和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

平忠度(たいらのただのり)

   

 さざ波や志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな
                        (詠み人しらず)

「千載集」に詠み人しらずとして載せられているこの歌は平忠度の作と言われている。
平忠度は忠盛の子で、清盛の末の弟。


義仲すでに攻登り      
都に入ると聞ゆれば
平家の騒限りなし    
西の方へぞ落ちにける・・・

平家の関係者は逃げまどい落ちのびることに騒然としていた時の事。
文武両道の薩摩守忠度は落ち行く途より突如として引き返し藤原俊成の屋敷を訪ねる。
夜中のこと、静かに丁寧に話す。

          思ひはせねど世の乱れ  
          然るに君は勅を受け 
          歌を撰ばせ給ふとか    
          腰折れなれど一首も 
          御恵みにも預らば     
          嬉しからんと巻物を 
          箙の内より取出し・・・
  

俊成に巻物一巻慇懃に渡すのである。
「箙」と書いて「えびら」と読む。
着物検定二級を受ける方は「箙」がなんであるか、一応調べておかれたし。
又、一級を受ける方は漢字も書けるようにしておかないといけない。

渡された俊成はその巻物を見る。
その中から、

     さざ波や志賀の都は荒れにしを 昔ながらの山桜かな


「詠み人知らず」として千載集に載せ、やがてもてはやされ知らぬ人のないほどに愛でられるのである。
ちなみに


    更くる夜半に門を叩き

    わが師に託せし言の葉あわれ


かつての唱歌はこの忠度のことを歌ったもの。
私はこの唱歌は知らぬ。いやいや若ぶるわけではない。
本当に知らぬ。
ただ命の危険も顧みず、かつての師に我が歌を託し西方に落ちていった武士の中に悲壮な美感を感ずるのは一人や二人ではあるまい。



今琵琶で歌っているのがこの曲「忠度」。
ちなみに台本はこんな感じ。
 



錦心流薩摩琵琶の曲はここまでなのだが、実はこの話には続きがある。

落ちのびはしたもののの追っ手に捕まるのは時間の問題。
もはや明日という日のないことを悟る。
農家を宿に借り受けようとする家来を押しとどめる。

    行き暮れて木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし


誰にも迷惑の掛からないように宿を道端の桜の大木と決めて寄りかかって夜を過ごす。
結局は朝まで持たぬ命であった。
しかしこの辞世の句を鎧下から見つけた人々は一様に涙を流したという。


一方、能では・・・・
自分の歌が「詠み人知らず」であることが成仏できぬ不満として扱われ、俊成ゆかりの旅の僧の前に現れる。
俊成亡き後、定家に名前を明かしてほしいとの伝言を頼むのである。



一刻でも早く逃げのびなければならないのに、師が勅撰を受け歌集を出すことを知り、都に引き返してまでも自分の歌一巻を師に渡す忠度・・・
戦地に笛を携え心の慰みに嗜む、逃げのびる時に愛用の笛を忘れ、取りに帰ったために御座船に乗り遅れてしまい結局は命を落とす若き敦盛・・・

武勇であることは勿論のこと、怱忙の中でも花鳥風月に心を寄せた武士のいたという佳話。
ちなみに能ではこの忠度の演者は「中将」という面をつける。
「中将」は在原業平をモデルにしたと言われ眉をちょっと寄せた色白の端正な男面。貴公子の霊に用いられるとか。
高貴で柔和な表情を醸し出す面でもある。
一つの面が一つだけの使われ方をしないというのも面白い。それはまたいつの日にか・・




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        7月17日(日)「吉野落・下」
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琵琶演奏会の日まで二ヶ月を切った。
精進・研鑽&体力維持の日々。
   


アルコールと甘味は既に絶っている。
ストイックな日々を精力的に過ごしている。



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