和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

一本の電話   〜part・2〜♪♪

ひと月位前だろうか・・・
一本の電話があった。

「もしもし、和装組曲です。」
と、私が出た。と、いってもうちには私しかいない。
なんとその私もいないときがある。(笑)
超零細極貧着付け教室なのだから。
私は一人で何役もこなさないといけないので。

「あのう・・・着付けを習いたいと思うのですが・・・」と。
どこかためらいがちに話すので、きっとまだ迷いながら電話してきたのだと思った。
「習うことに迷いはないですか?和装組曲でいいですか?見学してから決められてもいいのですよ。」
と畳みかけて話す私に
「いえ、習うことは迷っていないのですが…」と。

「じゃあ、何を迷っているの?」
「私はアトピー・・といか、ちょっと人前で肌を見せると他の人が不快になるほど肌が汚いのですが…そんな私が習いに行ってもいいでしょうか?もし迷惑ならマンツーマンでお願いしたいのですが・・」と。

思わず笑い出してしまった。
あなた、マンツーマンは高いのよ・・やめなはれ、無駄な出費。
「それにあなた、うちは五回で着物を着られるようにする所よ。
人の事なんか構っているほど余裕のある人はいないわよ。皆、自分の事で目一杯。
あなたもそう・・・まずは自分の事に集中しなされ。他の人が自分をどう見ようが構ってなんていられないわよ。着られるようにすることが第一目標。それに、うちみたいな零細教室、あなたが来てもどうせいつも一人でマンツーマンみたいなもの。」
と。

何年も着付け教室に行った・・でも着物が着られない
着物の師範の免許まで取った・・・でも着て外へ出られない
そんな方が山ほどいる。

冷たいかもしれないが、習いごとの所で知り合った方と仲良くしたいとか、ランチの一つでも食べに行きたいとか、チャラチャラしたこと、そんなことは二の次、三の次である。
まず、着れるようにする・・それも美しく・・自分らしく・・楽に・・
トロトロした考えでいるようなら余所へ行きなされ。
そんなところは山ほどあるのだ。


でも・・・こう付け加えた。

「見学してみたら・・・それから決めても遅くはないでしょ。
で、ここはちょっといやだわ・・と思えばやめなはれ。
金を払ってまで嫌な思いをする必要はないでしょ。
ここなら、私みたいなお婆相手にでも五回くらいなら耐えられそう・・と思ったらくればいい。
電話の前で、ああでないか、こうでないか、迷ってもらちがあかないでしょ?」

本人納得する。
でもまだ何か言い淀む。
「何?」
「来年までに着物着られますよね?」と。

「来年? そんなにかかりゃあしないわよ、いくらなんでも。
でもね・・・早く着られても、持続する努力は必要よ。それはあなた次第。」
「来年の法事にどうしても着物を着たいのです。」と。
「じゃあ〜頑張るだけね。」と冷たい私。

かいつまんで言うとそれが最初の目的らしい。
どうしても法事に着物を着たい。
パソコンで法事の着物での装い方を検索していたら私のブログに行きついた。
法事の装い・・のところのブログに違いない。
あそこには物凄くにこやかな私がいる。
残念ながら普通はあんな顔をまずしない。
当人もどんなところだろう…と不安だったに違いない。
私のブログは一年半ほど続いているのだが、それを最初からずーーーっと読んだと。
「えっ??皆??」
「はい、皆!!全部!!毎日夜中の二時頃まで・・」
これまた凄い。うちの生徒さんでも養成コースの方でも皆読んでいる人はどれほどいるかしら?

で、和装組曲に来ようと思ったらしい。
でも自分の肌の状態もあり、他の方々の前で着替えるのには物凄く抵抗があるので半年以上迷ってついに電話してきたというわけだ。

「グレーの色無地を買ってしまいました。」と。
で・・・帯は黒がいいか、供の色のグレーがいいかと・・

亡くなられた方との近しさにもよる。
「叔父さんとか叔母さんならグレーでもいいかも。
土地柄もあるので一概な線引きはできないけれど。お父さんかどなたか?」
と、聞いた私は何も考えていなかった。
まだまだ三十代位の若い方だ。
「子供の・・・」と。

思わず絶句した。
「それは・・・・」
お気の毒に・・の言葉が言えなかった。
考えてもみなかったことだから。
又、どんな慰みも嘘くさくて言えるものではない。

彼女いわく・・
物凄く落ち込んで、へこんで、鬱みたいになって、何をしてもダメで・・
子供が亡くなってその時は何もしてあげられず来年はや三回忌。
せめて精一杯、その子の為にだけ喪の着物を装いたいと思ったらしい。
「気持ちだもの、着物でなくても自分の気持ちは子供さんに届いているわよ。」
という私に、
「もう決めたし着物も買った」と。
そりゃあ又早い。
きっとじっとしていられないほど、何かしないと居られなかったに違いない。
その子の為に・・・と思うことがその方の今日と言う日を生きる力になっているに違いない。

ただ肌の事があり、習いに行くことが中々踏ん切りつかなかったようである。

高校生の時に親友から肌の事で言われた一言が心に突き刺さりそれ以来ずっと肌を人に見せずに過して来たらしい。
半袖なんてそれ以降一度も着ていないと。

自分が習いに来て他の方が不快な思いをする、又同じような不快な言葉を浴びせられるのかと怖くて習いに来る電話をかけられなかったと。
「あのね・・・何度も言うようだけど、うちは人の事に構っていられるほど余裕のある人はいないの!!」

電話口でかすかに笑い声。
じゃあ・・と言うことで見学に来た。そして習い始めた。
家で練習したのだろう。三回で物凄く綺麗に着るようになった。

最初は秘かに私はマンツーマンも視野に入れていた。
本人が他の人と一緒で もし集中できないようなら一人になるような組み方をしよう・・と。
でも誰と一緒でも実に自然にひたすらに一生懸命頑張っている。
他の方もその方に注意も行かぬ。皆必死。必死にしないと出来るものではないのだ。

たしか、うちにいらして四回目あたりか・・・
「先生、何か気がつきません??」と。
「何??誕生日?」
聞かれたら大抵誕生日かと思う単純極まりないお馬鹿な私。

「半袖!!私17年ぶりに着ました。」と。
まず実家のお母さんが驚かれたらしい。
お父さんもびっくりなさったらしいがそこは父親、何も余計なことは言わなかったとか。
職場のみんなも驚いた。「どうしたん??」

「あの長袖の下にどんな龍や牡丹の彫物があるのか・・と思われていたんやないの?」
と茶化す私。
でも、良かった、良かった。

お化粧は勿論できるはずもなく、肌を人目に晒すことを避け、じっと耐えて生きていらしたのだ。
四回目は浴衣で帰られ、そのままお子さんの幼稚園にお迎えに。
お子さんだけでなく幼稚園中の子供が集まってきて歓声をあげたとか。

「ママ、いつも浴衣でお迎えに来て!!」と。

泣けるよね。
多分、子供さんを亡くされて気丈に子供の前でふるまっていても何かの折にふっと沈み、涙ぐむお母さんを見て子供心を痛めていたに違いない。黒や紺や目立たぬ色の服しか着ないお母さんが華やかな浴衣で自分を迎えに来てくれたのだ。

      見て、見て・・・私のママを見て!!
             綺麗でしょ!!可愛いでしょ!!皆、見て〜!!

という気持ちになったのでしょう。

「ありがとう、先生。私、和装組曲に来て良かったわあ〜」と。

さもありなん・・・さもありなん・・・(笑)
まあ、それは冗談として、あなたが指しか出ないような長袖を17年間着ていたことに
きっとあなたの実家のお母さんが一番心を痛めていたはず。
「そんな肌に産んでごめん・・・」と。
親は自分の子の不幸や悲しみをみんな自分のせいに思ってしまうのよね。

お母さんは、高校生の時から長袖を通す我が娘を何ともしてあげられないと悲しんでいたはず。
出してしまえばそんなもん・・・そんなもん・・・。(笑)
開き直ってしまえば案外怖いものはないのよね。
それに、人は自分が思うほど自分の事を見ていないの。残念ながら。(笑)
それに本人が凝り固まっていた呪縛が「ふっ」と解ける時が何時かあるものなのよね。


            ・・・・・・・・・・・・・

来年のお子さんの三回忌、その日はその子の為だけに、と思うことを一つづつしてあげてください。

     一日たてばオブラート一枚の悲しみが消えて行く・・


私は辛い時そう思って生きていました。
とにかく生きて行くことです。
悲しみと寄り添って生きて行くしかないのです。
でもね・・月日というのは凄いです。
どんな人の言葉よりも魔法です。

      そして・・何時の日か美しい笑い顔がみられますようにと祈っています。。。。