和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

久しぶりの京都~♪

何から書き出していいのか・・・

随分休んでいたので書くことが一杯。

でも端折って書くことにする。

 

仕事で行ったのだけれど仕事の合間に色々私用で回った。

能装束の復元を依頼された織元・渡文さんがが三装束制作されて織成館に展示されていたのでまずはそこに。

唐織・・・

 

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厚板・・・

 

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長絹・・・

 

 

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そこの館長さんと色々話しているうちに「かわしま織物」の「ル・コルビジェの大緞帳」の実物を見てきて素晴らしかったと聞き、翌日に是非行ってくると良いと熱心に勧められたのである。いゃあ・・一介の私なぞ相手してもらえるか、中に入れてもらえるかも不安ながら館長さんの計らいで見学に行けることとなった。そんな機会はもう二度とあるまい。迷わずにその日入っていた予定をキャンセルし朝一に早起きして鞍馬の山に。

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二時間以上の説明や解説、伝統工芸士の方とのやり取りなど充実した半日を時間も忘れて過ごさせていただいた。中は撮影禁止なのと、説明内容を色々ブログに書くのもはばかられ入り口の写真だけに今回はとどめておこう。教室の生徒さん方には追々話して上げられたら、と思う。

織物に興味のある方は宮尾登美子の「錦」をまず読まれると良い。

気に入らない緞帳に出来上がる前夜バッサリとハサミを入れたり、ミイラの鼻の穴から見つけた錦織の朽ち果てた断片から美しい錦を再現したりと錦織物に魅せられた織物師の感動の物語である。以前ブログで紹介しているはず。実に面白い本だった。何かに魅せられた人はこんなにも一途に突き進められるのかと感動する。期せずしてこんなところで緞帳の会社に見学に来れる栄誉に浴した自分は何てラッキーなんだろうと嬉しくもあった。担当者の物作りに対する熱い思いを感じながら、私もまだまだ一杯勉強しなければ・・と思いを新たにした。

  

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心底丁寧な説明を受けれたことに感謝し、暇乞いを告げる私に門の所で45度の角度で礼儀正しく長い間微動だにせずお辞儀をされる二人の方にこちらまで車の中で頭を下げ続けたのである。流石に超一流企業の方々は訓練され全てに破格の礼儀が要求されるのであろう‥こんな一介の何処の田舎のお婆とも知れぬ者にまでも・・と痛く感銘を受けて帰ってきた。

そして広大な敷地を抜けて・・

鞍馬街道をくねくねと降りる。かつて源氏の再興を清水寺にお百度祈願する義経が毎夜鞍馬を抜け出し遂には五条の橋で弁慶と主従の誓いをするその道を感慨深く楽しませていただいた。通常お化け坂とよばれるその鞍馬街道の坂道・・・平家が壇ノ浦で滅亡し、一時は入水するも生き永らえた建礼門院が辛うじて寂光院に身を寄せていたのを後白河院がお忍びで訪ねられた時に源氏の武将たちの目をのがれるために使った道でもある。この時にいた建礼門院のお付きの女官が身過ぎ世過ぎのために作ったのがあの「柴漬け」であるなどともっともらしく説明を受けたことは何年か前のブログ「寂光院」の時に書いたと思う。京都のあちこちには琵琶の題材となる所がわんさかあるのだ。「五條橋」も「寂光院」も謡う時はこの風景を思い浮かべながらとなるであろう。

そこからは昼食もそこそこ。午後の予約の時間が迫るので次の地に走りに走る。もっとも走ったのは私ではなく、車であるのだが。

 

遊郭と言えば江戸は吉原、大阪は新町、京都は島原。

今回は織成館の館長さんの勧めもあり「島原」の一軒に。

官命により六条三筋町にあった遊宴の花街が朱雀野に移されたのが1641年、

あまりに急な移転騒動が島原の乱に似ていることから「島原」と呼ばれるようになったとか。その島原の一軒の揚屋「角屋」(すみや)という文化美術館に。

 

揚屋」(あげや)というのはちょっと耳慣れない言葉であるが、今でいう高級料亭とでもいおうか。太夫や芸妓を抱えて派遣する所はいわば「置屋」と言われるところだが、この「揚屋」というのはお客様に料理を出す場所で場合によっては芸妓や太夫を呼び寄せお客の席に着かせることもできる場所でもある。

揚屋」は普通の料亭よりはるかに厳しい幾つかの条件が備わっていなければいけなかった。料理場は50~100畳なければいけないとか、本格的な茶室を揃えていなければいけないとか、又大きな庭園を備え各部屋からその景色が見えないといけないとか・・・。現在では京都の名勝となっている建物の古い部分は国の重要文化財にも指定されているし、ふすまや天井、所蔵美術品は数々・・長押の釘隠しも部屋によって源氏香であったりなどしてその部屋の襖絵とかに合わせていたりもする。天井は見えない所にまで贅と工夫が凝らされてい。壁や天井、柱など煤で黒くなっているのも如何にろうそくの明かりが数多く日夜ふんだんに使われていたのかもうかがわれる。兎に角見ごたえ十分な場所である。

 

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 話は違うがよく花魁道中などと言う言葉を聞く。「置屋」から「揚屋」に請われて花魁が八の字に歩くのがその時とのこととか。この道を男衆や禿に伴われて豪華絢爛な姿で歩いて渡ったのだろう。窓には全て格子戸がかかっているのも頷けるではないか。

 

 

私はといえば、今でもこの場所に残る新選組の刀傷を見ておきたかった。

とはいえ、古い建物で多くの見学者が公開されたこの時期だけに訪問することを考え、見学の邪魔にならないように…また、建物の美観を損なわないように・・今回はひっそりとこのいでたち。

 

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黒と茶の毛万筋の江戸小紋

帯は黒の絽刺しの箔帯を考えていたのだが、余りにも黒っぽくなりこの日の朝、急遽この帯でちょっぴり気持ち遊んでみた。帯締めは帯の色を壊さないように黄色と薄い紫の変わり平組。三泊四日、着物で過ごすので草履は歩きやすいものをチョイス。台に真綿をうっすらと引いて長時間の歩きにも対応できるものにした。

着物好きな方には日帰りの旅ばかりでなく、宿泊の時にも是非着物を楽しんでいただきたい。どんな着物で観光するのか、目的を考えて着物を選んでいただければ楽しいと思う。自分の着たいものだけを考えずに、そこで文化財を一緒に見る方々にも不快感を持たれないような配慮を持つようにしたいと思う。中々この年になっても難しいのだが、考えながら選択するという作業も又勉強ではないだろうか。

 

ちなみに紅葉の美しい小さなお庭を持つ泉涌寺という皇室ゆかりのお寺に寄ることがあった日にはこの着物と帯にした。

 

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無地のベージュ地に見えるが白地に薄いグリーンの角通しの江戸小紋に箔の袋帯

小さなお庭での紅葉の鑑賞をされている方々の邪魔をしないようにとチョイス。

ただ少し自分も楽しみたかったので白っぽい帯締めは辞めて濃いグリーンの帯締めを。

色んな楽しみ方があるのだけれど若い方は若いなりに華やかさも楽しめるようにすればよいだろうし、年配者は地味ながらもそれを楽しめる知識や経験があるはず。

折角なのでもう一つ。

これは京都の行き帰りの日に私が着た着物と帯。

 

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着物はお召の訪問着柄。20年以上も前のお気に入りのもの。

帯は絽刺しの箔帯。

お召は移動する時にも裾さばきが良いことと、皺になりにくいし、型崩れもしにくい。普通は電車や車に長時間座っているとどうしても膝やお尻のあたりがボンと飛び出していく。特に絞りの着物は型崩れしやすく旅行にはちょっと不向き。パーティなどでは豪華で華やかではあるのだが、使い方には向き不向きがある。私は電車に長く乗っていたり、車に長時間乗らないといけない時などはできるだけお召をチョイスするようにしている。紬のようなモッサリ感もなく、光沢もあり、場所も効く。電車から降りてすぐ気の張る方に逢いに行く時などはもってこいである。着物の色や柄だけでなく素材も又、その目的やその時の置かれた状況に合うように大いなる選択の幅がある事も知ってもらいたい。

私は自分の好みで色々選択しているのだが、皆さんは皆さんで色々楽しんでもらえたらよい。どうか色々な着物の旅を皆さんも楽しんで工夫していただきたいなあ、と思う。

それが楽しんでできるようになればきっと着物は洋服以上の必須アイテムになるはず。

 

 

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初代新選組組長の芹沢鴨が暗殺されるときに剣術に素晴らしく秀でていた芹沢鴨をこの「角屋」の二階・・たしか螺鈿の間でしこたま酔わせ壬生の屯所に連れて行き暗殺したと聞いている。

邸の其処彼処に残る歴史の一部をこの目で見て、琵琶の謡う時にイメージしたかったのである。二階の全ての部屋は見られるのだが、古い部分でもあり、全て撮影禁止のため、撮影を許された一階部分だけお見せしたい。

 

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三泊四日でほとんど仕事に関しての行程だったが最後の日はお蔭で楽しませていただいた。織成館の館長さんには本当に感謝感謝である。

本当にいつもお世話になりありがとうございます。

 

いつか生徒さんとも色んな場所に勉強に出かけられたらうれしいねっ。

ではでは・・・今回はこの辺で。またねっ♪