ずーっと昔、まだ私が10歳かそこらの時の話・・
いやいや、最近とみに記憶が危ないので1〜2年ほど前後しているかもしれない。
当時の私は牛乳配達と新聞配達をしていた。
学校行く前の何時間かを。
別に珍しいことではなかった。
皆貧しかったし、子供とて働くことは当たり前でもあった。
仕事が畑の水巻きか、兄弟の世話か、朝ご飯のしたくか、牛乳配達か・・その違いだけだ。
各自が各自にできる事をしていたにすぎない。
牛乳は前日夜家に届けられる。それを翌朝一軒一軒配達するのである。
新聞は朝、3時か4時かそのあたりに家に届くので牛乳配達が済んでから新聞を配達するという手順だった。
両方が順調に済むと6時半ごろとなり朝ごはんを食べ学校に行くのが日課である。
順調にいかないと学校に遅刻するか、そうでなければ朝食を食べずに行くことになる。
なにせ子供の足である。
雨も降れば雪も降る。
牛乳は一輪車に乗せ配達する。バランスを壊すと元も子もなくなる、割れるから。
新聞は自転車でも配達できるが天気の良い日に限られる。あとは歩くしかない。
そんな頃の話を二つ。
1つ目の話・・・
とにかく雪が沢山降っていた。
朝3時すぎとはいえ雪があるので明るく配達しやすかった。
ただ雪が一輪車のタイヤにからみ時々バランスを壊しそうになるのだがそこは私のこと、なんとかバランス取りながら・・上手なものである。見せたいくらいだ。
(足元が危ないのは今の年のことで、子供のころはバンバン軽やかだった。
↑ まあ誰も知らないから何とでも言える。)
段取りとしては、左手で牛乳箱の雪を払い、ふたを開け手を突っ込み空のピンを取りだす。2本同時に取りだす時は人差し指と中指を1本ずつ各ビンに入れ一気に取りだす。牛乳瓶でそのまま蓋を持ちながら右手で配すべき新しい牛乳を間髪いれずに箱に滑り込ませる。
コツはピンとピンが触れて音が出ないようにすることだ。
最後にそっと箱のふたをしめる。
なにせまだ朝早い・・家人を起こしてはならぬ。
そうやって回っているうちにとある一軒の家の前で・・・
つっこんだ瞬間、左手の小指がまるで氷にでも触れたようにひやりとした。
すぐ生温かい感触。
自分の左手を見て何が起こったか瞬時に悟った。
割れた鋭利なビンが入っていてそのガラスの先で手を切ったのだ。
指先からはぽたぽたと暖かい血が落ち、雪の上までも染めていく。
牛乳箱の下には真っ赤な山茶花が散ったような血のかたまり。
どうしていいかわからぬまま牛乳瓶をふくために用意していた手ぬぐいで箱の近辺そこら中に飛び散った自分の血をふき、とにかく新しいビンをいれた。
雪の上の血は、降りしきる雪ですぐ埋まるだろうから心配はいらぬ。
家に帰るべきか・・配達を済ませるべきか・・
家に帰っていたら配達が滞るし新聞も配達できぬ。
指の先に心臓があるかのごとく「ドクドク」と脈を打っているのがわかる。
私はその手ぬぐいを左手にきつくまき1輪車を押し配達し続けた。
家にたどり着いたときにあまりに遅い私を心配し戸口で待っていてくれた母の顔は左半分血だらけで帰ってくる娘に真っ青だった。多分私の顔はさらに真っ青だったに違いない。
二つ目の話・・・
同じころの話。
一件、村から遠く離れた家があった。
村の人たちはあまり行き来をしない家だった。
なぜかは知らぬ。子供は気にもかけない。
しかしあまりに離れているので雪の多い時はその家の配達だけで30分はゆうにかかる。最後にいつも配達した。その家のためにほかの家の方々を全部待たすわけにいかぬから。それと最後なら新聞と同時に持っていけた。
雪の多い冬だった。膝以上ある雪、誰もまだ踏んでいない雪をかきわけて行った。
吹雪いてもいたような記憶もある。
しかし遠くから見えた。
牛乳箱の上に赤いものが。
何かはわからぬ。
近寄ってみて・・・真っ赤なリンゴが一個、雪をかぶっていた。
そっと除けて空ビンをだすと手紙がついていた。
いつも遠くなのにありがとう。
いやでなければ食べてください。
とかなんとか、正確には覚えていないが、私にくれた物だと認識する内容。
新しい牛乳をそっといれた。
リンゴの上に積もった雪を払い、牛乳箱にちょっとおじぎをして帰ってきた。
この時節になるといつも思い出す。
私の「赤と白の思い出」
長いのに最後まで読んでくださり、ありがと。(深謝)