和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

玉の輿〜♪

どうしても受けたい勉強会があり、京都へ・・・・
いっぱ〜・・〜・・〜い、書きたいことあるけど、皆カットする。
バサバサ・・切る。遠慮なく切る。
でないと物凄い量になるので。

18日午後自由になるには三時間しか時間がなく、どうしても行きたかった所を大急ぎでまわる。その話。

まずは・・ここ。
京都へ来たらいつも必ずと言っていいほど行く店。
老舗の扇子屋さん。
一階でも二階でも気のすむまで私を放っておいてくれる。
とっても居心地の良い店。


秋の扇子がずらり・・・
このお店は毎年一回は来る。
十年以上通っているかもしれぬ。
お店の方も覚えていてくれてありがたい。

チームのメンバーの一人ひとりの名前を入れてもらいながら品定め。
友人にも買う。勿論名前入り。男性の扇子は女性の和装扇ほど高くはない。
男性は煽ぐだけなので。。堪忍〜・やわ・・〜☆
この日は三十分で十本の扇子を決める。
一本一本名前を入れてもらうとあっという間に時間がたつ。

この名入れの職人さんだけでも一ブログ書ける。
物凄くいい人。
今回ははしょる。
かっ飛ばす。
出ないと終わらない。
これから仕事だから。

で、その足でどうしても今回行きたい所があった。

まずは「太秦」(うずまさ)・・・
皆さん、太秦って映画村を想像するでしょ?
私の場合は「広隆寺」。
勿論弥勒菩薩像もいい。
私は

広隆寺そのもの。


聖徳太子が渡来人の秦河勝(はたのかわかつ)に建てさせたお寺。
河勝さんは川勝さんとも書く。

この秦氏は当時一大勢力を持つ朝鮮出身の方。
しかしながら京に織物技術を伝えてくれた方でこの人がいたから西陣があったと言っても過言ではないだろう。
太秦」(うずまさ)は聖徳太子の「太」と秦氏の「秦」を合わせて作られた場所。
一度はちょっと訪れておきたかった。

次に「蚕の社

丹後へ行った時もそうだったけど、沢山の蚕の命の犠牲の上に成り立っている絹織物産業である。
養蚕をしていけることを蚕に感謝し祀っているのだろう。
私も神妙に頭を下げる。

そして今回一番見ておきたかったのがこれ・・・

今宮神社・・・・

この神社の向って左側に「織姫神社」が祀られている。

分かります??

両脇、「杼」(ひ)の形をしている。
向って左側は木の陰で良く見えないが右は分かっていただけるはず。。
織物を織る時のあの「杼」(ひ)である。
書物で見てはいたが実物を見てみたかった。

西陣の方々は織物に関係することをとても大事にしてきたことが分かる。
物凄く飛ばして、飛ばして書いた。
三日間完全に休んでいたので今日はとても忙しいのだ。
仕事が多いのではない。自分がトロイのだ。
中々「はかがいかない」のだ。
お婆のすること・・・とかけて、お寺の引っ越しと、説く。

その心は・・・
「いつまでも墓がいかない」。。。
う〜ん、今一つかあ。。
「し・・・・ん〜!!!」やろなあ、まあいいさ。
今日は皆の反応まで気にしていられないのだ。


ところで何故、今日のブログが「玉の輿」かって??

それはこの今宮神社の話。

昔・・・江戸時代、この西陣の八百屋の娘、お玉さん・・・
時の三代将軍家光に見染められ側室になった。
お玉さんが産んだ男の子が五代将軍綱吉である。
お玉さんこそ、一大権勢をふるうあの桂昌院である。
のぼりつめた権力の座ではあるが、自分の生まれ育った西陣の振興を願い神社を新しくする時に莫大な寄進をしたそうである。
俗に言う「玉の輿」は
八百屋の娘から天下の将軍御生母となった、このお玉さんからつけられた言葉。

で・・・・

養成コースのメンバーには「玉の輿」を願ってお守りを買ってきましたよ。
勿論皆さんの為、お祓いもしてきた。
勿論独身者だけ。(笑)
家庭争議になるのは困るでしょ?

なんと西陣の裂のお守りの上には「玉の輿祈願」と金糸で織りだしてありますよ。
ただ本人の見る前に皆さんにお見せできないので袋にいれたまんま・・・

このブログ見ている方々・・・欲しいでしょ?
私だって貰えるものなら欲しいさ〜!!!(笑)

独身の方・・・・・お楽しみに・・・・〜♪・・・

菩提樹の実・・・・
なんとなく境内で見つけれて嬉しかったので・・・おすそ分けさ。