳子スープの手ほどき 洋の部 (文春新書)

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心と体に沁みこむ美味しいスープを作りたい方必見。

小さくて手のひらサイズ。
薄くて軽いが中身は濃い。
千円近くするが惜しくない内容。
とくにだしの取り方、具材の合わせ方、見るだけで参考になりものすごくいい。
こんなスープを作れるなら後の献立は不要かも・・・というくらいの代物。
病人に玄米のスープを作っていた母を懐かしく思い出す。
と・・・いうが母はいまだ健在。
母への感謝の短歌を母の日に葉書に書き送ったら添削されて帰ってきたよ。
助動詞の使い方と時制が一致してないのでは・・・と。(笑)