和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

吉野間道

 

今回は着物の事を書くことにする。

 

f:id:umryuyanagi104:20200512061513j:plain

最近我が家の庭を自分の庭だと思って住み着いたらしき黒猫

 

 

           ☆ 「吉野間道」 ☆

 

紺屋の白袴」という言葉を皆さんは聞いたことがないだろうか?

「紺屋」というのは染物屋さんの屋号と思ってもらっていい。もっとも今は使わない。昔の話。藍色で白生地を染める業者を「紺屋」といった。読み方は「こんや」とか「こうや」とか読んでいた。それが次第に染物業者一般に「紺屋」という言い方をするようになった。「紺屋の白袴」というのはよそ様の染物仕事ばかりして自分の袴を染める間のないことから「人の為ばかりに働いて自分のことをする時間がない事」をいうようになった。私は子供のころよく母からこの言葉を聞いた。同じように「紺屋の明後日」という言葉も。仕事が忙しすぎて常に遅れがちになることから仕事を受けてもなかなか期日通りにいかない時などに使われる。着物の仕事をするようになって分かったのは藍染めの仕事は天候に非常に左右される・・ということ。自分がしようとしても天気次第で思うとおりに仕事が運ばない最たる職業だったに違いない。

前置きがものすごく長い…・・・

f:id:umryuyanagi104:20200707173855j:plain

大家族

 

 

「え?これ、前置き?」

そう、単なる前置き。何故ならここからが本題。

「灰屋」に持って行きたかった。

「灰屋」というのも「紺屋」同様仕事からくる屋号である。

今のように化学染料や化学媒染剤がない時代、「灰」を媒染剤として色を定着させたり、色止めをしたり、はたまた色を変えたりする事で染色の仕事をしていたお店。「灰屋紹益」という人はその仕事で豪商となった江戸初期の京都人である。本阿弥光悦の親戚筋に当たる方で、書、絵、和歌、など各芸事に精通ししかも当時の一流人たちと深く交流し、書物まで書いている。この「灰屋紹益」色んな逸話を残しているのだが、その中でも当時の花魁「吉野太夫」との事はとても有名。「吉野太夫」は京都の寛永三名妓と言われた「吉野太夫」「夕霧大夫」「高尾太夫」のうちの一人で、父親は西国の武士と言われている。

和歌、俳諧、琴、琵琶、書道、花、囲碁などどれをとっても達人の域だったとのこと。こういうことは尾ひれがつくので何処まで本当かは不明であるが、とにかく美しく聡明で優しい人だったようだ。大夫になったのが14歳くらいだったはず。時の関白・・この人は天皇の親戚筋であったらしい・・その関白が吉野太夫を見受けしようとしたという話もある。関白と灰屋紹益は吉野大夫を挟み張り合うのだが、結果的には灰屋紹益が見受けしめでたし・・となったようだ。灰屋紹益の養父は花魁を妻にしたというので一時、灰屋紹益を勘当したとも言われている。ただ吉野太夫の人柄を知りやがては勘当を解いたという話も残っている。その吉野太夫に灰屋紹益が惚れ込み数々の贈り物をするのだが、その一つに珍しい帯があった。その帯がこの「吉野間道」である。

f:id:umryuyanagi104:20200510090811j:plain

久しぶりのアオサギ

 

大体「間道」というのは古い縞模様のこと、室町から桃山時代あたりに渡来した格子縞、縞柄を言う。縞の一部に浮織のあるのが特徴で名物裂(きれ)である。

名物とは有名な茶人が名品と認めた茶道具をいうのだが、その茶入れや仕覆、掛け軸、表具、袱紗などに用いられた裂(きれ)を名物裂というのだが、吉野間道もその一つとされている。そのほかには有名なところで

日野大納言輝資(ひのだいなごんてるすえ)所持の日野間道

笹蔓間道、小松弥兵衛にちなんだ弥兵衛間道、聖徳太子に由来する太子間道・・・この辺りは着物二級受験する方は抑えておいた方が良い。もう少しで、今年もきもの検定だね?今年は和装組曲から二級を受ける方が4~5人いるはず。コロナの影響でどうなるかは不明だが、試験会場に応援に行くね。

 

f:id:umryuyanagi104:20200618065053j:plain

柵(しがらみ)を超えて

 

笹蔓間道と太子間道は以前ブログで写真を載せているはず。笹蔓間道はいろんなところで目にするのでそんなに珍しいものではないのだが、太子間道はまずお目にかかれない。ただ京都の和泉博山氏の工房で糸の染色から正確に復元されたものは写真で確か載せているはず。

今回「吉野間道」・・・

吉野間道は臙脂、白、茶、深緑、などの細い縞で囲まれた太い縦縞と真田紐状に織り出されている浮き織横縞を組み合わせたものといわれていて、時には格子模様もあるのだが、立体的な縞模様が特徴。

吉野間道を糸の染から草木染に拘り再現しようとされている方の帯があったのでそれをお見せすることにする。これは私好みの実に渋いものなので見ていて面白くはないだろうが、独特のこの織の雰囲気だけは伝わるのではないか、と思う。

 

f:id:umryuyanagi104:20200828100309j:plain

 

使われている染料は

「鬼胡桃」「揚梅(やまもも)」・・・白茶、茶

「矢車附子(やしゃぶし)」・・・茶も黒

「藍」「臭木」・・・青、水色

 

   ↑  このあたりの材料と媒染剤で色がどう変化するかも抑えておくべし

  これに臙脂などが入ると随分鮮やかになるだろう。又赤系や紫系を糸に入れたかったら、動物染料であるコチニールなどを使うと鮮やかな色が可能となる。

二級を受けるときには苦手かもしれないけど草木染の種類や媒染剤は絶対目を通しておくべき。もし二級で役に立たない出題傾向でも一級では必須。頑張って損なことはない。

 

f:id:umryuyanagi104:20200828100340j:plain

ちょっと分かりにくいかもしれないが真田紐状の縦横の浮き織がわかるかな

これがこの間道の特徴。

 

 

f:id:umryuyanagi104:20200828100654j:plain

 

実際お太鼓になる部分はこんな感じかな。

ただ糸も紬糸だし間道という柄からしてもこの帯は格の高いものにはならない。

ただ名物裂なのでちょっとしたお茶席にはOK。

私は江戸小紋と合わせて着る。

帯で着る。

 

黒も完全な黒ではなく、墨色に近い。そこがまたいい。

草木染は何度も何度も糸を染めて色を濃くしていくのでものすごく手間がかかる。でもそれだからこその奥行きの深い味わいがある。化学染料の黒とは一味違う。昔の方々は蚕を飼い、糸を紡ぎ、こうやって身近な植物を使って草木を煮出して、糸を染めてそして一織一織、夜なべ仕事にして織っていったに違いない。

経糸緯糸の織り成す無限の空間・・・

かすかにに感じる歴史の香り・・・

人の手作業で作られたものはどこか暖かい・・・

 

f:id:umryuyanagi104:20200514095547j:plain

 

 

千利休、今井宋薫、古田織部小堀遠州、更に松平不昧・・・

そう、松平不昧はこの吉野間道の写しを自ら中国に注文したことでも有名。

その美しさに魅せられた茶人たちをちょっと忍んで今回は「間道」について、中でも「吉野間道」を書いてみた。ではでは・・またね。

次はいつになるんだか・・・(笑)

 

と終わるはずだったのに、一つ書き忘れていたことに気づいた。

吉野太夫と灰屋紹益との間には色んな逸話がある。本当だか、作られたものだか、今ではわからないでとても多いのでなるべく脱線しないように書いたので(信じられないだろうけど、本当 !! )面白い話もいっぱいあったのだが、今回は着物優先。間道優先。そう思って横道を横目にまっしぐらに進んできた…進んできたけれどこれだけは最後に書かせて。

吉野太夫は三十代後半に亡くなった。灰屋紹益は吉野太夫より確か四つか五つ下だった。遺体を荼毘に付し全て灰にした。そして壺に入れ身近に何時も置いていたとか。そして毎晩飲む酒の盃にその灰を少しづつ混ぜながら飲んだと。最後にはすべて灰を飲み切ったというのを何かで読んだことがある。灰屋紹益の「灰屋」ならではだと妙に印象に残っている。

 

f:id:umryuyanagi104:20200511171632j:plain

ヒヨドリの幼鳥・・母を探して鳴く?