和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

ダウン~ & 復活♪♪♪

いゃあ~・・・・ダウンしてしまった。

最近すこーし忙し過ぎたせいか、いや年のせいか、いやいや考えもなくやたら無駄に動き過ぎるせいに違いない。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711145716j:plain

織成館の庭

 

大阪、東京、京都と仕事の合間に勉強を兼ねて彼方此方行っていたのだが、老体には少し無理だったようだ。どこかに行く時はその前と後に仕事を分散するので行く時に既に疲労が蓄積。行っている間は楽しいので直ぐ忘れるのだが、帰って来てからも仕事が押しているので結構きつい。最近では一年前と同じ仕事量は無理だと感じかなり減らしている。今回は帰る前、既に電車の中で自分の体の異常を感じていた。それでも翌日は休みを取っていたので何とかなると高をくくっていた。一晩寝ても頭は痛く、体は怠い。静かに座っていることが出来ずに一日中横になってばかりいた。でも溜まった洗濯ものを処理しないといけないし、空っぽの冷蔵庫の為に買い出しに行かねばならぬ、やらねばならぬ振込の必要な請求書も留守の間に届いている、行っていた時の簡単なレポートをまとめ…・・・なんだかんだとすることはあるにはあった。しかし、慣例にしている寝る前のビールを一口も欲しいと思わなかった時は流石に「とっとと寝よっ!!」とさっさと寝てしまった。しかし翌日は朝から起き上がれず酷い頭痛と倦怠感。「きっと血圧も高いに違いない」と。上も高いが下は三桁の血圧。仕事も押しているので先ずは食べないと・・・と少し口に入れるも嘔吐を繰り返す。何とか午前中の仕事を終えた頃、自分の体に熱のあるのに気が付く。測ると38.2度。こんな熱は何年振りかしら。3時からの仕事を終えると医者に直行。解熱剤をもらいダッシュで帰宅し飲む。6時からの仕事も終え、この日もそのままベットに倒れ込む。(笑)

 

f:id:umryuyanagi104:20190711145535j:plain

織成館の座敷から庭を見る

 

久しぶりの体調不良。

寄る年波の顛末・・・でした。

はい、誰にも言われないうちに自己申告。

「もう、いい加減に静かに暮らせ!!!」。

 

色々書くことはあるのだが、そんなこんなでブログ更新が遅れてしまった。あいすみません。大阪でのことは書かないが、京都について少し書く。

 

f:id:umryuyanagi104:20190712094858j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190712094905j:plain
inuwanさんの写真展

まずはブログ仲間のinuwanさんの写真展。二年前か三年前に案内状を頂いていてその時は「行く」と言っていたのだが、その時は琵琶の演奏会の後、体調絶不調となる。今でも記憶にあるのだが一番は声が全く出なかった。それとおしっこが出なかった。水を飲んでも飲んでもトイレに行けず体に毒素が回る。体はむくみ頭は痛く、起き上がれなかった。きっと腎機能に何がある、と思い込んでいたが全く異常がなかった。お医者さん曰く「物凄いストレスを抱えていませんか?」。私ストレスフリーの女、寧ろ周りにストレスをばらまいている。完全に治るまで随分かかったのだが、・・・結局、写真展には行けなかった。約束していて破ったことがずっと気にかかっていた。それがあったので今回何としても実現したかった。

 

f:id:umryuyanagi104:20190712102249j:plain

inuwanさん手作りの花器

 

写真展は思った通り素晴らしく目を見張った。特に私は緑一色とか、白一色が物凄く好き。だから無彩色っぽい曇り空も大好き。外にタクシーを待たせていたので20分程度で切り上げるつもりが何と1時間もいた。これがもっと自由になる時なら半日はいたに違いない。inuwanさんはきっと言うぞ。「姐さん、もう帰ってんか?」と。タクシーに戻ったころには運転手さんがいびきをかいて眠り込んでいた。どなたもこなたも迷惑をおかけしてほんにすんませぬ。

 

 

で、写真展初日に合わせて他の予定を前後に組んだ。

どれだけ私は日ごろの行いが悪いんだか・・組んだ予定がこれが又、悉く外れた。(笑)

で、仕方がない、現地に行って急遽見学をして来たというわけ。だから時間のロスが甚だしく、段取りが頗る悪かった。しかもタクシーの運転手さんとトラブルというアクシデント付。これで半日は無駄にした。こちらも意地になり何としても引きたくなかったし引くいわれもなかった。最悪の日々でもあった。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711145426j:plain

織成館の庭2

 最悪の日々ではあったが少し心温まる事もあった。

今回は一つ二つ私の心にかかったことを書こうと思う。

行ってきた処は能装束の佐々木能衣装店さんと織成館さんである。特に織成館さんでは苧麻を使った夏の生地を展示されていたのでその時の写真を随所に挟みながら書こうと思う。参考にされたし。佐々木能衣装店さんは展示されているのが有名な舞台の方の物なので写真撮影は許可されなかったので許されたし。しかし、織成館さんは特別に許可を頂いたので幾つかアップしていきたい。

 

先ずは織成館さんの工房でのこと。

 

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150047j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150110j:plain

 

 

 

f:id:umryuyanagi104:20190711152214j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711152220j:plain
織成館展示場



折角写真が許可されたので幾つかお見せしたい。

各説明は反物や着物に付けてあるキャプションから抜粋。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150133j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150206j:plain
与那国芭蕉布

芭蕉布の生産分布は鹿児島県奄美群島から与那国までのおよそ一千キロの地域の島々。そこで織っていた夏用の衣用の織物。繊維は糸芭蕉の茎(葉脈繊維)から糸を採って 糸に績んで織り上げるのは共通の技法であるが、地域によって品質の優劣 用途の違いはある。与那国さんは日常着用である。

 

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150243j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150248j:plain
竹富芭蕉布

芭蕉布はかつては琉球の日常着だった。竹富の芭蕉布は茶の経縞と綿糸を藍染めした市松取りの経絣縞を各2~3條配しているのが柄の特徴といえる。茶はテカチ(車輪梅)またはグールで染め地糸は芭蕉生成り。織りあげた芭蕉布は島の周辺で「海晒し」を行う。これは世界的に珍しい技法。

f:id:umryuyanagi104:20190711150154j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150201j:plain
八重山上布

茶絣の上布としては日本唯一のものである。紅露(くうる)くうるを擦って褐色の濃縮した染液を採りこれを島で栽培した苧麻を績んで作った糸に竹べらで絣柄となる所に摺り込むという植物染料の摺り込み絣は 世界的にも比類のない技法を伝承している。琉球民謡を聞きながらの作業風景はまことにのどかである。

f:id:umryuyanagi104:20190711150350j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150355j:plain
与論芭蕉布

沖縄県以外で芭蕉布を商品として生産しているのは与論島のみである。ここでは伝統が辛うじて一つの工房で保たれている。糸芭蕉が自生していても糸を績む難しさは現代の後継者には耐えられないものである。観光として発展している与論で手作りの織物を伝承する工房の健闘を讃えたい。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150327j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150332j:plain
宮古上布

本土復帰の後に宮古上布は国総合指定重要無形文化財となったがこの上布は琉球時代の検査証を残す貴重なもの。経、緯共に島産の苧麻を手績みした精緻な糸を絣に括り琉球藍に蓼藍を加えた藍甕で染め上げ細かな十字絣を合わせながら織り上げる。ついで「せんだく」と呼ぶ砧打ちで上布に独特の光沢を誕み出す。

これは館長さんによれば柄のはっきりしたものも保存しているから‥と言われ折角なので、と奥から出してくださる。それがこれ・・・

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150552j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150558j:plain
宮古上布と館長さん  (笑)

 

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150432j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150441j:plain
能登上布

石川県能登半島にある鹿西、鹿島、羽咋の地域は江戸後期から庶民に愛用される上布を多く生産してきた。もともとこの地方は古くから苧麻栽培を主にして、苧麻を近江上布の原料として取引していた経緯がある。現在の能登上布は解(ほぐ)し、櫛押し、ロール捺染、板締めなどの絣技法で文様を表している。

 

ちなみに能登上布は和装組曲有志で何年も前に現地に出向き見学している。興味のある方は和装組曲ホームページのアカデミーでの過去の記事をご覧ください。かなり細かく書いているので上のキャプションの説明が分かり易いはず。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150501j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150507j:plain
山北の麻布(大麻)

かつて麻布と言えば大麻の茎を績んで織ったものを指した。苧麻の物は麻上布といわれた。古代から営々とと伝承されて来た麻布は戦後になってマリファナ問題が起こり、大麻栽培が行政機関の管理下におかれた。これによって全国各地で栽培された大麻は一挙に衰退し麻布も同時に姿を消した。現在は無害の大麻を栽培しているがこの展示はそれ以前のものである。

f:id:umryuyanagi104:20190711150754j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150805j:plain
開田麻衣

かつて無形文化財指定者として開田(長野県木曽郡)畑中多美さんと共に、開田村で当時麻布を織っていたこの制作者向井ユキさんは畑中さんと畑で大麻を栽培し糸を績み布を織っていた。開田村の麻布はすでに絶えて久しい。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150847j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150850j:plain
奈良生平

奈良市近郊月ヶ瀬地域は奈良麻布の一大産地を形成していた。主に大麻を用いていたが上布には苧麻が用いられた。無地の生平を白く晒す技術も得意でこれは奈良晒の名称で全国に知られた。麻布には本製(経・緯共に手績糸使用)と半洋(経紡績麻糸・緯手績糸)の二種がある。織元は現在二軒。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150226j:plain

小浜島豊年祭用インド藍染芭蕉居衣

印度を産地とする印度藍の一種(南蛮クサフジ属)が古くから自生又は栽培される八重山地方は印度藍が生育する東の限界地点とみられる。この芭蕉衣は島の豊年祭に男衆が必ず着用していた。一つの甕で泥藍を造りこれで染める技法は戦後は島のノロ(祭司)だった大嵩ミツさんが伝承者で人々に技法を指導していた。

 

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150305j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711150313j:plain
国頭地方の芭蕉

琉球列島は芭蕉布列島でもある。人口の集中する沖縄本島では町の人々の為に本部半島今帰仁(なきじん)や国頭(くにがみ)くにがみ地方から庶民用の芭蕉布を大量に算出した。国頭地方産のものを山原芭蕉布と称し、質的に今帰仁産にやや劣ったが日常着に欠かせない縞柄を主にした芭蕉布に特徴があった。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711151956j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711152237j:plain


誰にも見向きもされない夏の着物ではあるが、すたれていくその一つ一つを私財を投じて集め展示し少しでも後世に伝えていこうとしている方々に頭が下がる。

この織成館にはこういった展示とは別に実際の工房も備えている。

 

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150406j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711151022j:plain

 

f:id:umryuyanagi104:20190711151210j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711151150j:plain



f:id:umryuyanagi104:20190711151053j:plain
f:id:umryuyanagi104:20190711151342j:plain



工場長さんから「絽」や「羅」の組織やその織り方の説明を受けていた時に「カタン、コトン」という機の音の合間から可愛い声の童謡が聞こえてきた。最初はラジオかな、とも思う。およそ工場の中とは思えない穏やかで優しい歌声だった。あちこち動いて声の主を探してみる。いたいた・・・・♪♪♪
可愛い女の子がいた。お母さんと思しき女性の横でお絵かきしながら歌を歌っている。時々お母さんの方を向いたり何かを言いたげにお母さんを確認しているかのようだ。ふと、その子が私を見た。恥ずかしそうに下を見た。
「お利口さんね?お母さんの横でお絵かき?」と聞くと
小さくうなずく。
「何を書いているの?見てもいい?」
女の子が差し出すお絵かき帳にはどうやらお母さんと思しき女の人が書かれていた。
「お母さん!!」と女の子は言う。
「そう、お母さん綺麗だもんね。上手ね?」
というと、その子は機械にかかっている美しい唐織の布を指さして
「これね、お母さんが織ったの」と。
「まあ、何て素敵なお母さんなの。」
というとにっこりと笑いどこか得意そうに又お絵かき帳に向かって俯いた。
当のお母さんは「やだわ、この子ったら」なんて言いながら愛おしそうにお絵書きする子供を見ていた。言い方は悪いかもしれないが昭和の親子の仲睦まじさを見たような錯覚に陥った。仕事の間中保育園に預けるでなく、子供もおとなしく仕事の邪魔をしないように一人で遊ぶ、それもゲームではなく絵本やお絵かき帳で。母と子の何とも言えぬほのぼのとしたゆっくりとした
時間の過ごし方がこちらの心にまでひたひたと浸透してくるようで幸せな気持ちになった。
今回見学した中で一番感動したことかもしれぬ。

目先の何某かのお金や実入りにではなく、好きな事にじっくりと取り組み、無理のないようなゆったりとした時間の流れの中で日々生きている方々の思いに触れたようで自らの生きる姿勢に大きな楔を打ち込まれたような衝撃だった。

 

f:id:umryuyanagi104:20190711150413j:plain

 

京都から去る日にホテルの新聞で・・・・

 

f:id:umryuyanagi104:20190718114812j:plain

特に全行程の中でも「綜絖」(そうこう)という工程が危機に瀕しているという。数千本になる経糸を機械に通していく作業なのだが、地味でしかも高度な熟練がいる。一人前になるには10~15年掛かるという。着物需要が落ち込んでいく中なり手のない工場ではどんどん事業継承が困難だとか。京都の観光客の増加を唱える記事もあり。ドンドン観光で稼げる産業に人は移っていくのかもしれない。

誰が悪いわけでもないのだが、とても寂しい気持ちでホテルを後にした。

 

さて、帰宅しての体調不良と戦っている間に素敵な資料が手に届いた。

それは琵琶に関して。大阪の50年も琵琶に携わっている方からのものだった。

昔の資料で私に何か役に立つかもしれないから…古い資料を色々探してくださったようだ。その中にこんな一文があった。

 

  「 琵琶は元来簡単なる構造の中に無限の妙音を含み、歌は能く宇宙の深淵なる道理を悟らしめ、飽くまで精神の修養を図る一助となす・・・」

 

私の所属する錦心流の流祖である永田錦心氏の言葉で記されたのが大正11年9月となっている。特に「飽くまで精神の修養を図る一助」という言葉にはっとさせられた。

上手に歌うとか、上手に弾くとかではなく、あくまでも自分自身の精神修養・・・という。少し動くだけで脂汗がでて、すぐ横になっていた私だが、この言葉で霧が晴れるような爽やかな気持ちになったのだ。

時々「だみ声」と陰口をささやかれ、「発声法も知らぬ」と揶揄され、すっかりめげてしょげて「辞めようか」とまで思った事もある私。それを知った大阪の大先輩は静かに後押しをして下さっているのだと思う。「負けるな!!」と。

とても嬉しく頑張ろう、と思ったのだ。

新しい気持ちで明日から着物にも琵琶にも取り組もう

 

 

f:id:umryuyanagi104:20190703181738j:plain

散歩途中で見かけたトビ

で、今日は復活。
一杯食べて元気百倍。(笑)
単純もここまでくれば目出度いではないか?
更に更に頑張りまっす♪♪♪
どんな時も雲龍柳は我が道を勝手に行く・・・・

気持で生きている人だからして。。。。