和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

髪型

先日教室で髪形の話に及んだ。
成人式で背中の肩甲骨まで見えるような襟の抜きをする人の話となり歌麿や春信の浮世絵の美人画の女性の髪型にまで話が及んだ。

襟の抜きかげんと髪型はものすごく深いつながりがあるのは言うまでもない。
昔は髪をびんつけ油で固めたので油が着物の襟につかないように色々工夫されていたことなど考えるに、浮世絵に出てくるような襟足の髪を大きく(たぼ・・・とか、つと・・・と呼ぶ)張り出すと襟を抜かないと着られない。髪が襟にあたり壊れてしまうので。
逆におすべらかしのよう垂れる髪はむしろ襟を抜いては着られない。

時代劇に出てくるような襟だけに黒繻子をかけた着物はびんつけ油が掛け襟につかないような生活の知恵といえる。勿論由緒正しい方々やとても裕福な方々はそういうことをしない。主に町人、商人の庶民の場合。

で・・・今日は髪型をちょっとだけ。
ちょっと・・・というのは出し惜しんでのことではない・・・残念ながら。
知らないのである・・私が。
で、知っていることだけをちょっと・・なのだ。

まずは「結綿」(ゆいわた)
江戸時代後期の未婚女性限定の髪型。
つぶし島田に鹿の子絞りをかけたもの。
18、19歳の若い方に人気があったとか。明治に入っても親しまれた有名な髪型。



なにせ写真がない。
どこかから取ってくるすべも知らぬ。
で、おのずと「お絵かき帳」の出番である。
教室に一人歯にきぬを着せぬ大らかでサバサバした子がいる。
「先生の絵・・・下手すぎ〜」
「絵を見たら余りにおかしくて夜、笑い過ぎて寝られんかった〜」と。
「もうチョイ、なんとかならんかね〜」と。

まあ、なんでも最初は下手なのを恐れていては何もできぬ。
恐れを知らぬ私である、と思ってもらうしかない。


「てがら」と呼ぶ布飾りは、絵では鹿の子絞りを使った。年齢により若干色が変わる。
勿論本を調べていたら鹿の子絞りでなくてもいろんな色の端切れもつかったとか。

真っ赤、薄い紅色、萌黄色、水色、黄色・・と自分の好きな色になるのだろう。

この「結綿」とは別に明治に入ってよく若い方々に結われたのが「桃割」(ももわれ)
髷(まげ)のところを左右二つに分けて間に絞りや布を入れて飾ったようである。
十代女性の典型的な髪型だったらしい。


お絵かき帳には白と赤の和紙のつもり。
式典やセレモニーの時は「白い和紙」を使い、それを「丈長」(たけなが)と呼んだとか。和紙を鉛筆などを芯にしてくるくるまいて最後に芯を抜いた形。
この形は今でも七五三の時の女の子にするので案外ご存知の方もいるはず。
七五三の時は可愛く見えるように真っ赤の絞りなどを使うが。

「結綿」も「桃割」も若い女性の髪型で「たぼ」or「つと」←この字は髪の友の字のところに包むと言う字をあてた字が正しい。
皆さんのパソコンに正しく出るといいのですが・・・・IMEパットで書くと→「髱」

どちらも「たぼ」が大きくないので襟も余り抜かない方が雰囲気は合う。

一方、大正時代の既婚女性に人気のあった「丸髷」(まるまげ)
「髷」(まげ)というのは櫛の後ろの大きな髪の塊で「桃割」の二つに分けた髪の部分といえば分ってもらえるかも。


「髷」と「たぼ」の間にかんざしがついている。
それが「根がけ」という。
たとえば、冬は「珊瑚」夏は「翡翠」が一般的らしいが
年齢が言っていたら地味な色合いの物に変わっていったようだ。


たしかに絵で書くと難しい。
まあ、私も馴れていくかもしれないが、見る方も私の下手さに少しずつ馴れていってもらえたら有難い・・・・
一緒に頑張ろうな・・・と、こんな形の同意を求められても・・・ねぇ〜・・・(笑)

今でも日本髪が細々と生きているのは「文金高島田」
これは鬘(かつら)が我が和装組曲にある。
つける簪(かんざし)もある。

次回は写真で「文金高島田」をお見せしますよ〜
お待ちあれ〜・・・・