和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

景清

「景清」は平景清の事である。
能、歌舞伎、浄瑠璃、更に舞などにある。
景清が頼朝を狙った場面や、牢破りや、阿古屋との恋、その娘人丸との悲話など、
内容は少しずつ違うようである。そういった話をくくって「景清」と言うのであろう。


今度、福井で歌う予定の琵琶「景清」は錦心流、流祖永田錦心作である。
揺曲を題材に制作されたようである。



景清の娘人丸が、母を亡くしたあと、相模の国から遥々日向にかつては六波羅一と言われた父を尋ねてくる。
相模は今の神奈川県あたり。日向は宮崎県。
伴も付けずに女の一人旅。心細くても父に会いたいの一心の健気さ。

たしか此の辺り・・という所まで来る。




     
     
     人丸心に思ふ様、      御父君のましますは、
     人傳ながら此國の、     宮崎とこそ聞きつれば、
     たづねてみんと山影の、   賤が伏屋に立ち寄りに、
     よもぎが中のかやの屋根、  見るもいぶせき有様は、
     乞食などの住家かと、    思ふ計りに荒れたれど、
     人有る様の嬉しさに、    門ほとほとと打ちたたく 




その家こそが嘗ては六波羅一と云われた勇猛な武士景清の住みかであった。今では盲目となりひっそりと乞食として住んでいた。旅人が父を捜していると言う・・その名は景清という・・・娘の人丸だとわかる。小さい時にあったきりである。


     
     
     景清聞くより打ち驚き、   さては我が子かなつかしと、
     いわんとせしか恥ずかしや、 野末の小屋に侘ぶる身が、
     御身の尋ぬる景清と、    名乗らばさぞや驚くらむ、


心を決めて知らぬふりを決めるのである。


     
     如何に旅人、       実にさる人は聞きつれど、
     いまは何所に住むならん、 余所を尋ねて見給へや


と言うのである。


しかし、愛しいわが娘。心配も募る。
    
     
     かよわき人の夜の旅、   さぞや便なく思すらん、
     これより下は坂道ぞ、   下れば秋の萩桔梗、
     招く尾花にさそはれて、  小道に迷ひ給ふなと、
     声もおどろに乱れがち、  

 

結局その後に里人に聞きさっきの乞食こそわが父とわかる。
里人とともによろけるように道を戻り親子の対面を果たすのだ。


     
     
     我は誠に景清ぞ、     云いつつさぐり抱き寄せ、
     さても大きう成りけるよ、 別れし時はこの髪も、
     月の輪形に結ひけるが、  親はなくとも子は育つ、
     世の諺の誠こそ、     甲斐なき親の悲しやと、
     嘆くもいとど哀れなり 


 
全文をここに出したいくらいだがとても長くて叶わぬ。
かなりはしょらせてもらう。

      いで其の頃は寿永三年春三月の末つ方・・・・


かつての「錣引き」の武勇伝を今度は自ら雄々しく語ったのち、

最後に・・・・


     
      
      昔忘れぬ物語り、     おとろへ果てて心さへ、
      乱れけるぞや恥ずかしや、 老いさらばひて玉の緒の、
      絶ゆるもやがて近からん、 早や立ち帰りなき跡を、
      弔ひてたべ頼むぞと、   云えば人丸悲しさに、
      身を投げ伏して泣き叫ぶ、 里人までもさめざめと、
      衣の袖をぞ濡らしける


流人となった景清の老い衰えた気持ちが哀れでもある。
寂しく悲しく哀れだが娘を思う気持ちが何とも切なく物悲しい。



ところでちょっと余談。
父と娘の対面だが、この父の目は病気ではなくて景清が頼朝を狙った後、又頼朝を見ると命を狙いたくなるからと自分で目をくりぬいたとの説もある。昔の人のやることはちょっと恐ろしい。思い込んだら一途というか、何もそこまでしなくても・・・の世界がままある。又景清は自分はそう長くは生きられぬからと娘を国に返し、自分の回向を頼むのだが、実際はこの後ほどなく、絶食して死んだという説もある。書物を調べているとこれは実在の人ではないとする説もある。系図などが不明なので平家物語の作者が創り上げたものかもしれぬ・・とも。どちらにしてもこの景清は物凄い人気者で芝居にも色々変化させて面白く創り上げられているようだ。




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ちょっと取りようによっては気が滅入る話でもあるので花を添える意味で随所に友禅を添えた。
先代の由水十久さんの作品である。
実に緻密で細部まで手を抜かず正確無比である。
今ではこんな美術品のような友禅は中々お目にかかれない。
背景の小菊にさえ此処までの緻密さである。
黒暈しのなかに淡く薄い梅鼠色が何とも品よく美しく何処までも優しい。
濃い色や人目を引く色などほとんど使わずワントーンで・・・正確な構図と確かな技術有ればこそ此処まで魅せれる。
実物大の切手をそのまま正確に友禅で書けるただ1人の作家さんと云われる所以である。

中々先代由水十久さんの作品などお目にかかれないのだが持ち主のご好意により今回皆さんにもお見せできた次第。
ダブルクリックで一枚をアップして更に拡大して見て頂いてもその正確無比の神業は微動だにしません。

どうぞ心行くまでご堪能下さい。

着物の柄の細部まで・・・
帯の端々まで・・・
手に持つ扇子の絵にまで・・・
風になびく細くしなやかな草の先まで・・・・
小菊の花びらの一つ一つにまで・・・・
背景の黒暈しと淡い梅鼠色の暈しの妙までも・・・・