和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

海の話〜♪

今日は海の話を書こうと思う。



幼稚園の頃の話。
多分3〜4歳の頃の話。

私の祖父と父が漁に出掛けていた事は以前何度も書いている。
朝早くに2人で時には祖父だけで舟を出して沖に網を持って出掛けていた。
大漁の時など家中活気が出てまるでお祭り騒ぎでもあった。

幼くて可愛い(・・誰も信じないだろうなぁ〜・・)・・・私はいつも祖父や父が海に出かけるのを物凄く羨ましがっていた。
舟小屋から舟を三本の丸太の上を転がしながら波に浮かべ、舟が波に浮かぶとすぐ父や祖父は舟に跳び移り、家族に手を振り沖へと向かうのだ。手伝だった家族は三本の丸太とその下に敷いていたレールの役目の細い四本の丸太を舟小屋に片づけて家で帰りを待つのだ。あらかじめ決めていた時刻に家族は又浜に駆け付け舟を浜にあげる準備をする。海水をしこたま吸った舟は恐ろしく重く一つ間違えばビクとも動かないし、丸太の置き場所によっては砂に埋もれて動かなくなる時すらあるのだ。母は実に手際よく子供たちを使って丸太を移動させ素早く舟を舟小屋まで移動させてもいた。砂の上に動かなくなっていても満潮時には海に流れて行ってしまうので一気に舟小屋まで運び込みしっかりロープで固定しないといけなかった。




舟は本当に小さなもので櫓が一本か二本と言った所。
舟の下には漁で捕れた魚を一時保存する小さな場所があった。
そこで暫し入れておかないと海の上とはいえ太陽ですぐ魚は傷んでしまうのだ。
今みたいに保存庫どころか氷すらない時代であった。
大小の浮きや網で舟の中は一杯になるような小さな舟でもあった。

其の日はどうしても一緒に舟に乗ると私は暴れたようだ。
舟には女は乗せない・・誰であってもだ。
所がどういう訳か私も記憶にないのだが、祖父の片脚に私はしがみついて一緒に行く、と離さなかったようである。父が何度も私を引き放したが物凄く泣きわめき又しがみつく・・押さえる人の手に噛みつく・・・と言った始末で皆をてこずらせていたようだ。父はすっかり困り果て母に私を押さえつけさせたようである。

何としてもあの舟に乗ろうと随分母の手の中で暴れたようであるが、突然静になったとか。舟が海に浸かり父と祖父が乗りこんで手を振る、浜から徐々に離れて行く・・・流石にこの子も諦めたか・・と母は思ったようである。本当にその瞬間私の肩を押さえていた母の手を振り払い舟に駆けた。勿論幼い足、しかも砂浜・・必至である。
海水に肩までつかり舟のヘリに手を掛けた。本当に一瞬だったが私は舟に両の手を掛けた。しかし浜から離れようと舟は沖に行く。私の脚は既に地面からはなれ、何度か海水をゴボッ、ゴボッと飲みこんでいた。父が怒ったように私を見た。そして私の手を振りほどくかと思うその瞬間、祖父の手は私の脇をつかんで舟に引きあげた。小さな子供を舟に引き上げるには祖父の腕一本で十分であった。
祖父は一度ぐらいはよかろう・・・と父に言った。予想外の展開となる。
浜辺の方では一同唖然。あり得ない展開。
やったね。いつもながらの捨て身&粘り勝ち。(笑)
砂浜で母が何度でも頭を下げていたのは幼心に記憶がある。


海に出たら半日は帰えられぬ。
引きもどされる心配のない私は頗る上機嫌である。
「静に」「動くな」「邪魔するな」
どんな約束でも物凄く素直に「うん!」「うん!!」「分った!!!」と聞きわけが良かったらしい。
父も祖父も「家のなかでもこれくらい物分かりがよいと言うことないのに・・」と苦笑いしたそうである。
何と言っても舟の中以外は動けぬのだ。

沖で祖父や父が褌一つでナイフを口にくわえ何度も海に潜るのを見ていた。
波もなくとても静かな日だった。
2人とも海に潜るたびに大きな魚を手につかみ舟に投げ入れてもいた。
時には蛸もいた。
大きな蛸が黒い目で睨みつけながら私の方にふにゃふにゃと寄って来るのを足で「シッ〜シッ!!」とばかりに遠くに追いやった。
と、いうのは自分の感覚。実際は「シッ、シッ!!」と口では言う物の舟の縁に後退していたのは私の方。
あれ以来私は怖くて蛸も食べられない。(笑)
そうそう、エイもいた。
ひっくり返って舟底でもがくエイは長いしっぽをピシッピシッと打ち鳴らしそこらじゅうを叩いてもいた。
エイの口は何だか私に笑いかけているようで、ついついこちらも「は〜い!」と笑ってしまうのだ。

父や祖父は網を使い場所を変えながら、魚も何度か獲ったようでもあるがその辺はほとんど記憶にない。
ほとんど1人船の上で待つ私は段々飽きてきた。
空は青、海も青、其の間にゆらゆらと舟が1そう〜。
時々かもめやら、ウミネコらしきものが飛ぶくらいだ。
周りには誰もいないし、父や祖父は海にもぐったきりで中々出てこない。
獲れてだんだん増える魚にも飽きていた。
舟の上から海のなかを覗く・・・
何処にいる・・じいちゃん・・とうちやん・・・と。
生きとるぅ・・・・?

魚が悠々と泳ぐ姿が本当に直ぐそこに有るのである。
水は美しく透明で浅瀬のように海底が見える。
底には白い貝が点在していた。
ゆったり泳ぐ沢山の大小の魚の姿・・・
なのに手を入れてみるが魚は手に触れることすらない。
又、魚の姿が見える。
手を入れるがどうもそんな所にいないようである。
とても不思議〜。
思い切ってギリギリ、グッと身を乗り出し手を入れる。

その瞬間・・
舟がすこーし傾いたのと、手をぐっと伸ばした瞬間の私はバランスを壊して海の中に落ちてしまった。
父も祖父も海の中である。
助けを呼ぼうとする私の口から塩辛い水がどっと押し寄せる。
何度もゴポリと塩辛い水を飲む。
落ちて行く海の中で魚がすぐ近くに一杯〜・・・
私をよけながら魚は何事もなかったように泳いでいる。
それを見ながらドンドン海底に落ちて行った。
私の周りには小さな水泡が無数にわき立っていた。
その水泡が無くなるころ、私も意識をなくして行ったようである。

話が変わるが、琵琶の「壇の浦」で二位の尼が幼い安徳天皇を抱えて入水する時の語りを聞く時に、いつも私は横に沢山の魚を見ながら海の底に沈んでいったあの幼い日を思い出すのだ。「海の底にも都はある・・・・」と。



気が付いたら舟の上。
父が拾ってくれた(笑)ようである。
口から沢山の水を吐き出させてくれたらしい。

舟にお前がいないのを見て肝が冷えた・・・と父はよく当時を振り返って言っていた。
「お前に何かあったらかあちゃんに殺される」と。


お陰で二度と舟には乗せてもらえなかったし、私も乗りたいとせがまなかった。
後日談もある。
長い時間海の上で太陽に照らされ私は全身やけどのように火ぶくれになる。高熱が出て1週間か二週間近く寝込んだようである。
火ぶくれは顔と言わず肩と言わず、足と言わず全身やけどとなり幾晩か意識なく唸ったようである。熱は下がっても1か月以上も火ぶくれは治らず汁が出てかさぶたになり、それはそれは恐ろしい顔と全身となったようである。そのあたりは全く記憶にない。ただ上の三人の姉ちゃんたちは私にものすごーく冷たかった。「バチあたったんやわ」と。自分たちが乗せてもらったことのない舟なので嫉妬〜♪
おまけに私がとても可愛かったから無理もない。(笑)←初めて読んだ方、嘘だからねっ〜☆

長い間幼稚園を休み、次に幼稚園に言った私は心配するお友達や保母さんに「竜宮城へ行ってきた」などと言っていたらしい。
いつもながら至ってお気楽なものである。

「本当にあんたと言う子は目を離せない危なっかしい子だった」
「何をするかと冷や冷やだった」と母はいつも言っていた。


今日は何故こんな話か?
この意味のない長さに耐えて忍んで読んでくれた人、ありがとう。(笑)
もう見透かされているよね?
こんな本を読んだ。



波王の秋(とき)

波王の秋(とき)





北方謙三氏の「波王の秋」・・
「はおうのとき」と読む。「秋」と書いて「とき」と読ませている。
何故かは本を読むと分る。
これが実に面白かったのだ。

此の人の本は今まで読んだことがなかった。
何時だったか此の方の本を紹介する新聞の新刊案内で「典型的なハードボイルド」と書いた一文を読んだ。

私は「ハードボイルド」をチャンドラーのような非情でクールな探偵の活躍する本と勝手に思い込んでいた。今回読んで物凄い誤解であると判明。
広辞苑によれば「感情を交えず客観的な態度、文体で描写する手法」とのこと。失礼、失礼・・・長い間物凄い誤解をしていた。
まず読んだ内容も物凄く面白かったのだが表装も良かった。物凄く美しく手に吸いつくような滑らかさだった。製本も実に美しい。珍しい位美しい本だ。

あらすじとしては、歴史上元寇が二度あったのだが、三度目の元寇を阻止すべく奮闘した海に生きる人たちの話。忠誠あり、友情あり、愛国心あり、冒険あり、、何より海をこの上なく愛する人たちの真っ直ぐな思いを静に描いている。案外女性より男性の方が好きかも、この本は。私はとても引きこまれて読んだ。ああ失敗・・・今まで此の人の本を全く手に取ることすらしなかったことを痛烈に反省した瞬間でもあった。最も此の方のどんな本より私は海を舞台にしたこのストーリーだからすんなり入っていけたのかもしれぬ。
特に海の描写が一際多くて私は懐かしい気持ちが強かった。勿論玄界灘のような激しい場所など全く知らない。
ただ波の高さや激しい自然は冬の日本海を思えばいい。幾重にも連なる波の壁を想像すればいい。
あんな海に舟を出せばひとたまりもなく飲みこまれていく。

父や祖父の話などを思い出しながら自然と頷いて読んでもいた。
例えば・・
引き潮と風の流れの合わさる所に小さな白い波の三角ができる描写の所では「そうそう・・・」と読み進んだ。
その三角の角度により風と潮の引く角度が舟の上から分るのだ。
また、小さな渦や大きな渦が何個か舟の上から見えるのは実に楽しく見る分には面白いのだが、舟の進行としては避けた方が良い物凄く要注意箇所であるとか・・・
浜に一直線に舟を付けたい時でも潮の流れと浜までの距離によって舟を向ける角度を瞬時に計算するとか・・
浅瀬で舟がはまり込み助けを呼ばぬと動かぬ事とか・・
褌だけで海に入り魚を捕まえる男たちの生き生きした姿とか・・・
海に生きる男たちの領分と、陸で待つ女たちの領分が綺麗に別れているのだが、男たちは決して女を見下す訳ではなく、互いの領分にずかずかと踏みこまぬ節度や敬意がはっきりとしているとか・・
海の上で生活を営む者たちの心意気が何とも嬉しい。
海の好きな人も、海が好きでない人も、一読を勧める。


で・・・ついでだからと言っては何だが家紋にもつなげたい。
海に関する家紋・・・って何?
本当は「波」が第一だろう。
波の力強さは男性的な力強さの象徴でもあろうし、寄せては返す波は駆け引きの大切さを示唆もしたのであろう。
波紋には二種類あり、立浪と浪丸である。
立浪は齋藤道三の「二頭立波」が代表的で浪丸は浪を丸くデザインし中に兎や舟などを拝している。


左に二つ、右に三つ浪を配したのは世の中に割り切れるものと割り切れないものがあるという齋藤道三の考えを表現したものらしくこの家紋は彼のデザインだと言われている。これは以前何処かで触れたような気がするので今回は折角なので「櫂」と「船」にする。

「櫂」(かい)


「櫂」は船を進めたり方向を変えたりする時に使う。
海に関係する仕事につく方々が、海運を願って家紋にしたようである。
櫂と似ている道具には「櫓」(ろ)がある。
私の無理やり乗り込んだ舟は櫓だった。
櫂は櫓に比べ小さい。

「櫂は三年、櫓は三月」と言われるくらい櫂は上手く手繰るのに時間がかかる様である。

三つ重ね櫂


三本並び櫂


上記の本のなかでこの櫂を漕いで漕いで漕ぎ抜いて櫂を握ったまま力尽きて死んでいく男たちもいた。



「船」

宝船などもあるのだが、今回は次の二つについてにする。


木の葉舟

これはメルヘンチックで可愛い。
笹で木の葉の舟をつくり小さい時に川に流した記憶がないだろうか。

帆掛船

船には写実的な物が多いとされているのだが、過去に船や海にまつわる記念すべきことや出来事が有ったとされているか、帆を掛けて海を進むことから海事に関わる仕事についていた家とされている。

帆掛船の家紋を使用する事で有名なのは「名和氏」
隠岐島に流されていた後醍醐天皇隠岐島から脱出させ京に送り届ける役割を果たし、後醍醐天皇建武の新政を行えるように尽力したことから天皇からこの家紋を頂いたようである。
また、もう一人、大坂夏の陣で殺された長宗我部氏もこの紋が描かれた衣装で斬首されたとか。

帆掛船に波を描く家紋もある。

今回手に取った北方謙三氏の「波王の秋」、最後に一文一語含蓄のある言葉が並ぶ。
「波王水軍は自らの存在をなくすために戦っている」
「この戦いを語り継がせることすらやめよう」

フィクションとノンフィクションの境目をゆらゆらたゆたいながらひと時の海の夢をみせてもらった。