和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

琵琶の名器



琵琶は「一面」「二面」と数える。
歴史的な琵琶の名器と言われるものは幾面かある。
その中でも有名な「琵琶の名器」として三面ある。
いや多分あったのではないかと伝えられている、という方が正しいだろう。

平安時代藤原貞敏(さだとし)が唐に渡り、唐の琵琶名人と言われた簾承武(れんしょうぶ)に琵琶を習う。
そして帰国する時に秘曲と共に三面の琵琶をもらってきた。それが

   
   「獅子丸」(ししまる)
   「玄象」 (げんしょう←時には「絃上」とも)
   「青山」 (せいざん)




此の三面、物凄く美しく素晴らしい音色で色々な言い伝えがあるのだ。

例えば「獅子丸」はかき鳴らされたその音に、海の底の龍神が聞きほれあまりにも素晴らしい音なので海の底に「獅子丸」を沈ませて、ついには龍宮に取られてしまったとか・・という話になっている。

「玄象」は羅生門の鬼に一旦取られはしたのだが、源博雅(みなもとのひろまさ)が取り戻したとか・・
源博雅の友人があの安倍晴明である。それは枕草子や今昔物語に登場するようである。
又、まるでこの琵琶は意思があるかのような逸話まで残っている。
例えば琵琶を弾くその人の腕前が自分を弾くに値しない人には一切音を出さない、とか。
又、所蔵している人の家が火事になった時、その持ち主が琵琶を探すとちゃんと中庭の火が回らない所にまるで自ら逃げ出したかのように逃れていた・・・とかまるで妖怪楽器さながらである。
国立能楽堂所蔵の能装束に書かれている琵琶はこの「玄象」(絃上)そのものであると言われている。
この琵琶を題材にして作られた能「絃上」は喜多流で上演されているとのこと。


「青山」については平家物語にも出てくるし、それを題材に作られた琵琶曲としてもある。

琵琶の名手、平経正(平経政とも)は琵琶の名手であるのだが、秘曲に悩み日々琵琶を手に試行錯誤、の悩む日々。
ある日砂浜で琵琶を弾いていると、何処からともなく美しくも耳慣れない琵琶の曲。
「あのような琵琶を誰が弾くのだろう」と訝しがるもあたりに人はいない。何日も出かけてその音色を聴くことしばし。音色に誘われ近づいてみると墓一つあるだけ。どうもその墓の下から聞こえるではないか。通りすがる村人に聞いてみる。「ここは誰の墓か」と。琵琶を非常に愛した人がその琵琶「青山」と共に埋葬された墓であると。いやいやそんなはずはない、自分の持つこの琵琶こそ青山であるのだから‥と。
きっと自分の青山の音にひかれて墓の下の何某かが秘曲を自分に授けてくれようとしているのだと思い、経正は日々習いに墓に通うのである。そして経正は琵琶の名手として更に人々に知られていくのである。

この経正は天皇の皇子から授けてもらった青山をやがて死にゆく自分と共の運命をたどることを避けるため、自分がその皇子と共に過ごした仁和寺に預けて都落ちするのである。ところが討ち死にした瞬間、仁和寺に預けてある琵琶の絃が全て凄まじい音を立てて一瞬に切れ、仁和寺の僧たちが経正の死を確信するという逸話まで残っている。
琵琶では「琵琶塚」という曲名で最後この琵琶を携えて琵琶塚の前で切腹するというストーリーであるのだが。
この経正を題材にした能「経政」もある。能の場合のストーリーは少し違う。前記の唐の簾承武が絡む筋立てとなっているようだ。


ところで、あの笛の名手敦盛の兄がこの経正である。
一の谷の合戦の後、兄弟共に討ち死にしてしまうのだが、この敦盛と経正は能では同じ面を使う。
「十六」という面である。
敦盛が熊谷次郎直実に討たれた時の年齢十六歳から名づけられたという。
余談であるが、敦盛の愛した横笛は「小枝」(さえだ)といい、元を正せば上皇からの拝領のこれまた名器。その物語から作られたのが「青葉の笛」。
平家の中でも経正や敦盛の父、経盛はあまり権力や名声に恋々とせずむしろ芸能や文学、詩歌などに深い造詣のある人だった。その参議経盛の子たち、この経正や敦盛も父と同様、戦いよりも文学や芸能を愛した美しい若者であったようだ。「十六」の面は実に気品に満ち、まるで女性に見まがう白く美しい面である。清々しくも凛々しく若い最中に散っていく悲しさも見え隠れする。もう一つ付け足すと、この「十六」の面は能「朝長」にも使われる。平治の乱で逃げる途中、自分の息子朝長を手にかけたという義朝の話が材。どちらにしても若くして命を散らしていった美しい若者たちの能に使われる「十六」の面である。


この三面の琵琶の名器の他に有名なのが「無名」(むみょう)という琵琶。又の名を「天名」とも。これは拾介抄や庭訓抄に記されているらしい。あの蝉丸が愛用していた琵琶である。蝉丸に関しては百人一首の札にも書かれているので誰でもその琵琶を抱えた姿を見られたことがあるはず。元々は醍醐天皇の第四皇子であったのだとか、また宇多天皇の系列のやんごとなき生まれだとか言われている。生まれた時から盲目であったため都と大津の間の逢坂山、中でも乞食のたまり場という場に捨てられた悲運の人でもある。帝の命で捨てられたのだが、不憫に思った方々の助けで山の中のあばら家で琵琶を楽しみに成長したらしい。その蝉丸が琵琶を教えたのが上記の源博雅(みなもとのひろまさ)、通称博雅三位(はくがのさんみ)であったらしい。博雅三位は時々逢坂山の蝉丸の住居を訪ねて蝉丸から琵琶の手ほどきを受け、遂には秘曲まで授けてもらったと聞く。

物凄く余談であるのだが、能「蝉丸」に登場する蝉丸の姉宮があの「逆髪」(さかがみ)である。いつだったか私が少し前のブログで書いた。心が乱れると髪が全て逆立つという不幸を背負った狂女である。蝉丸と同様親に捨てられた不幸な女性。blogの読者から質問を受けたのでここで少し触れておこう。高貴な身分に生まれながら彷徨う姉「逆髪」と闇の世界に生きる弟「蝉丸」。能面の「蝉丸」は盲目ながら純真な少年の風貌を持ち高い身分と品性を感じさせる面である。一方「逆髪」は気品に満ちた美女ながら目の鋭さに狂乱の剣の有る面差しを宿す強い力を感じさせる面でもある。私はこの「逆髪」の目が物凄く好きである。女面で一番美しいのではないかとすら自分では思う。目力がバンバン伝わってくるくせに、実に涼しい目をした面で心惹かれるのである。

      「狂女なれど心は清瀧川と知るべし・・・・」

との詩も心に刻まれ一度見たら忘れられない面差しである。
どちらの面もきっといつか自分の手で彫ることができ、皆さんにお見せできるのではないかと楽しみにしている。
といっても、まずは十年後を目標。笑っちゃうくらいに遠大なる計画である。明日の命さえままならぬのに、まずは生きていればこそ・・・である。


今年、何と期せずして琵琶はこの名器・青山を題材にした「琵琶塚」が私の課題曲。
六月の定期演奏会で弾く予定。
そしてこれまた何と能面は青山と共に果てた経正を題材にした能で使う「十六」の面を作っている。確かに去年から作っている面だが、ずっと自分では「敦盛」の面として作っていたのだ。それが、何と・・・琵琶塚の「経正」の面でもあると知った時は全身鳥肌ものだった。
何という…縁。


十日前に檜を「ヤニ抜き」したところ。



そして紙やすりを粗々と掛けたところである。
仕上がったら真正面からお見せしようと思う。
もうしばらくお待ちあれ〜。

どちらも私の意志の入る余地はなく、琵琶と能面の師からの一言で決定された事である。
本当に凄い巡りあわせの年初めである。


ちなみによく質問されるこの琵琶の木目込み人形は、私が三十代の時にお礼に頂いたもの。
近所の木目込み人形をされているおばあちゃんが、「なんだかあんたには一番これが似合う・・」と言って。
琵琶は五十代から〜はじめ、能面は六十代から始めた。

人生は偶然の連続でもあり・・・
そして必然の結果でもある・・・


去年晦日の日に頂いた桜の一枝〜♪
ひっそりと咲いた。