和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

沢瀉(おもだか)

先日夜の部に来られた方・・・浴衣に沢瀉(おもだか)の模様。
で・・・しばし沢瀉談義となる。

沢瀉(おもだか)は池や沢に自生する。
夏から秋に花茎が出て白い三弁の花が咲く。
人の顔形に似た葉が高く伸びる事から「面高」(おもだか)と名付けられたとか。
さて、夏から秋の物が何故夏の浴衣に描かれているか・・・
それは着物柄ではよくあること。
季節を先取りするということもさることながら暑い時期にこれから訪れる秋の趣や気配を柄に取り入れることによって涼しさを演出するため。時には冬の柄も登場することもある。

さて・・今日はその沢瀉(おもだか)の話。

本当か嘘かは知らない・・・←私の話はこんな話ばっかり・・・ごめんなされ。
戦国時代の武将毛利元就が戦の最中にトンボを見た。
そのとんぼ・・・「ツ〜ッ」と飛んで「ルッ」と止まったのがこの沢瀉の花。
   (そういえば「つ・・・〜っ」と飛んできて「る!!」ととまったのが「鶴」という落語があった。今ふと思い出した。・・余談、すんません)
蜻蛉(とんぼ)のことを「勝ち虫」というのはよく知られていること。
前田利家が縁起を担いで兜にでっかいトンボを付けたのはあまりにも有名。
金沢のお土産屋さんにはトンボの絵柄を「勝ち虫」となずけてぎょうさん置いている。

なにはともあれ、それ以降、元就・・・勝ち虫が止まったその草を「勝ち草」と呼んだそうな。
それで沢瀉(おもだか)は「勝ち草」ともよばれ武将にこのまれて家紋や兜、鎧、衣装に使われたとか。
また沢瀉(おもだか)はその葉の形が矢じりに似ていることからも、また「面高」という耳からの聞こえも出世につながりどちらかというと武士にこのまれた植物となったそうな。

このあたりも本によって諸説あり。
それ以前から沢瀉は「勝ち草」と言われていたというのも読んだ。
どちらが先か、後かは定かではないのだが・・
とにかく元就はその時蜻蛉が止まった草がえらく気に入り、縁起を担いで家紋に使ったということは確か。



ところでこれは「立ち沢瀉」の家紋。



天保の改革を行った水野忠邦の家紋。水辺に自生するこの草が水野家の水と関係するところから家紋にしたと言われている。各地に色々水野家はあるがこの家紋の下に水の流れを書き添える家紋もある。

「えっ??」毛利家の家紋の沢瀉(おもだか)の形は??

長門沢瀉といってちょっと書きにくい。
本当は各自調べていただいた方がいいのだが・・・(難しいのよね・・絵が)
まあ、雰囲気だけでも掴んでいただければ・・・(書くことにするか・・)
絵の下手さ加減を露呈してもかまわず、皆さんに分かっていただく方を選んだ私の潔さに免じてお笑いくださるな。

左右に二枚の沢瀉の葉を配置し真ん中に花を。
何だか人が笑っている顔にも見える。

ちなみに毛利家で超有名な家紋は「一文字に三星
以前にチョコレート饅頭のところで触れたか・・どうだか・・記憶が最近ものすごく怪しい。
一応・・書いておくか・・何処までもサービス精神旺盛な私であるからして。
このお絵かき帳、○が書きにくい。コピーができない。使い方下手くそな私の絵はさらに下手くそに見える。
(あくまでも自分の責任を転嫁しようと言う姑息な私・・・笑・・これぞ年の甲でなくてなんぞや・・・)

武士はいろんな家紋を持っていることは以前触れたので、ここではスルーする〜・・・ね。(笑)

ではでは・・・またねっ