思い通りにならないということを厭という程知らされて、それでも人生を楽しんで生きたいとあがき続けた人生をまっしぐらだった。
良かれと思って選択した事が、長い目で見れば少しも良くなかったということの方が多かった。それでももがき苦しみ、あがき、七転八倒のたうち回って生きてきた気がする。
今ではこれも形見となった。
永い年月生きていたら、本当につらいことが多い。
琵琶をやってて良かったなあ、と思う日々である。
絵のごとき幸に果たして住みゐるや
幾万幾千の家々の窓
460号の人と呼びくるるナースあり
心地よきなり名前はいらぬ
病室に「面会謝絶」の札かかる
終日訪ぬる人もあらぬを
介護無きわが病床の傍らに
「月光」の曲と『雪翳』の本
わがものと言ひ切れるもの無きならむ
おのが身さへも意のままならず
病みたるは体か心か寝返れば
月光柔らにこの身を照らす
20年程前の病床での歌である。
辛いこともあるが人生を生きる過酷さを考えた時に、琵琶と短歌は生きるための杖になってくれたなあ、と。
皆、前を向いて生きるしかない人生にいる。
きっと良かったと思えるさ・・・いつか・・・きっと。
頑張っていこうなあ~・・・♪ 静かに自分自身に言い聞かせている。
来年の琵琶の演奏会は7月3日(日)・・
会場となる金城楼さんは懐石弁当を七夕バージョンで仕立ててくださるとの事。
う~ん、楽しみ。
お弟子さんたちの歌う歌はほぼ決まった。
私は何を歌うかを考えている。
今勉強しているのは「道成寺」
「道成寺」を何処まで歌えるかは分からないが、「道成寺」を歌いたいと思っている。
好きな男を追いかけて己が体を蛇体にしてまで追いかけていく・・・
物凄く際物だがなんだかとても心惹かれている。
私は女の心の中にいる鬼の部分、蛇の部分に物凄く惹かれるのである。
友達とその話をしていた日、期せずして丁度その日に「道成寺」に17年ぶりに京都から鐘が届いたというニュースを見た。このシンクロは私に「やれ!!!」ということに違いないと受け止めた。勝手にリンクさせるのは昔も今も一緒。思い込みだけで生きている女である。
本当は「茨木」の鬼を考えていたのだが、心は「道成寺」の大蛇に流れている。
私の「道成寺」、どうなりますか・・・お楽しみに。
・・・・・・ 全ての道は老婆に続く・・・・・・