和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

旧西尾家(国重要文化財)

  

        私のブログで時々コメントを書いて下さる
        「乱読」さんのブログでご紹介の有った
        「西尾家に伝わった袱紗と風呂敷」特別展に行ってきた。

         参考までに・・・乱読さんのブログはここ・・・↓
         http://blogs.yahoo.co.jp/randokku2000




場所は大阪府吹田市・・・
京都は時々は行かせてもらっていたのだが、大阪は何年振りだろうか。
二十年は立つだろう。
ちゃんと辿り着くか物凄く心配。

吹田の駅で駅員さんに聞く。
「ちょっと・・わかりません。」と口ごもられる。
地図を見ながら別の方
「説明しづらいなあ・・」と。
あまり有名ではないのかもしれぬ。
タクシーで行く方がよさそうである。
「さあ・・・長いことこの商売しているけど、聞いたことないね〜」
タクシーの方も心もとない。
大阪の人は旧家にあまり興味はないに違いない。
で・・・右往左往しながら・・やっと見つけた、この表示。

お〜っ・・・嬉しい。きっと近くに違いない。
その路地を曲がる。

雰囲気の良い塀。このお屋敷に違いない。
そのお宅をぐるりと回るがそれらしい入口はない。
「こっちか〜?」「あっちかなあ〜?」色々歩き続けてみる。
何軒か大きなおうちがあるには有るが目指すところはない。

高い石塀の・・ちょっと刑務所っぽい・・
余りに広範囲で歩けど歩けど遠すぎる。
まさか・・・ねっ。何度も近くを素通りする。
私の感覚では最初から度外視していた。

ところがどっこい・・・・場所はここしかないとまで言うくらいに歩き回る。
物凄い敷地なのだが全て石の塀が何処までも続く。

あとで聞いたのだが、近くの川がよく氾濫するため水害から家財を守るために、又その川を利用して荷物や米を運んだことからこんな塀になっているとか。
なる程・・・話を聞いて納得。土地土地の地形や置かれた環境というものは中々行ってみないと納得しづらい。


塀にはこんな箇所まである。

川を利用して此処まで舟を使って運び、荷物を屋敷内に入れたに違いない。
確かに…庄屋さんならさもありなん。
自分の旧家のイメージ一新〜。
何処までも続く塀そばを歩き辿りついた玄関。

さながら時代劇に出てくるお代官所


玄関に辿りつくまででこのブログの長さ〜・・・(笑)
しかもその日は着物姿。あはっ〜♪

流石に国の重要文化財の指定を受けただけあり規模が違う。
邸内を少し写真を取らせて頂いたのでアップする。
重厚な雰囲気だけでもお伝えしたいのだが…

杉板や杉戸の年数経た感が凄いね。

何だかお洒落・・・更紗の襖。
解説の方の話もそぞろにこんなところで1人反応する私。


台所・・
私の小さい頃でさえ湧水しかない台所の土間であったことを思うと、それよりはるか昔なのに凄い近代的。


広縁

上田耕甫の「富士図襖絵」
横に霞になっている箇所はきっと金箔が施されていたに違いない。
こんな勝手な想像も楽しい。

明治中期から昭和にかけて所々整備されたおうちにこの・・驚くべき複雑かつ整然、精密な配電盤。
当時こんな考え方や工事関係者がいたんだね?ちょっと驚き。
そういえば丹後の尾藤家行った時も確かこんな規模の配電盤があったと記憶している。

男紋は「三階菱」、そして女紋は「揚羽」
この木箱の中は提灯が入っている。
京都などの古い町屋であれば玄関から入った土間の上部にはこんな男紋、女紋のついた提灯入れの箱がある。
気を付けて御覧になると面白い。
しかもこれだけのお家方、男も女も誇り高くこの提灯を掲げて歩いたに違いない。
勿論提灯を掲げて先に歩いたのは奉公人の方だろうけど、その方々にしろ例外ではない。
家紋というのはそれほど大きな力があったのだ。

今回展示された袱紗や風呂敷はこの階段箪笥に収納されていたもの。
と、言っても全体の1/3位しかまだ開かれていないとか…
桁違いの規模のおうちである。
綺麗な紙袋や包装紙を捨てられない昔のお年寄りが丁寧に畳んで山のように保存しておくのと似ている感覚かも…
昔はこの階段箪笥、階段として「トントントン」と駆けあがったり、「ドドドドーッ」駆け下りたり・・・(笑)
そのたびに箪笥の取っ手が当たり箪笥を痛めるので取っ手に二重か三重に布が巻かれていたものだ。
取っ手を見るとその気配すらない。
こういう大きなお家では奉公人がそんな下品な事をしないように躾けられていたのだろう…流石・・と変なところで感心していた。


お庭も解説して頂きながら見て回る。

説明をして下さる方についていく。
枝折戸(しおりど)も何とも言えぬ風流。
こういう風景は何処か人を「ほっ」とさせない??
今回は何としても着物で参加見学したかった。
尾藤家の時にジーパンで枝折戸をくぐる自分の姿がちょっと嫌だったから。

しかし、感慨もそこそこに先を急ぐ。
ついていかないとお庭の中で迷子になってしまう…
ちゃうちゃう〜、そんな可愛いもんちゃうでぇ〜。
迷子でなくて迷婆やな・・1人心で大阪弁で突っ込んでいた。

何と立派な灯篭・・お庭には何とこんな燈篭が28・・・
一つ一つ形が違う、そして一つ一つが意味がある。
残念ながら聞いたのに拘わらずほとんど記憶にない。
自分の興味のないことはこんなもん・・・こんなもん・・・(笑)

四角が二つだから「二枡」と呼ばれる手水。
これは流石に覚えていた。

そして茶室へと。

茶室は二つ、後ろで水屋と繋がっている。
一つの茶室の上部に刀を掛けておく所がある。お分かりいただけるだろうか。
信長が家康を茶会の席で暗殺しようとした、という説も分るような気がする。
何が何でも刀を離さざるを得ない絶好の場所。家康が茶会に二日だったか遅れてきた訳も何となく理解できるというもの。
そんなことを秘かに思う私の心を見透かすように、
実際は刀のそばに必ず見張りの武士を置いたそうな…と説明される。

茶室の屋根には天窓までついている。

この茶室が完成したのが明治38年らしい。

また隠居所として立てられた離れには和洋折衷で構成されており以前見学した旧尾藤家とも相通じている。
外観は和風、内部は洋風、窓にはステンドグラス、応接室風のテーブル椅子の様相となっている。

離れにも茶室がある。

天井の桧垣も美しい。

暖炉もある。

サンルームまである。

屋敷の外にはなんと、防火水槽まであった。
川が氾濫しそうな時は先に水を抜き、案外此処に流れ込んだ氾濫水を貯めることも急場をしのぐ得策かも。


設計は武田五一とか・・・超有名な方らしい。
「えっ?知らない?」と驚かれた。
京都にはこの方の設計の建物が随分残っているらしい。
武田五一はこのお屋敷の娘婿でもあったとか。
解説の方は物凄い「博学」・・・・お恥ずかしい〜。
ちなみにベルリンフィルで日本人として初めて演奏した天才音楽家貴志康一の母はこのお家の生まれ。
つまり貴志康一誕生の家である。といってもこの方の名前くらいしか、それも微かに聞いたことのあるという程度にしか知らない。
いやいや・・どなたでも知っている?すんません。
私は同じ読みでも「薄学」、うふっ〜♪
すんません。お婆の「うふっ」は気色悪い。

西尾家というのは江戸時代に幕府直轄仙洞御料庄屋として村支配を任されていたそうな。
仙洞御料(せんとうごりょう)というのは上皇領のこと。
中でも先ほどの米櫃の上に書かれた11代の西尾家当主、西尾與右衛門なる人は中々の趣味人で茶道、絵画、蒔絵、陶器などに造詣が深く貴重な美術品が多く博物館に展示収納されているようだ。その解説書だけでかなりのページ数。ちなみに蒔絵師として近くに工房を構え、西尾家全般の支配人として活躍した神田雪汀は加賀の方。それも又何かのご縁。貴重な人形や着物類、髪飾りなどの宝飾品、家具調度も数多くまだ全て調査されるに至っていないようでもある。


残念ながら建物と違い、展示品は撮影禁止ではある。お見せする事が出来ぬ。お近くの方は是非〜。
私の下手な解説よりじかに見た方が良いに決まっている。
柄を見ているだけでとても楽しいと思う数々。


乱読さんもさることながら、ブログでおなじみのtakikioさんもいらっしゃる。
私達はとっても静に観覧させて頂きましたよ。
静でおとなしい私達であるからしてどなたも異論はなかろう。



最後に風呂敷と袱紗についてほんの少〜しだけ触れておく。
私は古いおうちも好きなのだが、着物好きにはこちらの方が大切かもしれぬ。

今は物を運ぶ時は紙袋を使うのが一般的だが、昔は風呂敷などを使った。
「風呂敷」を知らない方はまずいないと思うが、元々は平包み(ひらつつみ)と呼ばれていた。時代によって色々名前を変えていくのだが、室町時代に大湯殿が作られ銘々が自分の脱いだ衣装をそれに包んだことが「風呂敷」と言われた起源ではないかと言われている。江戸期には一般的となり、更に風呂場で使わなくても方形の裂地を全て風呂敷と言っていたらしい。生地としては木綿、ちりめんが多く、私達が泥棒をイメージする緑に白の唐草模様は明治後期に大流行したものとか。

一方「袱紗」。
今ではお茶をされる人の袱紗しか思い浮かばないかもしれぬが、田舎に行けばまだまだ必要とされている所も多いのではないか。大きさは色々あるがほとんどは風呂敷より小ぶりで四方に飾り房が付いている。袷になっている事と飾り房が四隅にあることは風呂敷との違いでもある。風呂敷は包むことが目的だが、袱紗は品物に掛けることが主。生地は塩瀬、繻子、ちりめん、緞子、綴れと様々だが、染めや刺繍で加飾されているものが多い。小さなものは塗りのお重に掛けたりするものから大きなものは家具に掛けたりもする。
結婚や出産など人生の大きな節目に必要不可欠であり、四季折々の行事で登場したりもする。
元々は武士の格式を重んじるところからきているのだが、江戸期末、町人も使い始めた。
よく時代劇で殿からの拝領の品に袱紗が掛けられていたり、小判の束の上に掛けられていたりするのを見たことがあるのではないかと思う。

西尾家の袱紗は豪華絢爛、贅を尽くして息を呑むようなものもある。
また濃い紺地にくっきりと三階菱だけを白く染め抜いたスタイリッシュな男物も凛々しい。
中々お目にかかれない古い価値ある品、この機会に興味のある方は是非訪ねてみて下され。




金沢では袱紗は結婚祝いのお饅頭や赤飯の入ったお重の上にかけられ各家に配られた。
また、お嫁さんがもうすぐ赤ちゃんを産む・・という挨拶、赤ん坊が生まれたという報告、又折々の節句の時、新築の時、厄年の時、色んな節目節目に親戚縁者、地域の方々に輪島塗のお重に赤飯やお饅頭、お餅、等を入れ家々を回ったものだ。親戚の子供たちや娘さん等が総出で配るのだ。何時だったか、そのお饅頭配りの時に着物を自分で着たいからと習いに来られたのがコメント名「おもだかさん」。別名「お饅頭配りの女」さん。そうやって機会を見つけながら子供も娘もお嫁さんも親戚に出入りして覚えてもらうのだ。能登ではまだまだ残っている。
また頂いた家は「確かに頂きました。有難うございます。」と今度はその袱紗を裏返しに使い中に金品などを入れて返したものだ。お祝いのあるお家では台所には沢山の塗りのお重と袱紗のかかったもの、風呂敷に包まれたものが集まるので、中の空のお重が一目でわかるのだ。裏返された袱紗の物を又新しくお赤飯やお饅頭を詰めて又配り歩くのだ。私は子供のころそのお祝いのお重を配るのがとても好きだった。頂いた各家からのお返しのお金などを配り歩いた人たちに分けられとても高額なアルバイトになったから。昔の良き風習だがもうそんな風習をしている家は金沢市内ではほとんどないのではないか。

もしたとえそうやって訪ね訪ねてお持ちしてもびっくりするような応対をされる事がままある。
例えば赤飯の入っていたお重をごしごしと洗われてタオルで拭いて返してくれる・・とか。
本人は洗って返すのが礼儀と思うのだろうが、輪島塗のお重は傷だらけとなる。
またお礼に石鹸をお重に入れられて返されたことがある。
匂いが付いてその日はもうそのお重は使えなくなってしまった。

返してもらうにも返してもらうで作法があるのだ。
今では教えてくれる年寄りもいない。
だから輪島塗も袱紗もドンドン飾っておくだけのものになる。しまっておくだけのものになっている。
道具は使ってなんぼである。
正しく使えば元々が美術品であり芸術品。
使う人も目が肥える。
しかも何かイベントがあるたびに色んな品を見られるのだ。
だからこそ、使わせて見せて頂く人も作法が自然と身について来るのではないか。
本当にキラリと光る存在感のあるものを知ってほしい。身近に感じてほしい。
そして数は要らないから、いい物を持ってほしい。
たった一つでいいから本物を知ってほしい。
そう思いながら展示品を眺めさせて頂いた。



使い方を我が家の袱紗でお見せしよう。

大きさが分って頂けるよう畳の上に。
百年はたっていない。ほぼ80年〜90年位。

四隅の房は紅白の糸で亀をイメージしているようだ。
絵柄が「鶴」、房が「亀」、合わせて「鶴亀」なのだ。

裏には刺繍で家紋。

小さいのもある。これで50年位。

知らない方の為にちょっとどんなふうに使われたか実演してみる。


大きな風呂敷の時もあれば、大きめの包める薄手の袱紗の時もあるのだが、

お重受けの塗りの皿には直接お重を置いて移動するのは傷が付くので小さなそれ用の家紋の入ったお座布団を敷く。

そして輪島塗のお重を置く。
一段の時もなくはないだろうが大抵は縁起を担いで良いことが重なるように二段。


こんな風に包んで・・・・

最後に袱紗を置く。
分りやすいように少しずらして写真を撮った。

これを晴れ着を着た子供や娘さん、お嫁さんが配るのだ。
今では運転するのは親戚の男性陣。
お饅頭やお赤飯を受け取ったお家では開けかえて中を空にする。
塗りのお重は絶対洗わない。
そのまま包んであった大きな袱紗を裏返して受け取ったことを知らせる。
玄関で待っている女性に返す・・という段取りである。

(風呂敷かわりにお重用に使った袱紗は大きな人形ケースに掛けられて嫁いできた)
もし包んであったのが風呂敷であれば上の袱紗を裏返す。
そんな時の風呂敷は必ずその祝い事のあったお家の紋、又は名前が入っているものだ。
お礼はのし袋に入れてお重の中に入れるか、もしくは袱紗を裏返して包んだりする。
決して表側を上にして折らないのは袱紗の糸を痛めるからだ。
大抵の場合上の袱紗が小さいので中表に二つ折りして中にのし袋を挟んだりする。
また、風呂敷代わりに使うとしても、大きな袱紗は決して結んだりしない。
嫁いだ家も実家もほとんど変わらなかったので案外この辺の風習かもしれぬ。
あくまで我が家流である。念のため。
我が家は違うわ・・・という方は教えてたも〜♪
地域によってその違いを知るのも又楽し。。

そんなことより大きな袱紗はあろうことか現在琵琶に掛けられている。(笑)
何の飾りや加飾もされていなくても大きく実家の紋が染め抜かれている。
琵琶が枕にしているのはお重受けの塗りの皿に敷く家紋入りの座布団さ〜。




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お時間を作って頂いた乱読さん、博学のボランティアガイドのおじさん、受付のお綺麗なお姉さん方、有難うございました。
またtakikioさん、昨秋の京の名工展以来の再会でしたね、有難うございました。
色んな土地の文化に触れ一時豊かな香りに包まれて楽しゅうございました。

自分の心に風を入れる必要は着物も一緒。
色んな催しに面倒臭がらないで参加しなければ・・・
年と共に出不精になって行く私でしたが心も新。
関係した皆様にこの場をお借りして心よりお礼を申し上げます。

本当に有難うございました。(拝)


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・・・・・・・・・・・・・・今日の一枚〜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




              「食事中」








賀茂川にて4/4写す。
雰囲気としてはマガモかな?
見えるのはお尻だけに
    「しりません〜!!」なんてねっ。。。。。無理にでも笑って〜♪