琵琶を始めて丁度11年になる。
初めて琵琶の先生を訪ねたのが平成20年の10月。
翌年の4月に演奏会とのこと。
下手でもよいので・・・というより下手に違いないのだがそれでも「謡え!!」と言うので真っ青~!!!!!!!!!
根が小心者。
物凄く気が小さい。
針の先で突いたほどの小さな心臓に違いない。
しかし、どっこい~人には私の心臓の大きさなど分かろうはずもない。
分かってもらおうとすれには、それを阻むものが幾つかあるのだ。
面の顔の厚さ、態度のでかさ、さらに負けず嫌いの気の強さ・・・(笑)
この気の強さに関しては母がよく言っていたものだ。
「人一倍心臓が弱くて恐ろしがりな癖に、人一倍気が強い。」と。
きっと心臓の弱さを見かねて、気の強さが補おうとして人一倍健気に頑張っているのだ。
本当の私の心臓は
些細なことがとても気になり、オドオドして平常心を失ってしまうのだ。
自分ながら容易に想像できる。
上がりまくって何を謡っているか、何を弾いているか・・・・と。
そこでその時に一計を案じた。千回練習しよう。お百度参りならぬ千回成就を祈願。
千回も同じ曲を弾けば流石に何とかなるだろう。よし・・そうしよう。「善は急げ」ならぬ「千は急げ」(笑)
分からなくなっても千回も弾いていれば何とかなるだろう・・・と。
初舞台は「静」であった。演奏時間は約12分位。
3~4か月の間に千回練習した。朝起きては「正」の字を書くまで練習回数し、昼の休みを利用して又「正」の字を書き、夜は寝る前に又5回・・・と言う風に。仕事が忙しくて一日15回のノルマが達成できない時は、仕事の休みの日にもっと回数を。それで足りなければ朝更に一時間早く起きよう。周りから見ればまるで気がふれたように見えたに違いない。もっとも家族に言わせれば、気がふれているのは案外いつものこと。じっと一日を何もせずに過ごすことなどそれこそ怖くてできなかった。練習している間は心静かでいられたので。
「さあ・・・どうだ!!!出来ることは皆やった!!!」
「いくら何でもこれで失敗はしないだろう。」
とそんな気持ちで演奏会に臨んではみたが、千回の甲斐もなく・・・
何を弾き何を謡ったかすら覚えていないうちに自分の演奏は終わっていた。周りからは「回数をやれば良いというもんでない。」と手厳しい意見。確かに。
落ち込む事、一週間。食事も食べれず、何も気持ちが向かわず、ただため息をつきながらこれからどうしたら良いかと思案した。しかし他に何がでできた?心臓を大きくする方法はないかとさえ真剣に考えもした。
「回数ではない。中味だ。」
今考えれば当たり前の様な事にやっと気づく。
一回の練習の中味を充実させるにはどうすればいい?
よし、次はそれを一年間考えよう。
やっと気持ちを切り替えて来年に向けて又一から出直しと相成った。
そんなこんなで毎年、毎回私は反省ばかりしていて一向に進歩がないのだ。
何せ毎年、新しい課題が出てくるのだ。
一つ越えれば又一つ・・・エンドレスのような道。まさに精神修養だね。
それに年と共に心臓は更に更に小さくか弱くなっていくような気がする。
ここ2~3年、テレビに出してもらったり、色々な方からのコラボのお誘いだの、古民家でのライブだの…すこーし心臓のドキドキ感は落ち着いてきたかな・・と思っていたのにやはり私って駄目ねえ。。。。久しぶりに上がってしまった。
デーンと構えていればいいのにいつもチーチー、ハーハーとおどおどしてしまうのだ。
演奏会場の音響が最初からややこしかった。
最初はほとんどマイクが入らなかったのに、二人目は突然入ったり、入らなかったり。
三人目には「キーン」という金属音まで入る。
四人目には流石に客席から「何とかして」とクレームが入る。
五人目にはやっと係の方が来てくれて調整するも上手くいかない。
六人目の私の時には「マイクなしで行こう」となる。
「え~・・・・・・・・っ!!!!!!!!!」
この時は「壇ノ浦」を弾いたのだが、流石にこの会場の大きさでマイクなしで歌えるかが物凄くプレッシャー。不調ながらもマイクを使うと私の下手さがちょっとはマイクのせいにできるのに・・とまで不純な言い訳まで考えていたというのに。思いがけないアクシデントには本当に弱い私である。琵琶を抱えて舞台に上がる自分は会場の隅々まで声がいきわたる自信もなく・・・心の中で「は~ぁ!!!」である。勿論大きな声を出そうとすればするほど高音も低温も音がずれまくってしまった。(笑)ずれていることが分かればわかるほど直そうとして更にアップ~アップ~・・・。ついに舞台上で溺死した気という顛末。
一週間は立ち直れない…
演奏会の後、逃げるように帰宅したのだが、自分のふがいなさに猛省。
何があっても平常心で・・など私に関しては絵空事。
大きな会場ではいつもマイクがあるし、音響さんが待機して調整してくれているので思わぬところで足元をすくわれた感。帰りの電車に乗りながら一人寂しい気持ちに襲われていた。気持ちが落ち込み、心を占めていたのは偏に自分の声量に対する錬磨が抜け落ちていたことに対する自責の念。常日頃キチンと精進していればマイクがあろうがなかろうが、こんなにオタオタしなくて良かったのだ。責むるべきはマイクに頼り切っていた何とも目出度い自分。
勿論声楽の先生には今でも習っているのだが、これだけでは声の上下が激しくなるのが分かった。高音と低音の巾が大きいと案外この方法が歌いやすいのだが、低い音に主がある時はやはりちょっと謡いづらい。私のこの日の壇ノ浦は何とも「高音」と「低音」の巾が激しく上下してちょっと変わった「壇ノ浦」だったという感想を漏らした先輩がいたのでそれに気づかされた。
あ~ぁ、マイクのせいにして済ませられたらどんなに幸せか。
しかし、分かったからには何もせずにこのまま見過ごすわけにはいかない。
自分の大きな致命的な不足点を見つけてしまったのだから。
昨夜迫りくる台風の足音を聞きながら決めた。
私、雲龍柳は10月から詩吟の先生について発声方法を一から勉強することにした。
は~ぁ、いろんなことを頑張らないと中々先に進まないのね。。。
頑張るしかない。
又、一からのスタートです。