和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

右手の痣・・・

フェアではなかった。
人の事を書いていた私。
本当はこちらを先に書くべきだった。

で・・・今日は自分の事。

      「 痣(あざ) 」 

私の右手には肘までの痣(あざ)がある。実に見苦しい。いや嘗てあったいうべきか。
今はほとんど目立たない。
右手が長い年月の間に焼けてというより焦げ付いてまさに地色と一体化〜(笑)
ちょっと見に、右手全体が車の運転でかなり焼けたように見えるだけ。

幼稚園の時、三歳の時か四歳の時。(私にもこんな時があったのだ、とっても可愛い子・・だった・・・・はず〜)
今まで自分の右手に痣があることも、それが物凄く醜いと言うことも私は全く無頓着だった。
それまで家族ばかりの中でいたせいもあるし、日常生活なんの問題も生じなかった。
ところが幼稚園に行くようになってある男の子が突然言った。
「手を洗ってこんか!!汚くて手をつなぎたくない〜。」
とかなんとか。
その時初めて認識した。
私の右手は痣で皆と違う、と。

「きゃー、うつるよ〜」と。
その日から幼稚園の行きも帰りも誰も手をつないでくれなくなった。
みんな「おててつないで」なんぞを歌いながらの帰り道〜♪。
私は一人ポツンと後ろから歩く・・
どうしたらこの痣がなくなる?そんなことを考えながら。

で・・・ある日閃いた。
お母さんがタワシでジャガイモを剥いているのを見て・・・

あれを使おう・・たわし。
誰もいない時こっそりと準備。
自分の考えに有頂天〜♪
(私って天才♪・・・はこの時からかも・・)

手をタワシでこすった。
鍋の底を磨く砂をいっぱいつけて。
段々赤くなり、皮がむけて行く。
よしよし・・・いい調子〜♪
痛くても我慢する。
綺麗な手になるためだ。
美しい皮になるためだ。
そしたらあの子とも、あの子とも手をつなげるぞ。
我慢しよう。

皮がむけ、血が出てもこすり続けた。
余りに痛くて途中我慢できなくなった。
今日はこれくらいにしよう〜。
   (三歳の時の根性はこんなもん・・こんなもん・・)

富山の薬箱から薬を探す。ヒリヒリするのだ。血も出てくる。砂が皮の中に一杯入り込んでいる。
勿論三歳の子供に漢字が分かるわけがない。
どんな薬を付けていいかも分かるわけがない。
何時だったか爺ちゃんがこの薬はとっても良く効くといっていたぞ・・・熊の模様だった。
今思えばお腹の薬「熊のい」だった。

一袋開けて手にすりこむ。
まだ痛い。二袋開けてすりこむ。
とうとう三袋開けて手にすりこむ。
摺りこむたびに砂が一緒に入り込む。

こんなに薬を使ってしまって、きっと爺ちゃんに怒られるぞ・・と思った。
ここで母に見つかってしまった。

訳を話す。
こんな汚い手はやなんだもん!!・・と。
手をつないでみんなと一緒に帰りたいもん!!・・と。
一人ぽっちで幼稚園行くのやだもん!!・・と。
当時は保護者が田畑で忙しいので子供たちは子供たちで皆で隣村まで長い距離を通っていたのだ。

母が突然私を抱きしめて声を殺して泣いた。
私は母の顔を覗き込んで尋ねる。
「この薬は使ったら駄目なんか?物凄く高いんか?かあちゃんが爺ちゃんに怒られるんか?」と。
更に母は泣いていた。

私の手を綺麗に洗って確かオロナイン軟膏か何かを塗ってくれたと思う。
そしてはいていたモンペの腰ひもに引っかけてある手ぬぐいをピーっと裂いて包帯のように巻いてくれた。
当時は真っ白い包帯は診療所に行かないとなかった。
夕食の時だれも私の手ぬぐいを巻いた手の事を聞かなかった。
絆創膏一つ付けていても「ドジ!!」とか「トロい!!」とかいって笑うくせに。

私は新しい皮が張って今度こそ美しい皮が出てくるのをワクワクしながら待っていた。

傷にかさぶたもできたころ。
珍しく父が私を呼び一緒に風呂に入ろうと言う。
いつも父や祖父は初めに入る。最後に母が入るので私たち姉妹は間に入るのだ。
いつも私は姉と入っていた。

最初にお風呂に入れる・・というのは嬉しいぞ〜。
何だかちょっと偉くなったような気分〜。
その父が風呂の中で私に聞いた。
「手は痛くないか?」と。
「うん!!大丈夫さぁ〜♪」と。
何せ私はルンルンだった。
新しい皮膚が出てきたら右手と左手は同じくらいに白いはず。
これで皆と手をつないでもらえる。
もし左手より綺麗だったらどうしょう。
今度は左手もタワシでこすらんといかん・・・なんて嬉しい心配なんぞもしていた。
お気楽なものだ。

その時に父は話し始めた。

「父ちゃんはな、男の子が欲しかったんや。」と。

父が何を話そうとしているのかはわからなかったし、私は全く興味もなかった。
ただ湯船にかさぶたになっている右手を付けながら私は美しいおててになるぞ・・・とほくそ笑んでいた。

父は誰に言うともなく話続けていた。

最初の子供は男でも女でもいいと思った。女だった。
でも次の子は何としても男の子を欲しかった。でも女だった。
三番目こそ、虎年だったので雄々しい男の子を望んだ、やはり女だった。
村中の人の話のタネになった。あそこの家は男は無理やなあ・・・と。
でも仕方のないことやと思ってもいた。
誰のせいでもないことやから。
四番目の時は根っから諦めていた。
男でも女でもどっちでもいい、元気な子であればと。
で私が生まれた。

この時数日違いで、男の子を産んだ人がいた。
その人は母と同じ町から嫁いでいたとか。
その人はとても美しい人だった。
しかもその人は上の子も男の子、今度も男の子だった。
そう・・・その人の屋号を聞いて私に「汚い手や!!」と言った子だと分かった。

産後しばらくしてその人が道で会った母に言ったとか。
「あんた、又女の子だって?かえっこしてあげようか?」と笑った。
母は悔しくて家に帰って泣いたそうだ。
「あの子は、そんじょそこらの男に負けんような子に育てる」と父や祖父に言ったそうだ。

「あの子って・・・あたいのこと?」
と父に聞く。
父は高らかに笑い、そうじゃお前じゃ。

そして父は私の目を見てこう言った。
「強い子になれ!!小さなことでメソメソすな。母ちゃんを泣かすな!!」と。


母が私を抱きしめて声を殺して泣いたことも、父が私に言ったことも私はよくわからなかった。
小さなことが何を指すのか、メソメソがどういうことか、も。
「ふ〜・・・ん」と人ごととしか受け止めていなかった。
なにせまだまだとっても可愛い可愛い三歳なのだ。
   (本当に可愛いかったかは誰も分からない。それがいい。何とでも言えるから。)

私の関心は右手の皮だけだった。
私は右手が治るのを待ちに待った。
かさぶたは・・・やがて剥けてくる。
明日の朝には美しい右手のはず・・・。

が、かさぶたがはがれると下から同じ痣の皮膚。
しかも地色は白いどころか赤かった。
前よりも更に醜い皮膚だった。

   



幼稚園の帰り、皆手をつないで帰る後ろをトボトボと一人歩いていた。
その時はそれがもういつものルールのようになっていた。
同じ部落に帰る子は全部で13人いたのだがいつも12対1の構図となっていた。


  もう一回タワシでこすらんといかん・・
  又痛い目に会わんなんけどしかたないなあ・・・
  きっと何回もせんとあかんのや・・・

力なく自分に言い聞かせていた。
あの痛いのをもう一回せんといかんのかぁ〜。
しかたない、我慢せんといかん。

その時例の男の子、
「うつるぞ、うつるぞ、近よらんとこう」なんてはやし立てる。
執拗に何度も繰り返しなから、私の回りを回る。
誰も止めない。
一人に対して皆でまるで団結しているようにも見えた。

本当にその瞬間だった。

今までの事が私の中で皆つながった気がした。本当に一瞬だった。
点としてあった記憶・・・が線で綺麗につながった瞬間だった。

    
    この手は治らんのや・・・
    かあちやんの泣いたのも・・・
    とおちゃんの話も・・・
    右手の手ぬぐいについても姉ちゃんたちが一つもふれなかったのも・・・
    爺ちゃんの大切な富山の薬を山ほど使ったのに一つも怒られないのも・・・
    
皆つながって行った。
私の中でパラリと何かが変わった瞬間だった。
黒や白のオセロゲームのコマがパラパラと変わって行くように。

気がついたらその男の子の胸倉をつかんでいた。肩だったかもしれない。腕だったかも・・・。記憶があやふやだ。
とにかく、気がついたら叫んでいた。

「そや、うつるぞ。これ以上あたいの手の事を言うとその顔にうつすぞ!!わかったか!!もうあたいに構うな!!」とか何とかいうことを言ったらしい。良くは覚えていないのだけど反撃に出たらしいのだ。わめいた記憶はしっかりある。
タワシでこすったことは物凄く鮮明に覚えているのに、このあたりは後日母に聞いたことなどをつなぎ合わせての記憶しかない。ただ私の事だ、こんな生易しい言葉の使い方ではなかったはずだ。
言葉の汚さは筋金いりだ。すさまじい剣幕だったらしいのだ。
もうこの手は治らないと分かった怒りがその子に噴出したに違いない。

今までは皆の後ろをトボトボと歩いていた私が、皆を押しのけて一番先を一人歩いて帰った。
ものほしそうに何時か手をつないでもらおう・・・つないでもらいたい・・と思うのはやめた。

「誰にも手をつないでもらわんかてええ。
あたいにはかあちゃんがおる。とおちゃんがおる。ねえちゃんたちもおる。そんでええ。」と。
「爺ちゃん、ごめん・・・・爺ちゃんもおった。」

その夜その男の子の家の人が私の事で、小さいくせに男を脅す恐ろしいおなごやというて文句を言うてきた。父と母が対応したらしいが私は何も言われなかった。父は陰で怒られるかとおびえる私の頭にそっと手をのせただけだった。
「心配すな、お前は悪うない。」そんな風に受け止めた。

それからは右手を一切隠さなかった。
隠してはいけないと思った。
私が隠せば母を苦しめる。
隠せばそれが欠点となり、自分の弱点となる。
弱点は晒せば弱点でなくなる。
怖いものはないのだ。
この手が汚いと思う人は友達になってもらわんでええ。近づいてもいらん。
例え一人も友達がいなくてもええのや・・私には家族がおる。
そんで十分やで、と。

そんな子供時代を歩んできた。
小学生の時は「豹」だと言われたこともある。
ピューマ」と呼ばれた時は
「格好ええ名前やなあ〜、そんなに足は早くはないぞ〜。」
と言えるまでになっていた。
今この年齢なら、ならさしずめ
「そう・・・自前アニマルプリントの女〜」というのだが。(笑)

高校時代もバス通学で田舎の中学校から金沢に変わった。
人の数もすれ違う人たちもけた違いに多かった。
乗り換えのバスはいつもギュウギュウ詰めだった。
でも半袖から醜い痣の方の手が出ても、決して隠さなかった。
右手で鞄をもてば綺麗な左手でバスの吊皮につながれるのに、決してそうしなかった。
自分に課す使命みたいにさえ思った。意固地になっていたのやもしれぬ。
いつも「強くなれ!!」という父の言葉が心にあった。
隠せばそれは母ちゃんに対する反逆のようにさえ思えた。
私は気にしていない・・・こんな痣、なんも気にしていない、という自分への宣言だった。
そして母への、周りへの、全ての人に対しての自分の意思表示のつもりだった。
隣に気になる格好いい男の子がいても、右手で吊皮につかまった。
隣の男子学生はそっと目をそらせる。そして静かに一つ横にずれて行く。
私でさえ気持ち悪いのだから無理はない。
当たり前の心理に違いない。
でも隠さないでおこう・・と決めたのだ。
この手と一生暮らしていくのだ。
ある・・と言うことで十分だと思った。


    ※ ちょっと余談・・・何時もの事 ※
  
   何時だったかTponeさんのコメント返しでちょっと触れたのだが
   「片腕のカメラマン」の方がいた。その方に初対面で「左手はどうしてないの」
   と聞いた時、ギョッとされたことがある。
   「今まで、こんなにストレートに聞かれたことはなかった」と。
   「皆、ちょっと遠慮して自分の方からは聞かない・・・ぞ」と。
   「無遠慮でごめん。でもはっきり分かるのに、それでも聞かれない方がいい??」と。
   「で・・なんで??」と。
   大笑いされた。そして色々な話をしてくれた。
   
   腕がある・・と言うだけで十分なのだ。
   もっと突き詰めればこうして生きていると言うだけで十二分なのだ。
    
    

ある時、私の横に同じ高校の制服の女生徒が乗ってきた。
つり革にその子は左手でぶら下がった。
しばらくして横に一つそっとずれて行った今までの反応とは違い、その子は目的地まで場所を一つも動かなかった。
そういう子もいるのだ・・と思い、何気なくその子の手を見てびっくり。
その子の左手には私の右手の痣と同じ痣がずーっとあるのだ。半そでの中までも。
これは嘘でもなんでもない話。こういう出会いを宿命と言うのだろう。
よく似た考えの子がいたものだ。顔を見合わせてちょっと笑った。
彼女も同じように痣を隠さずに意固地に生きていたのだ。
    (ちなみに、彼女とは今でもつきあいが続いている)


私は成人しても半袖と言う物をあまり着たことがない。
長袖の後は一挙に袖なしになる。
腕全体を絶対隠さないぞと決めた時のかすかな・・・なごり。。。

先日、教室の生徒さんに言われた・・・
「腕が細いので袖なしを着られるのですね?いいわあ・・私なんて二の腕だせないわ。」と。
「いいやろ・・皆に見せびらかしているの。羨ましがらせようと思って〜♪。嫌な性格なのよ、私〜♪♪」と。


今ではこんがりと焦げて何処に痣があったの?と言う位分かりにくい。

先日のブログの方に私はこう言ったの。


自分にいざまさか・・と大変なことがあった時、
周りの人が皆そっぽを向いたり、離れて行く中で
それでも離れず支えてくれる人が一人いるだけで凄いことよ。
その一人の人こそ、自分が全力で支えてあげないといけない人だと思うのよね。
案外と居ないもんよ、実際には。

ちょっとの事でなんやかやと言う人はほっときなされ。
そんな人は何かあったらあっという間に一番最初に離れて行くし、逃げて行く人よ。
そんな人の為に自分の人生左右される必要はないのよ。

誰が自分の本質を見抜いてくれているか・・・
誰が自分を変わらぬ目で見ていてくれるか・・・
誰が自分を最後まで支えてくれるか・・・
誰が自分と一緒に苦しんでくれるか・・・


何かがあるまで誰もわからないのよね〜

まあ・・だから人生は面白いのかもね。
でもできうるなら、ちゃんとした目を持ちたいよねと〜。

静かに黙っていつも傍にいてくれる御主人を大事にしなされ、と。