「星をかたどった家紋」
月が満ちたり欠けたりする様に人生の栄枯盛衰を重ねてみたり、月に願い事をしたりと月に寄せる人の思いは様々である。「我に七難八苦与えたまえ」と祈ったのは山中鹿之助。かぐや姫が帰る月の神秘性、天空に仰ぎ見る月の朧文様や不老不死の伝説の類の多さは、まさに月が信仰の対象だったともいえる。
戦国時代の武将のかぶとの前に三日月の形が如何に多いかによっても心のよりどころとしたり、守護神にしたり、月は太陽とともに偉大なる存在であったことを物語るとも言える。
ところで私たちは○・・といえば太陽や月を連想するのだが、家紋に使われる○は星を意味することが多い。月は三日月が多く丸は星と。(勿論例外もある。毬とかもあるにはあるのだが。)
たとえば「三つ星」
三つ星はオリオン座の中央に並ぶ三つの星を表す。
中国ではこの星を「将軍星」としたところから好んで用いられた。
三つ星の上に「一」という字を入れれば「一文字三つ星」
これは毛利家の家紋。また斉藤道三の仕えた長井家もこの家紋。
逆に三つ星の下に「一」の字を入れれば「三つ星一文字」
これは渡辺家の家紋。(羅生門で鬼退治した渡辺の綱の一門)
「一」という字は「かつ」とも呼び「勝つ」に通じると武将にこのまれた。
「四つ星」
「五つ星」
「六つ星」
特に中の●が周りの●より小さいものを「星梅鉢」という。北野天満宮がそれ。
それは星というより梅に主体がおかれているのだろう。
日、月、火、水、木、金、土、の星を合わせて七曜と呼ぶ。
「曜」とは光り輝くものという意味で使っていたようだ。
その「七曜」はこんな紋
七曜は北斗七星のことを表していると言われているのは有名。
ちなみに回転する星空の中心に輝く北極星は天の運行を支配する天皇大帝の神として古代から信仰されていて日本の「天皇」という名前はそれがルーツとか。
この七曜に架空の星を二つ加えて「九曜」(くよう)とした。
この加えた二つの星によって日食や月食が引き起こされると考えていたようだ。
その「九曜」の名前がつく家紋がこれ・・・
古代インドでは、シャーマニズムとして用いられていたとか。
星の中でもこの九曜紋が一番有名で応仁の乱の細川勝元がまさにこの紋。
また長浜城歴史博物館にある石田三成の衣裳にもこの九曜紋が書かれている。
関ヶ原の合戦の時は三つ星を使用している。細川家も細川九曜紋。
平安時代にはこの九曜紋が牛車などに数多く使われたとか。
チョコレート饅頭でした。
那須与一が扇をいた時は「金色の日輪」、
聖徳太子が隋の国に出した親書には「日出づる国の天子」、
徳川家康は「金地に日の丸」の馬印、
日本人は昔から日の丸を愛してきたという歴史があり○をみたら皆日の丸に見える。
しかし家紋に幾つもの○または●があるときはまず星・・・と思ってよい。
月は三日月がおおいし、月と太陽を組み合わせたものもあるが三つ以上はない・・とみてよいかと。
着物や帯の柄に「七曜紋」や「九曜紋」がある。(帯が多いかも・・)
「日」や「月」もあれば「日月」といって月と太陽を一度に描いているものもある。
大抵は金と銀で表現されている。
参考までに「日月」の帯を。
どちらが太陽で、どちらが月かは・・語らずとも明白かと。
はてさて・・・・・
お絵かき帳では美しい円が書けないので丁度よかったわあ〜
写真を撮っているときにもすでにチョコレートの甘い香り・・・
今から食べまする。