和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

最近読んだ本



いつも行く本屋さんは車で15分くらいの所。
今回は往復歩いてみよう、と思いたつ。
片道歩いて45分位かぁ…

面白そうな本があったら買ってこよう。
で、行って買ったのがこの三冊。

超老人の壁

超老人の壁



養老孟司さんの本は意外と好きでチョクチョク買っては読んでいる。
大外れはなく、ちょっと天邪鬼っぽい物言いに笑いながら、又博学に舌を巻きながら読ませていただいている。
この人の頭の中はどうなっているのだろう・・何処までもいろんな知識が詰まっているに違いない。
詰まっているくせにいつでもどこからでも突然「つい!!」・・と出てくるから不思議である。
この「超老人の壁」の前の「老人の壁」も読んではいるのだが、南伸坊さんとの対談形式。
「超・・」とつくのは頂けない。「超・・」とするのは「俗」で養老さんらしくない。同じするなら「続・・」とすべき。その方が品が良い。
多分編集者が勝手にやったのだろう。こういう勝手は許してはいけない。
今回の方がとても自然な雰囲気で違和感は少なかった。
「老人の壁」の時の対談の方がどことなくぎくしゃくして互いに妙な遠慮があり互いの良さが半減していた感あり。
今回は自然な雰囲気で面白く感じた。多分南さんにちょっと事前準備がなされたのかもしれぬ。そして読む私自身も対談という形になれたのかもしれぬ。


考え方~人生・仕事の結果が変わる

考え方~人生・仕事の結果が変わる



稲盛さんの本はいつもながら勉強させていただいて本当にごもっともでそんな風に生きられたらどれほどいいだろう、と反省もさせてもらった。
人として生きるお手本のような本でもあり、いつもながら自己反省、至って濃く深し。
チャランポランと生きている身には時々こういう風な書物を読んでわが身を正し、深く反省すること必至。感謝しありがたく拝読&読了。
「なんまん、なんまん、ありがと」は薩摩風である。私は「なんまんだぶ、なんまんだぶ、あんやと」である。



蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷




今回、期せずして面白かったのがこの「蜜蜂と遠雷
いゃあ〜ここまで面白いとは思わなかった。
元々直木賞とか芥川賞とか受賞したものは本屋にドーンと積まれている。
「さあ、読むべし!!!」
とでもいうように。
あれがいけない。
圧迫感&威圧感満載。
即、興味喪失。本屋の思惑が形になっている。
「その手に乗るか!!」反発心もくもく〜。
読む本は自分で探すもの。人から指図されるべきものにあらず。
絶対買わぬ、と意固地に思ってしまう。

書架の隅にじっと埃を冠って自分を見つけてくれる人を静かに待っている本を見つける楽しみがないではないか。
だから、今まで余程のことがないと山積みの本は手に取らなかったのだが、今回は違った。

新聞で北方謙三氏が書いていた。
「水とパンのみで10時間で一気に読んだ」と。
真に迫った書評でおざなりな感じが全くなかった。
嘘ではなかろう・・・と。でもパンは食べたんだあ〜・・。
で買う気満々で本屋へ行った私である。
そもそも書評というのは若干大げさに書いてあるものが多いのでいつも余り期待をしていない。
適当な事をここまでいい加減に書くのか…金さえもらえば・・という書評もあるにはある。
ただ今回は北方謙三氏を信じた。信じるに足る・・と思った。思わせる一文でもあった。
至って素直で従順な私である。そんな時もある。



↑鳥さんはジョウビタキ

いゃあ〜物凄く面白かった。
皆さんも是非読むべし。
書架の隅に眠る本は又の機会に・・(笑)


ざっと荒筋を述べると…

国際的なピアノコンクールが日本で開かれる。
世界の天才の名前をほしいままにしているピアニストたちが100人近く集まってくる。
一次予選、二次予選、三次予選と進み本選と進むのだが、強豪たちを破って本選に進むのは誰か・・・いろんな方たちの思いが錯綜する。

  ☆ 嘗ては天才ピアニストと言われその名声をほしいままにした栄伝亜夜
    彼女は母親の死から立ち直れずピアノを弾くことすらできなくなっていたのだがこのコンクールで復活をかける

  ☆ 一時は夢見たピアニストの夢を諦め会社員として家庭を持ち静かに暮らす高島明石
    並み居る若手の中で年齢制限ギリギリでの応募。人生最後の大挑戦を期して挑む決心をする。

  ☆ 舞台映えする容貌に加えピアノはまさに格闘技とばかり、体の訓練も怠らない天才ピアニスト、カルロス・アナトール
    どんな曲も彼の手にかかれば完璧に再現され一部の隙も無く表現される優勝候補一位

  そんな彼らに加え毎回真っ赤なドレスで出場する激しい女性。
  無欲のピアニストながら徐々に本選に残ることによって周りに翻弄され、我を失っていく若者そしてその指導者。
  様々な脇役なども加わるのだが、何といっても圧巻はこの人

  ☆ 風間塵
    養蜂家の父と共に蜜蜂を追って各地を移動する。だから勿論ピアノを持たない。
    このコンクールで本選まで進めば父にピアノを買ってもらえる・・という。
    参加者がタキシードやドレス姿で臨む中、彼は白いシャツにサイズの合わないコットンパンツで臨む。
    直前まで父の仕事を手伝っていたため彼の手は泥だらけで会場入りする、そして神経集中する間もなく即座にピアノに臨む。




世界各国のピアニストが輝かしい経歴や素晴らしい指導者の推薦状をもって参加するのだが、この風間塵だけはキチンとした音楽教育を受けてはいない。音楽教育どころか学校さえろくに行っていない。しかし、彼は誰も手にしていないようなある人の推薦状を手にしている。しかも素晴らしいそして恐るべき推薦状を。

    
     < 推薦状 >
     皆さんにカザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は「ギフト」である。
     恐らくは、天から我々への。だが勘違いしてはいけない。
     試されているのは彼ではなく、私であり、審査員の皆さんである。
     ・・・・彼は決して甘い恩寵などではない。彼は劇薬なのだ。
     中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶するものもいるだろう。
     それも又彼の真実なのである。
     彼を本物の「ギフト」にするか、それとも「災厄」にしてしまうのかは我々にかかっている。

音楽の最高指導者ともいうべきホフマン博士からの意味ありげな推薦状から物語は始まるのだ。
世界中の天才たちが師事したがったのに誰一人として弟子にはしなかった、あのホフマン氏が五歳から指導したというカザマ・ジンという少年・・・数々の人を巻き込みながら参加者や審査員の嫉妬、妬み、嫌悪、好奇、期待・・・様々な思惑が交錯していく。


北方謙三氏が「パンと水」で読み切った10時間なら、私は「ワインとチョコレート」で読み切った10時間であった。
クラシックに造詣が深い方はより深く楽しめるだろうが、私のようにクラシック素養ゼロでも何の障害もなく楽しめるから何の心配もしなくてよい。
   ↑
私がプロを養成する有名声楽家の方に発声練習を願った時の事を皆さんは覚えているだろうか。
音域を見たいので、何か一曲最後まで歌える曲を・・・と所望されて何も知らない私は「むすんでひらいて」を先生の前で歌った人間である。つい二年前の事である。
嘘も隠しもしないれっきとした(れっきとした…こんなことに使っていい言葉かわからないのだが)素養ゼロのお婆である。


本選に進むのは誰か。そして本選で最高のオーケストラをバックにオーケストラに負けぬ素晴らしい演奏をするのは果たして誰か・・本を途中にして寝ることはできなかった。読み切って寝たのは次の日であった。

久しぶりに満ち足りた読書の時間だった。

      「蜜蜂と遠雷」・・・・おすすめ〜♪、後味すこぶる良し〜☆






    和装組曲の生徒さんに関しては、
         二階のロビーの書架にありますのでご自由に読んでください〜♪