和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

薔薇

久しぶりの更新。

書かないで過ごしていると書くのが何だかとっても億劫~♪

でも今回は書こうと思った。

お婆の気まぐれ・・・

 

この日は来年の成人式の写真の前撮りがあった。

このお客様は和装組曲のHPの創作帯を見て

「何としても成人式にはこの帯結びをして欲しい」

とうちに来てくださった方である。

 

最初の言葉が

「HPの『白薔薇』の結びを成人式に結んでほしいので着物のレンタル業者さんに一緒に行って着物を選んでほしい」と。

 

和装組曲をオープンさせた時は請われるままに何人でも受け付けていた。

多い時は朝の三時あたりからお客様を迎えていたのだが、ある時に流れ作業に嫌気がさした。で、一組か二組のお客様限定にしてその方々だけに丁寧で記念に残る着せ付けをしていこうと決めた。

だからお客様の持ち込む振袖や帯を見てからその方の雰囲気や周りの家族の意向を考えて帯結びを考えていった。それが又とても楽しかった。結婚式ですら人生で2度や3度あるご時世。成人式はたった一度きり。本当に美しく輝く若さやその方の個性がどこかにキラリと光るそんな着せ付けをしたかった。振袖を用意してくださった親御さんの意向も大切であるのは勿論である。

だから最近では成人式の日でもアタフタしないできちんとお客様と向き合えるのが嬉しかった。勿論一組や二組に限定してからは収入も決して多くはないのだが、それはちっとも構わないと自分では考えていた。寧ろ自分の年齢を考えた時、より充足感のある仕事を選びたかったのである。

 

しかし、今回の様にレンタル業者まで一緒に行ってくれと言う申し出は流石に初めて。

真っ白の薔薇を背中に結ぶとしたら何色の着物が良いか…

その親娘と共に色々見て・・・というのは予算もある・・・出来るだけコストも抑えてあげたかったので・・・決めた。

 

白い薔薇・・・やはり着物の地色は真っ青な空にしよう・・と決まった。

本人のご希望により柄のない出来るだけさっぱりした着物・・となる。

レンタル業者でセットになってついて来る小物は何となく本人の雰囲気に合わないので小物関係は全てこちらに任せてもらった。何年も前にショーをやっているので小物には事欠かない。

今回は前撮りなのでカメラマンさんが左斜め前から左の肩ごしに撮るショットで作り込んだ。勿論当日は違う角度から、多分真後ろからの帯結びとなる。

 

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初めは本人とっても緊張~♪

 

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ヘアや髪飾りは私の領分ではないので触れない。

 

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段々リラックス。

やっと笑顔もチラリ…

 

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やはりどんな方も自然に笑った顔は美しい。

 

生まれた時の色んなことから20年。

成人式を迎えられるとは夢にも考えていなかったというお母さんの感無量の声にこちらまで目頭が熱くなる。お母さんも過酷な宿命の中で生きて来られたに違いない。

皆、山あり川あり。深い谷さえも幾つもあったに違いない。

すくすくと育つ方もあるかもしれないが大抵は人生の大波小波に溺れそうになりながらの幾年月である。生まれた時からの大病を乗り越えての晴れの成人式なのだろう。

老舗料亭での前撮りとかで親娘はこのあと晴れやかに出かけられた。

大切な思い出に参加させていただき本当にありがとうございました。

これからの人生に幸あれ…と祈っています。

 

来年の本番の成人式まで私ももっとこの結びを結びこんでおきますね。

 

 

さて・・・最近読んで面白かった本・・二冊を。

先ずは琵琶教室の方向けに佐宮圭さんの「さわり」

これは随分前に一度図書館から借りて読んでいた本なのだが、今回琵琶の生徒さんから紹介された。

しかも内容をほとんど覚えていなかったのでもう一度のトライ。

鶴田錦史さんの話であるが兎に角面白い。琵琶を学んでいる方には含蓄のある言葉が一杯。例えば、洋楽の一音は単に正確な一音に過ぎぬが、琵琶の一音には宇宙がある・・・という一文など。琵琶のたった一音に魅せられたものとしては是非お勧め。

 

 

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もう一冊は高橋治さんの「星の衣」

これはブログ友のnoirさんが私のコメント欄でご紹介下さった。

コメント欄に書かれた言葉を仇や疎かにしてはならぬ・・・

直ぐに手に入れその日に一晩で読んだ。

随所に沖縄の織物やその歴史的な背景がちりばめられていて着物を勉強する人にはとってもgood。本の表紙が中味とそぐわないのが気に入らぬが、内容は面白い。

特に私の印象深い所は八重山上布の柔らかさは沖縄の人たちの食べ物にある…と言う所。それは苧麻を績(う)む時につける女性たちの「唾」が違うと。又「海晒し」という海水のオゾンを利用しての漂白行程があるのだが、新潟の「雪晒し」と絡んで昔から自然を利用して無理なく美しい織物を作った人々の知恵に今更ながら感動した。

実に興味深く面白かった。とっても勉強になった。着物を勉強する方には是非…

 

 

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和装組曲の書架に備えておきますので興味のある方はどうぞ~♪

 

では・・・またねん~♪♪♪

 

琵琶床

琵琶床という言葉を初めて知ったのは丹後の尾藤家に見学に行ったときである。尾藤家の見学は何回か書いているのだが、琵琶床の写真はここに出している。             ↓  ↓

 

           umryuyanagi104.hatenablog.com/entry/20130722/1374447283

 

 

 

本当の床の間の横に半間の琵琶専用の床の間が付いていた。

薩摩琵琶は無念の内に亡くなっていかれた方々への惻隠の情を語るものであり、戦のない時でも武士達の戦意を鼓舞したり、悔いのない日常を送るための精神性の高い趣味でもあった。

武士の家ではその保存場所として琵琶専用の床の間が設けられていたようである。

勿論勇ましい謡ばかりではなく、魑魅魍魎を謡ったり、無念や慙愧に堪えぬ謡もある。で、あるからして床の間には魔を避けるための様々な工夫が施されていた。丹後の尾藤家では琵琶床の柱は「松竹梅」の目出度い木材でその空間が飾られていた。

人は恐ろしい物には恐ろしいもので避けようとして嘗ては男性の羽裏などは凄まじい地獄絵図や竜虎の勇ましいものなどで自分の背中を魔から守っていた歴史もあった。又家紋を入れることでその代わりをしていた時代もあったようだ。

 

さてさて・・・わが琵琶教室・・・こういう風に模様替えした。

 

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新しく琵琶床を作ってみた。雰囲気だけ・・・(笑)

 

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今までここにはタンスがあった。(笑)

着せ付け用の衣装や貸し出し用の衣装が入っていたのだが移動した。

で、新たにこの空間を利用。

 

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床には緋毛氈を敷き魔除け。その上には松竹梅の帯を敷く。

琵琶の前にあるのは輪島塗の盃。お酒が入っているわけではない。

琵琶が乾燥しないように水分を・・・という配慮。

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琵琶の後ろにもたっぷり水分を朱器に備えておく。

 

年数の経った琵琶はまず割れが入ることはないのだが、新しい木材はしばらくは気を使ってあげないといけない。割れてから何を言っても始まらない。

 

 

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今まで十年間使っていた片桑の琵琶。

撥は楓。よくご奉公してくれ感謝。

 

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これは亡くなった先輩の琵琶を譲り受けたもの。

総桑。撥は黒柿。

ただ総桑でも本州の地桑を使用していて若干音は軽めである。

現在は琵琶を持っていない生徒さんが教室で使用している。

 

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今私が使っている琵琶。撥は柘植。

島桑の総桑。島桑は御蔵島という場所で生育した桑で一番いい音が出る。

まだ今は今まで使っていた琵琶の方がシックリした音が出る。新しい琵琶は何処と無しに若い音である。勿論私の腕が未熟なのでそれは今後に期待しよう。

表も裏も島桑で、表面が酸化されて黒くなっていく途中で黒い縞模様となるのが島桑の特徴。

 

そして現在日々練習しているのがこの曲

 

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来年の演奏会で弾き語り予定。

一年かけて悔いのないように謡いこんでいく。

日々死に物狂いで頑張る所存。

 

 

 

 

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六人の生徒さん方・・・・
  来年の演奏会用の各人の曲がほぼ決まったようなので

               互いに頑張るまいか~♪♪♪

 

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一年後・・・笑って演奏会を終わるために。

出来ることは全てやって一年間を過ごせるようにどうしたらよいかを各人で考えてくだされ。皆・・・大人。私はこれ以上は言わない。

 

 

 

  『琵琶は元来簡単なる構造の中に無限の妙音を含み、

     歌は能く宇宙の深遠なる道理を悟らしめ、

        飽くまで精神修養を計る一助となす』

        

         大正11年9月   錦心流の流祖・永田錦心氏の言葉

           

 

 

 

          ★ ☆~各人の健闘を祈る~☆ ★

ダウン~ & 復活♪♪♪

いゃあ~・・・・ダウンしてしまった。

最近すこーし忙し過ぎたせいか、いや年のせいか、いやいや考えもなくやたら無駄に動き過ぎるせいに違いない。

 

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織成館の庭

 

大阪、東京、京都と仕事の合間に勉強を兼ねて彼方此方行っていたのだが、老体には少し無理だったようだ。どこかに行く時はその前と後に仕事を分散するので行く時に既に疲労が蓄積。行っている間は楽しいので直ぐ忘れるのだが、帰って来てからも仕事が押しているので結構きつい。最近では一年前と同じ仕事量は無理だと感じかなり減らしている。今回は帰る前、既に電車の中で自分の体の異常を感じていた。それでも翌日は休みを取っていたので何とかなると高をくくっていた。一晩寝ても頭は痛く、体は怠い。静かに座っていることが出来ずに一日中横になってばかりいた。でも溜まった洗濯ものを処理しないといけないし、空っぽの冷蔵庫の為に買い出しに行かねばならぬ、やらねばならぬ振込の必要な請求書も留守の間に届いている、行っていた時の簡単なレポートをまとめ…・・・なんだかんだとすることはあるにはあった。しかし、慣例にしている寝る前のビールを一口も欲しいと思わなかった時は流石に「とっとと寝よっ!!」とさっさと寝てしまった。しかし翌日は朝から起き上がれず酷い頭痛と倦怠感。「きっと血圧も高いに違いない」と。上も高いが下は三桁の血圧。仕事も押しているので先ずは食べないと・・・と少し口に入れるも嘔吐を繰り返す。何とか午前中の仕事を終えた頃、自分の体に熱のあるのに気が付く。測ると38.2度。こんな熱は何年振りかしら。3時からの仕事を終えると医者に直行。解熱剤をもらいダッシュで帰宅し飲む。6時からの仕事も終え、この日もそのままベットに倒れ込む。(笑)

 

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織成館の座敷から庭を見る

 

久しぶりの体調不良。

寄る年波の顛末・・・でした。

はい、誰にも言われないうちに自己申告。

「もう、いい加減に静かに暮らせ!!!」。

 

色々書くことはあるのだが、そんなこんなでブログ更新が遅れてしまった。あいすみません。大阪でのことは書かないが、京都について少し書く。

 

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inuwanさんの写真展

まずはブログ仲間のinuwanさんの写真展。二年前か三年前に案内状を頂いていてその時は「行く」と言っていたのだが、その時は琵琶の演奏会の後、体調絶不調となる。今でも記憶にあるのだが一番は声が全く出なかった。それとおしっこが出なかった。水を飲んでも飲んでもトイレに行けず体に毒素が回る。体はむくみ頭は痛く、起き上がれなかった。きっと腎機能に何がある、と思い込んでいたが全く異常がなかった。お医者さん曰く「物凄いストレスを抱えていませんか?」。私ストレスフリーの女、寧ろ周りにストレスをばらまいている。完全に治るまで随分かかったのだが、・・・結局、写真展には行けなかった。約束していて破ったことがずっと気にかかっていた。それがあったので今回何としても実現したかった。

 

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inuwanさん手作りの花器

 

写真展は思った通り素晴らしく目を見張った。特に私は緑一色とか、白一色が物凄く好き。だから無彩色っぽい曇り空も大好き。外にタクシーを待たせていたので20分程度で切り上げるつもりが何と1時間もいた。これがもっと自由になる時なら半日はいたに違いない。inuwanさんはきっと言うぞ。「姐さん、もう帰ってんか?」と。タクシーに戻ったころには運転手さんがいびきをかいて眠り込んでいた。どなたもこなたも迷惑をおかけしてほんにすんませぬ。

 

 

で、写真展初日に合わせて他の予定を前後に組んだ。

どれだけ私は日ごろの行いが悪いんだか・・組んだ予定がこれが又、悉く外れた。(笑)

で、仕方がない、現地に行って急遽見学をして来たというわけ。だから時間のロスが甚だしく、段取りが頗る悪かった。しかもタクシーの運転手さんとトラブルというアクシデント付。これで半日は無駄にした。こちらも意地になり何としても引きたくなかったし引くいわれもなかった。最悪の日々でもあった。

 

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織成館の庭2

 最悪の日々ではあったが少し心温まる事もあった。

今回は一つ二つ私の心にかかったことを書こうと思う。

行ってきた処は能装束の佐々木能衣装店さんと織成館さんである。特に織成館さんでは苧麻を使った夏の生地を展示されていたのでその時の写真を随所に挟みながら書こうと思う。参考にされたし。佐々木能衣装店さんは展示されているのが有名な舞台の方の物なので写真撮影は許可されなかったので許されたし。しかし、織成館さんは特別に許可を頂いたので幾つかアップしていきたい。

 

先ずは織成館さんの工房でのこと。

 

 

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織成館展示場



折角写真が許可されたので幾つかお見せしたい。

各説明は反物や着物に付けてあるキャプションから抜粋。

 

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与那国芭蕉布

芭蕉布の生産分布は鹿児島県奄美群島から与那国までのおよそ一千キロの地域の島々。そこで織っていた夏用の衣用の織物。繊維は糸芭蕉の茎(葉脈繊維)から糸を採って 糸に績んで織り上げるのは共通の技法であるが、地域によって品質の優劣 用途の違いはある。与那国さんは日常着用である。

 

 

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竹富芭蕉布

芭蕉布はかつては琉球の日常着だった。竹富の芭蕉布は茶の経縞と綿糸を藍染めした市松取りの経絣縞を各2~3條配しているのが柄の特徴といえる。茶はテカチ(車輪梅)またはグールで染め地糸は芭蕉生成り。織りあげた芭蕉布は島の周辺で「海晒し」を行う。これは世界的に珍しい技法。

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八重山上布

茶絣の上布としては日本唯一のものである。紅露(くうる)くうるを擦って褐色の濃縮した染液を採りこれを島で栽培した苧麻を績んで作った糸に竹べらで絣柄となる所に摺り込むという植物染料の摺り込み絣は 世界的にも比類のない技法を伝承している。琉球民謡を聞きながらの作業風景はまことにのどかである。

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与論芭蕉布

沖縄県以外で芭蕉布を商品として生産しているのは与論島のみである。ここでは伝統が辛うじて一つの工房で保たれている。糸芭蕉が自生していても糸を績む難しさは現代の後継者には耐えられないものである。観光として発展している与論で手作りの織物を伝承する工房の健闘を讃えたい。

 

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宮古上布

本土復帰の後に宮古上布は国総合指定重要無形文化財となったがこの上布は琉球時代の検査証を残す貴重なもの。経、緯共に島産の苧麻を手績みした精緻な糸を絣に括り琉球藍に蓼藍を加えた藍甕で染め上げ細かな十字絣を合わせながら織り上げる。ついで「せんだく」と呼ぶ砧打ちで上布に独特の光沢を誕み出す。

これは館長さんによれば柄のはっきりしたものも保存しているから‥と言われ折角なので、と奥から出してくださる。それがこれ・・・

 

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宮古上布と館長さん  (笑)

 

 

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能登上布

石川県能登半島にある鹿西、鹿島、羽咋の地域は江戸後期から庶民に愛用される上布を多く生産してきた。もともとこの地方は古くから苧麻栽培を主にして、苧麻を近江上布の原料として取引していた経緯がある。現在の能登上布は解(ほぐ)し、櫛押し、ロール捺染、板締めなどの絣技法で文様を表している。

 

ちなみに能登上布は和装組曲有志で何年も前に現地に出向き見学している。興味のある方は和装組曲ホームページのアカデミーでの過去の記事をご覧ください。かなり細かく書いているので上のキャプションの説明が分かり易いはず。

 

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山北の麻布(大麻)

かつて麻布と言えば大麻の茎を績んで織ったものを指した。苧麻の物は麻上布といわれた。古代から営々とと伝承されて来た麻布は戦後になってマリファナ問題が起こり、大麻栽培が行政機関の管理下におかれた。これによって全国各地で栽培された大麻は一挙に衰退し麻布も同時に姿を消した。現在は無害の大麻を栽培しているがこの展示はそれ以前のものである。

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開田麻衣

かつて無形文化財指定者として開田(長野県木曽郡)畑中多美さんと共に、開田村で当時麻布を織っていたこの制作者向井ユキさんは畑中さんと畑で大麻を栽培し糸を績み布を織っていた。開田村の麻布はすでに絶えて久しい。

 

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奈良生平

奈良市近郊月ヶ瀬地域は奈良麻布の一大産地を形成していた。主に大麻を用いていたが上布には苧麻が用いられた。無地の生平を白く晒す技術も得意でこれは奈良晒の名称で全国に知られた。麻布には本製(経・緯共に手績糸使用)と半洋(経紡績麻糸・緯手績糸)の二種がある。織元は現在二軒。

 

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小浜島豊年祭用インド藍染芭蕉居衣

印度を産地とする印度藍の一種(南蛮クサフジ属)が古くから自生又は栽培される八重山地方は印度藍が生育する東の限界地点とみられる。この芭蕉衣は島の豊年祭に男衆が必ず着用していた。一つの甕で泥藍を造りこれで染める技法は戦後は島のノロ(祭司)だった大嵩ミツさんが伝承者で人々に技法を指導していた。

 

 

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国頭地方の芭蕉

琉球列島は芭蕉布列島でもある。人口の集中する沖縄本島では町の人々の為に本部半島今帰仁(なきじん)や国頭(くにがみ)くにがみ地方から庶民用の芭蕉布を大量に算出した。国頭地方産のものを山原芭蕉布と称し、質的に今帰仁産にやや劣ったが日常着に欠かせない縞柄を主にした芭蕉布に特徴があった。

 

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誰にも見向きもされない夏の着物ではあるが、すたれていくその一つ一つを私財を投じて集め展示し少しでも後世に伝えていこうとしている方々に頭が下がる。

この織成館にはこういった展示とは別に実際の工房も備えている。

 

 

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工場長さんから「絽」や「羅」の組織やその織り方の説明を受けていた時に「カタン、コトン」という機の音の合間から可愛い声の童謡が聞こえてきた。最初はラジオかな、とも思う。およそ工場の中とは思えない穏やかで優しい歌声だった。あちこち動いて声の主を探してみる。いたいた・・・・♪♪♪
可愛い女の子がいた。お母さんと思しき女性の横でお絵かきしながら歌を歌っている。時々お母さんの方を向いたり何かを言いたげにお母さんを確認しているかのようだ。ふと、その子が私を見た。恥ずかしそうに下を見た。
「お利口さんね?お母さんの横でお絵かき?」と聞くと
小さくうなずく。
「何を書いているの?見てもいい?」
女の子が差し出すお絵かき帳にはどうやらお母さんと思しき女の人が書かれていた。
「お母さん!!」と女の子は言う。
「そう、お母さん綺麗だもんね。上手ね?」
というと、その子は機械にかかっている美しい唐織の布を指さして
「これね、お母さんが織ったの」と。
「まあ、何て素敵なお母さんなの。」
というとにっこりと笑いどこか得意そうに又お絵かき帳に向かって俯いた。
当のお母さんは「やだわ、この子ったら」なんて言いながら愛おしそうにお絵書きする子供を見ていた。言い方は悪いかもしれないが昭和の親子の仲睦まじさを見たような錯覚に陥った。仕事の間中保育園に預けるでなく、子供もおとなしく仕事の邪魔をしないように一人で遊ぶ、それもゲームではなく絵本やお絵かき帳で。母と子の何とも言えぬほのぼのとしたゆっくりとした
時間の過ごし方がこちらの心にまでひたひたと浸透してくるようで幸せな気持ちになった。
今回見学した中で一番感動したことかもしれぬ。

目先の何某かのお金や実入りにではなく、好きな事にじっくりと取り組み、無理のないようなゆったりとした時間の流れの中で日々生きている方々の思いに触れたようで自らの生きる姿勢に大きな楔を打ち込まれたような衝撃だった。

 

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京都から去る日にホテルの新聞で・・・・

 

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特に全行程の中でも「綜絖」(そうこう)という工程が危機に瀕しているという。数千本になる経糸を機械に通していく作業なのだが、地味でしかも高度な熟練がいる。一人前になるには10~15年掛かるという。着物需要が落ち込んでいく中なり手のない工場ではどんどん事業継承が困難だとか。京都の観光客の増加を唱える記事もあり。ドンドン観光で稼げる産業に人は移っていくのかもしれない。

誰が悪いわけでもないのだが、とても寂しい気持ちでホテルを後にした。

 

さて、帰宅しての体調不良と戦っている間に素敵な資料が手に届いた。

それは琵琶に関して。大阪の50年も琵琶に携わっている方からのものだった。

昔の資料で私に何か役に立つかもしれないから…古い資料を色々探してくださったようだ。その中にこんな一文があった。

 

  「 琵琶は元来簡単なる構造の中に無限の妙音を含み、歌は能く宇宙の深淵なる道理を悟らしめ、飽くまで精神の修養を図る一助となす・・・」

 

私の所属する錦心流の流祖である永田錦心氏の言葉で記されたのが大正11年9月となっている。特に「飽くまで精神の修養を図る一助」という言葉にはっとさせられた。

上手に歌うとか、上手に弾くとかではなく、あくまでも自分自身の精神修養・・・という。少し動くだけで脂汗がでて、すぐ横になっていた私だが、この言葉で霧が晴れるような爽やかな気持ちになったのだ。

時々「だみ声」と陰口をささやかれ、「発声法も知らぬ」と揶揄され、すっかりめげてしょげて「辞めようか」とまで思った事もある私。それを知った大阪の大先輩は静かに後押しをして下さっているのだと思う。「負けるな!!」と。

とても嬉しく頑張ろう、と思ったのだ。

新しい気持ちで明日から着物にも琵琶にも取り組もう

 

 

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散歩途中で見かけたトビ

で、今日は復活。
一杯食べて元気百倍。(笑)
単純もここまでくれば目出度いではないか?
更に更に頑張りまっす♪♪♪
どんな時も雲龍柳は我が道を勝手に行く・・・・

気持で生きている人だからして。。。。

 

無双と紗合わせ

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早いもので今年に入って既に7回目のゆめみ会である~♪

この日は「着物の文様」について。

 

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参加は7人。前々回の海外からの留学生も飛び入り参加。

内容は少し難しいので今回は聞くだけ。

一人この段階でいないのは交通事情によるもの。

ご容赦を。

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一口に「着物の文様」といっても色々な切り口がある。

正倉院文様」や「有職文様」「名物裂文様」という時代を象徴する文様としての分類をされていた方も有れば、模様と言うものをパターン化してどのような作り方をしているかによって「尽くし」「捻じり」「破れ」「取り」とか「よろけ」とか「親子」とかいった形から繰り返される特徴から捉えられた方、又「吉祥文様」といった歴史やその持つ意味から理解されてきた方、など聞いていてとても面白かった。

確かに人によってどうとらえるか…10人いたら10の捉え方があるのは確か。ただ中には余りにネットで調べられ細かい分野に特化しすぎたために枝葉にばかりとらわれて幹が分からなくなった方などもいたようである。

 

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ただ確かなのは日々皆さん物凄く勉強していらっしゃる。

「あ・・ぁ・・そう来たかぁ」という感想もあり・・・

「この人、物凄く勉強してきたなあ」と感嘆もあり・・

「物凄く分かり易い説明~」という驚きもあり・・

「変な方向に行き過ぎている」というのもあり。

パソコンやスマホの時代なので案外

「その字を書いて!!」

というと

「読めるけど書けない~」と。

 

私も度忘れして書けなかった字があった。

 

着物の文様は日本で作られたものは物凄く少ない。

日本の方はほとんど日本の模様だと信じて疑わないのだが、

殆どが中国からのもの。

数少ない日本で作られた独自の物・・という説明の処で

  「几帳」「源氏車」「檜扇」「色紙」「橘」そして「熨斗」

私の知っているものとしてはこんなところ。

着物の仕事をしていてこの数はほとんど増えていない。

それを漢字で書く時に「熨斗」が出てこなかった・・(笑)
「熨」の下の「火」が思い浮かばず「???」

そこではたと手が止まる。
そこを助けてくださったのがあの交換留学生の方。
「火」です、と。ありがとっ。流石にお国柄。

 

 さて模様はさておき今日は折角の機会なので「無双と紗合わせ」の事を少し触れておこう。

無双と紗合わせは現在は同じような雰囲気で用いられる言葉であるが、元を正せば少し違う。

     無双と言われるものに・・・・「絽紗」と「紗紗」がある。

 

「絽紗」と言うのは絽の生地と紗の生地を合わせて1枚の着物として仕上げた物を言い、「ろしゃ」と読む。

「紗紗」と言うのは紗の生地を2枚合わせて1枚の着物として仕上げたものである。これは「しゃしゃ」という。

どちらも2枚の着物ではない所から「無双」と言われていたようである。

どちらも単衣に準ずるように着られていたようである。

よく間違われる「紗合わせ」と言うのはこの「紗紗」の事。

 

たまたまこの日1人の方が「紗合わせ」の着物を着て来てくださった。

 

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模様としては「遠山」で素材としては「紗」であるが、失礼は承知で裾をまくって裏を見せていただいたのが右の写真。表から見るより裏から見る方がくっきりハッキリ柄が分かる。それは2枚の紗の生地を合わせているからである。表は無地の紗、裏は柄を染めた紗。重ねると下の柄がぼんやりと透けて見えるという訳である。

「紗」を2枚合わせているので「紗合わせ」・・・音から「しあわせ」

にもとれ縁起の良い物と好まれていたようである。

 

今はどちらも区別なく同じように言われているようである。

 

 

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さて折角なのでもう一つ。

この2種類の着物、仕立てが今ではほとんど使われていないが「毛抜き仕立て」と言われる仕立てをされていた。

2枚の着物を1枚として縫うと合わせ目や裾などが四重になってしまうのでスムーズにするために。だから「毛抜き」の合わせ目の様に表と裏地がどちらもピタッとはみ出さないように。イメージしやすいように言うと、カッターシャツの袖口のように表地と裏地がピタッと一致している。

着物の裾や袖口は裏の八掛が表に少し出るように縫う。これを「ふき」という。たしかこんな字・・「袘」。

それは表地を摩擦や汚れから守るためで、汚れても痛んでも裏地なら替えるのは大した出費にならないため。また表地と裏地の色の妙の中に独特の調和の美を楽しむ事も出来るのである。

この毛抜き仕立てを無双の着物の仕立てに使っていたようである。

なにせ昔の事なので中々現存している物がない。ただ私の母が仕立てをしている時に「毛抜き仕立てをしドンデン返しをする」とよく言っていたものである。

「ドンデン返し」とは2枚の布を中表に合わせ四隅を縫う。全部縫わず一部だけ少し開けておく。そこからひっくり返して表を出すやり方である。これは能面の袋を作る時も使っているようである。昔は敷布団カバーなどもこのやり方を使って最後に塗ってない部分をかがっていたような気がする。

 

仕立てをよく知る人に聞くといまではこんな「毛抜き仕立て」というやり方をして無双の着物を仕立てる人はいない・・とのこと。

今はこんな感じ・・・・

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確かに2枚の生地から成り立っている。

しかし縫い目は単衣の着物のような縫い方をしている。

この着物は柄の生地の上に紺の紗の無地が合わせられている。

脇はともかくとして衽などの縫い代は柄を隠さないようにカットされているようでこれでは縫い直しで巾を出したりできないはず。そのあたりの仕立てなども知っておいての裁量となるだろう。

 

昔の方は本当に物凄い知恵を使っていらしたのである。

今では「無双」どころか着物自体が廃れていっているのが実情。

 

外国の留学生すら頑張って美しく着て日本の文化の理解の一助に役立てようとしているというのに。(←結構私も年より臭くなってきているようだ。)

 

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次回のゆめみ会は第8回目となる。

    

     7月27日(土) 13時半

    

テーマは半幅の結び方を中心にあれこれ・・・と。

ドレスコードは浴衣、着物、どちらでもいいですが、半幅をご持参されたし。

 

アジサイがそろそろ終わり、こちらでは夏椿の時期・・・

 

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ではでは・・・またねん~・・・♪

 

琵琶演奏会

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東京東支部の温習会へ行ってきた。

実は幾つかその前後に済ませておきたかった用事があったので東京へ行ってきたので。

用事の方はいつでも良かったのだが折角の機会なので、東京東支部の演奏会の日に合わせたというわけだ。

「仕事が後回しかよ?」

そう・・私はいつだって「よこしまな女」。(笑)

趣味が仕事~、仕事が趣味~♪

 

去年、古澤会長初め4~5人の方が金沢の鳴和の滝に来て演奏くださっていた。

 

「鳴和の滝」についてはここにほんの少しだが書いている。参考に。

 

umryuyanagi104.hatenablog.com

 

その時に聞いた「勧進帳」の掛け合いが余りに素晴らしくて、私の記憶に深く刻まれていたのでもう一度聞いてみたいと以前からどこかで演奏されるなら…と注意を払ってもいたのだ。

そんなこんなで今年遂に実現。

 

 

しかも・・

錦心流琵琶全国一水会会長とのツーショット・・・・

本来なら私ごときがおいそれと近くに行くことなどできない御方であるが、

そこはそれ・・・私の事・・・ずうずうしくも厚かましく・・・会長に考える隙も与えず写真に入ってもらう。

どんな時も決めたら早い事・・早い事~・・・。。。。(笑)

そう、次の機会などと言っていたらもう死んで雲龍柳はこの世にいないかもしれぬ。どんな時も思った時がご縁の時。墓の下で後悔して何になる。

しかも会長は何処までも人格者。

にこやかに笑って付き合ってくださる。

全国の女性琵琶人をこの時点で全て敵に回したかもしれぬ。

 

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そして間髪入れず、勧進帳の若いメンバーの方々とも・・・

 

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更に更に敵を何処までも増やしたかもしれぬ。

もう一人いらしたメンバーはこの日はお休み。

 

一人平均年齢をグッと極地迄上げる雲龍柳ではあるが、それは知らぬ顔の半兵衛を決め込む。高齢者であることはどんな時でもおくびにも出さないのだ。さも皆さんと大差ないような「振り」。そう、人間気持ちが大切。ほとんど気持ちだけで生きている私であるからして。

 

この日の演奏者の方々・・・

 

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若いお嬢さん…堂々としていなさる。

着物は小紋。写真からは分からないが帯揚げの黄緑色が何とも爽やかだった。

 

そして・・

 

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人生の酸いも甘いも知り尽くした方。

ちょっと写真では分かりにくいのだが家紋は「五瓜に沢瀉」(ごうりにおもだか)ではないかと見た。

珍しい家紋。

 

この方は何だか川中美幸に似ている。

物凄く熱唱。熱演。

 

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着物は訪問着。

 

この方は独特の雰囲気。

言葉を交わす機会もなかったが又いつか・・きっと。

 

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家紋は「丸に違い鷹の羽」

鷹は俊敏で勇猛な性格なのでかつては武家に好まれた紋。

 

次の二人は難しい掛け合いで「川中島

どちらも肝っ玉の据わった姐さん方だった。

 

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そして

 

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勧進帳の掛け合いのメンバーと琵琶演奏は会長。

折角なので少し解説。

 

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家紋をアップしてみた。

「丸に橘」十大家紋の一つである。

香気と強い生命力を持ち邪気払いもあり、桃の節句には桃と共に飾られたりする。

着物は薄物、透ける素材。

時節としては六月十五日なので単衣でも透ける素材でもどちらでも可。

 

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ちと分かり辛いが「右万字」

家紋の写真を撮るつもりなど全くなかったので全体像からアップして家紋を撮ったのでとても分かり辛くすんません。でも折角なので一言だけでも着付け教室らしく説明ぐらいはしておくかと突然ブログを書いていて思ってしまった。

 

ちなみに会長も「万字」紋だが・・

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正しくは「左万字」

上の写真は袖の紋なので一瞬「隅立左万字」に見える。

が、上の私とのツーショットでの抱紋(胸の紋)はかたむきは無い。

 

インドで仏教に用いられ日本に伝えられたと言われている。日本ではお寺の記号に使われているがこの図形に込められている意味は「幸運福来」といわれている。

 

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さてこのお奉行様のような立派な方の着物には抱き紋がない。抱き紋とは両胸の紋の事。では家紋のない着物かと言うとそうではない。先の私と一緒の四人で写っている着物の後ろ袖の家紋がかすかに見える。袖の後ろにあるという事は必ず背中にもある。だから三つ紋である。

以前書いている。

     ↓  ↓

 

umryuyanagi104.hatenablog.com

 

 

「魔物は背から入る」と言われていて一つだけ紋を入れるとしたら背中である。三つ入れるとしたら背中と後ろの両袖である。五つ紋を入れるとしたら胸(抱き紋)を入れるのであるが、一つ例外がある。「背中と抱き紋」の三つというのがなくはないのだ。どんな場合かと言うと舞台に上がる方。舞台で見えるのが抱き紋なので後ろ両袖に入れる代わりに「背中と抱き紋」の三つの紋・・という形をとる。しかしこれは滅多にない例外ともいえる。

 

さて長くなりそうなので先を急ぐ。

着物に関することは話し出したらキリがない。

とても楽しいから。

 

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この方は多分付け下げ。

当日話している時はお顔しか見てなかった。

今写真でまさか着物に触れるとは思ってもいなかったので。

女性の場合は付け下げや訪問着には好みもあるがあまり家紋を入れられない。何故かと言うと柄だけで格が分かるから。お茶をなさっていらしたら案外どんな着物にも家紋を入れられる方が多いのだが。もっとも当日は皆さんの着物を前や後ろからしげしげと見たわけではないので写真から想像するだけであるのだが。

 

この後のお二人はこの日のゲスト。

他県からの参加。

 

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着物は訪問着。

迫力満点の弾き語りでした。

 

次の方は金沢で一度ゲストとしてお呼びしたことのある方。

この方の袴は他の方と少し違うのが分かるだろうか。

他の方はいわゆる仙台平の縞の袴である。

この方のは多分であるが「御召袴」かと思う。

お江戸は武家の社会なので仙台平、京都は御所があるお公家さんの世界なので仙台平はあまり使われない。

京都での結婚式ではほとんど「御召袴」

それが紋付の下にはく袴であることを知った時はな~るほどと思ったものである。

だから各おうちにあるタンスの中の袴にはそういう土地柄も色濃く残っているのではなかろうか。

そう思ってみるとこの方、何処となく雅に見える。

ちなみに「雅」というのは「宮振り」から来ている。

宮中を見て真似をする・・・御宮の振りをする・・から来ているとか。

ホンマかいな。

いつでも私は見てきたような嘘をつく(笑)

ちなみにこの知識は十二単の私の師匠京都高倉流会頭とお話をしていた時の話題からのもの。

心配な方はご自分で調べられたし。それに勝るものはない。

 

 

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多分「下り藤」

おうちが「藤」にまつわる方なのかもしれぬ。

 

しかし、ここで一言。
本来家紋はそのおうちに伝わるものを使うのだが、昔と違い現在は案外自由。
自分で家紋を作るもよし、違うものを使うもよし。
どんな家紋でも使ってよいのだ。

ご自分の家紋が分からない方は墓を見られたし。

墓に家紋が付いているはず。最も最近では家紋の付いてない墓も増えてきている。
家紋をこのような染め抜き日向紋にすると着物の格は上がるし魔除けにもなると言われているので今回ちらりと触れてみた。自分の家紋とは別にお稽古事なのでその流派の紋を各自の紋付で揃えたい場合は「家紋シール」を貼る場合もある。

前回の沖縄三線の紋付には「抱き茗荷」の紋があったが、その方が言われるには三線の全国大会ではその流派のシールを(両面テープ付)自分の紋付の家紋の上に貼るそうである。

 

さてさて、演奏のとりはこの方・・

会長である。

 

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私の一番好きなのはこの部分。

 

 

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白い足袋である。

着物姿を一番引き締めてくれるのは「足袋」と「家紋」と「半襟」の白。

何ともキリリと恰好良い。

何時でも思うのは

「着物は女性より男性の方が凛々しく何処までも美しい」と。

 

会長はじめ東京東支部の皆さん、本当にありがとうございました。

心より御礼申し上げます。

皆さんもいつでも金沢にいらして下さいね。

来年、特別大きな仕事が入らなければ又行きたいと思っています。

その時はどうぞよろしくお願いいたします。

 

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 さぁ・・~明日から又仕事しよっ~っと・・・☆★☆

 

 

素敵な2人~♪

日々の慌ただしさに紛れて、本当にブログが間遠になっていく。ご容赦を~♪

既に梅雨・・・・

 

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アジサイが鮮やか、目に眩しい。

でも色や花びらの多さにかかわらず何ともひっそりとした印象を与える花だ。

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散歩途中でのつゆ草の紫色も目に清々しい。

 

さて・・・

今回は前回ご紹介した外国からの留学生の方・・の夏の着物をご紹介。

前回ちょっぴり地味な浴衣だったので、流石に可愛そうになり少し華やかで若々しい印象の綿紅梅という生地で乱菊を描いた夏着物をご用意した。帯は麻色の夏名古屋。しかし・・・彼女の選んだものは・・・

 

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グレーの薄を織り出した絽の着物。

帯はその着物に似合うかな、と見立てた葡萄柄の絽の帯。この日も物凄い集中力でご自分で最後まで着ることができた。

 

 

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私の二十代の時に着ていた着物と帯。

帯締めは葡萄の実の色に合わせて私が組んだ夏帯締め

 

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襦袢、着物、帯、小物類・・・
全て自分で着たのだ。
この写真はこの日三回着た最後の着付け。
よく頑張った。
次回までにもっと綺麗に着られるように練習して次回は家から着物で来られるように頑張る…と言っていた。
「無理しなくていいから・・」
と、私。何といっても浴衣の後の初めての着物と帯。

 

私の二十代の時にはとても地味で目立たない無口な女だったからこんな色合いで良かったのだ(無口で地味なのはこの年でも変わらないのだが)今の可愛いくて若いしかも明るい彼女には可哀想な位暗い印象。でも本人はとっても気に入ってくれて・・・この日はそのまま帰る。陽の光が当たると透け感が倍増するのだが、如何せん少し寒い日なので印象が今一つだったが、そこは若さ。どんなものを着ても若々しく見えるのは羨ましい。

 

今頃は勉強の合間に家で一生懸命復習しているに違いない。

健闘を祈る。(笑)

 

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しかし、次はもう少し明るく若々しい物を用意しておいてあげなければ。(私のタンスの中には明るい物が皆無)

どなたか、不要な着物と帯ないですか?

明るくて爽やかな着物と帯…~・・・求む。

 

 

さて、今回はもう一人異色の生徒さんをご紹介しよう。

この方は舞台に立たれる方だが、どうも袴がうまくいかないので教えてもらえたら・・と和装組曲にいらした方である。 

一回で完了。

ついでと言っては何だが袴のたたみ方まで習得されて行かれた。紋付袴をとても上手に着られても中々うまくいかないのが 袴紐の処理。忘れそう…と言われながら何度か挑戦。忘れた時にはいつでもどうぞ・・・(笑) 

 

その方が舞台に立たれるのは・・・こんな感じ。

 

 

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そう、この楽器。

竿は黒檀、爪は水牛の角、ニシキヘビの皮をはった三線

 

 

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沖縄の楽器。

北陸三県には教えていらっしゃる方がいない。

この方も名古屋まで毎月習いに行っていらっしゃるとか。既に10年以上は経過されているようでその熱意には頭が下がる。

 

仕事の休みの日に名古屋まで通う・・・簡単に出来るものではない。そして続くものではない。熱い思いとたゆまぬ努力、不屈の精神がなければ続くものではない。日々はどうしても楽な方に流れてしまうから。

しかも・・

謡い乍ら楽器を弾きこなす・・・大変。

しかも楽譜は見ないので・・・・ひゃあ・・更に大変。

「忘れたらアウト?」と聞く私に

「はい、終わり!」と。

 

この年ではだめです…私は。(笑)

折角なので一曲弾いて頂いていい?と聞く私に気持ちよく了承くださった。

う~ん、沖縄の言葉でさっぱり・・ちんぷんかんぷんでした。ごめんなさい、でも何とも言えぬ哀愁のある音色、素敵でした。ありがとうございました。

 

うちの教室にいる方で沖縄のDNAを持つ方がいる。で、以下はそんなこんなをその方と話していて仕入れた知識。

沖縄の富裕層は三味線などなさるが、一般人は当たり前のように三線をされるとか。小さい時から身近にあり祭の日には子供も大人も手に取りみんなで楽しむとか。本当に小さな子でも空き缶に糸を三本はって見よう見まねで大人の真似をして弾くのでとても皆さん上手だという。

中々音色がいい・・・そして沖縄の方言でゆったりと歌うのも何とものどかでいい・・・

身近で聞くのも見るのも初めてだったのでよい経験でした。いつかこの方が教室を金沢で開かれるのもそう遠くないとか。大きな舞台があるようなので、それが終わったらその時は和装組曲でみんなの前で弾き語りをしてもらいましょう。

「いいですよ」と快く承諾。

「よし~♪」素敵なイベント考えますね。

 

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そんなこんなの合間にゆめみ会も無事終了。

今回は「夏の着物」。

夏の着物の糸、素材、織り方などを各人に講義してもらう。

 

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流石に皆さん良く知っていらっしゃる。

皆さんの勉強量がどんどん増えていくのが分かり、私としてはとても誇らしい。

「着飾る着付け教室は多々あっても、これだけ色んなことを勉強している人達っていないわ。凄い着付け教室ね~♪」と何処までも自画自賛

梅雨寒の日だったのでこの日の参加の方々はほとんどが単衣。単衣の合わせ方と言うのも簡単なようで中々難しい。どんなことも一つ一つ。

 

次のゆめみ会は

 

    6月22日(土)13:30~15:00

              テーマは「着物の文様」

    ドレスコードは「盛夏の着物」

 

参加者はゆったり着こなして参加くだされ~♪ 各人各様の涼し気に見える工夫なども話してもらいますね。・・・何て・・さりげなくステージを少し上げておこう・・・~。

ではでは・・・・またねっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光陰を惜しむ~♪

最近声楽で歌っている歌がこれ・・・

 

    「我手の花」(わがてのはな)

 

我手の花は

人染 めずみづからの香 とおのが色
さはれ盛りの短 かさよ

夕 べを待たで萎 れゆく


我手の花は誰 れ知らん

入日 の後 に見る如 き
うすくれなゐを頬 ( ほ )に残し

淡き香 をもて息すれど


我が手の花は萎 れゆく

いと小 ( ささ )やかにつつましき
わが魂 の花なれば 

萎 ( しを )れゆくまますべなきか

 

                 与謝野晶子 作詞

                   信時潔 作曲

 

初めてこの歌をピアノ伴奏で3題まで通しで歌ったら涙が出そうなほど気持ちが寂しくなってしまった。

「美しいけど何て悲しい歌・・・」

と思いながら作詞者を見ると与謝野晶子

「君死に給ふことなかれ」のあの歌人

戦時中、戦地に行く弟に大胆に生きて帰って来いと歌ったあの歌人

 

「えっ?もしかして・・」

と言う私に先生が

「そう・・弟さんが戦地から帰ってきてやがて死にゆくさまを看取りながらの歌のようです。」と。

 

興味のある方はユーチューブで一度聞いてみてください。

ゆったりと歌える歌だけど妙に寂寥感が胸に迫るのだ。

こんな歌があったのね。

 

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さて・・今日は一人外国の生徒さんをご紹介しよう。

海外からの交換留学生の方。

詳細は控えさせてもらうが、日本文化・・特に江戸期の頃を勉強中。

しかし、母国に帰られればその国で何本の指に入る有名な外国語大学の日本語教師

日本人以上と言ってもよい位日本語が堪能。初めて私にメールをくださった折、敬語や丁寧語が非常に適切に書かれているだけでなく、難しい漢字や熟語も駆使され頭の良さを感ぜずにはいられない語彙力を感じた。勿論その時に日本人ではない・・などとこれっぼっちも思わなかったのは言うまでもない。

「日本語だけを習っても人に教えるには不十分」

「背後にある日本文化や芸能をもっと理解しなければ」

と感じ日本文化そのものに傾倒され挑戦されている。

華道はもとより、邦楽の尺八も何年か習い続けていらっしゃる。

お箏や篠笛、三味線を選択されず尺八に特化されたのも頗る渋くていい。

そして舞台に立つ時に「自分で着物を着れなければ・・・」と和装組曲の門を叩かれたのだ。日本人でさえ自分で着物を着られなくても放置しているというのにである。

彼女のあまりにも優れた日本語能力を考えると、私との間に言葉の壁は無い。しかし着物用語などを教えていくうえで本当に5回で着物を着られるようにできるかとふと不安がよぎる。しかし、必死で頑張るという彼女の必死さにやってみようと私も心を動かされたのだ。

早速まず1回目までに着物のたたみ方を覚えて来てもらうことにした。

 

そして一回目は時節柄「浴衣」・・・のはずだった。

しかし30分もしないうちにパーフェクトに自分で着られた。

しかも何回か実にスムーズに。

この人は既に会得したな、と思う。

 

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「物凄い集中力だね」

という私に

「HPを見てこの先生には中途半端ではだめだ、と思ったしその方が自分自身しっかりしたスキルを手に入れられると思ったので和装組曲を選んだのです。だから兎に角必死です。」

と。

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浴衣・・としては着物も帯も実に見事。

一目で観光客だと分かる様なそんな着方やチョイスはしたくなかった・・と言うだけあり、流石である。

 

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この二枚の写真は私がポーズを要求したのではない。

丁度教室に居合わせた琵琶教室のお弟子さんと玄関の階段前で色々話をしているのを私が勝手に撮った時のもの。ビックリするほど仕草が自然で素敵である。特に髪に手をやる時に自然と反対の手でその袂を持つところなどは、今の若い方など教えないとできないであろう仕草ではないか・・・

 

 

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この日はこのまま浴衣で帰られた。

30分程度では一回分として教授料は頂けない。

次回着物と袋帯からにしょう。

一生懸命勉強される方はやはり教えていてとても楽しい。

 

彼女が母国に帰られるまで着物と帯をパーフェクトに自分で着られるように絶対してあげないと…と思う。彼女なら母国の教壇に着物姿で立つのも難しい夢ではない。日本人ですら中々気合いを入れないと難しい。頑張りましょう。これから時々上達具合をこのブログでお見せしようと思う。彼女のご家族や友人たちも異国で元気で頑張る彼女の姿を見られるではないか。

母国での尺八の舞台を自分で着物を着て袴をはいて写真に撮りきっと送ってくださるに違いない。着物を着た写真をきっと送りますから…とおっしゃってくださった。「あのワシントンDCの方みたいに」と。

おーーーっ、私の以前のブログも読んでいて下さったのね…ありがとっ。

 

もし皆さんの中で若い時の着物や帯で不要なものがあったら、彼女に提供して頂ければ、と思います。身長は雲龍柳と同じくらいです。この浴衣と帯は教室の備品の中から彼女が自分で選んだもの。ひっそりとしたものを選ぶのも中々どうして・・・・~♪

皆さんも応援してあげてくださいね~☆

 

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ブラックベリー