和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

京都の寺「祇王寺」&「滝口寺」


京都へ行ってきた。
朝一に家を出てまずは京都の文化博物館。
京都の名工展へ行くのが第一目的。
来年の和装組曲アカデミーでの「名工に学ぶ4」の名工にお会いするため。
素晴らしい方々の作品は会場での写真撮影禁止などの制約もあるので今回はブログには出さないでおこうと決めていた。
来年その方と時期などを調整しながら取材できたら詳細はその時に。
今の予定としたら四月にと思っている。
一番混む花見シーズンは避ける予定。

であるからして、今日のブログは午後訪ねたお寺について。


最初は「名工展」を見たらすぐ帰ってくるつもりでいた。
だから宿は取ってなかった。
京都は一か月前からでも中々こんな時期に取れるものではない。
しかし、先日日帰りで群馬へ行ってとても疲れたのでその後の京都、体力的に厳しいかも・・と
心配したこともあった。2〜3件、日ごろ使わせていただいているホテルに電話しどうしてもだめなら大津に泊まろう…と。
琵琶湖畔なら眺めも良かろう・・・空もあろう・・と。

それが何と・・最初に電話を掛けたホテル・・空いているとのこと。
私の電話の前にキャンセルがあったとのこと。



日ごろの行い、それしかない。私って素晴らしい〜♪ (笑)
神様はきっといつも私を見ていてくださるのだ。
どんな時も勘違いの中で生きているめでたい雲龍柳である。

で、急遽泊りとなった。
で何を言いたいかというと、「名工展」のあと、午後お寺に行くことにしたのだ。
何と・・・ここまでが前置き。
急ぐ方スルーしていってくだされ〜。
どんな時も急がず、ゆっくり、楽しみながら自分のために書いているブログである。
皆さんは雲龍柳に律儀に付き合う事はない。


今琵琶は「横笛」を弾き語りしている事は以前ブログに書いた。
で、折角なので「横笛」の舞台である往生院へ行こうと決めたのである。

「往生院」は嵯峨野で山上、山下に広大な敷地を占めていたらしいが後年荒廃しささやかな尼寺として残ったようである。
それが「祇王寺」である。その「祇王寺」も明治初年に廃寺となり大覚寺によって墓や仏像など保管され明治28年、元京都知事が別荘を提供し、現在の祇王寺となったのだと手渡されたパンフレットに書いてあった。祇王寺は現在真言宗大覚寺派塔頭寺院となっているとのことである。




竹林と楓に囲まれた草庵。













平家物語」にも「祇王」の話は出てくる。
平清盛の寵愛を一身に受けていた美しい白拍子祇王
しかし「仏御前」という美しい女性の出現で妹・祇女や母・刀自(とじ)と共に追われるように都からこの奥嵯峨野に移り住み尼となり過ごしていたとのこと。
もっとも後年、その清盛の寵愛を受けた「仏御前」も又この祇王寺に落ちのび4人の女性が尼として過ごしていたようである。

今では縁結びの寺として有名とかで若い女性でとてもにぎわっていた。
この日は雨が降っていて落ち葉の上は滑るので、実に歩くのが恐い。
雨があるので苔はなお一層美しいのだが、こちらは滑って踏ん張って膝が「ぐにゃり」といきそう。





光が見える窓は控えの間の窓で「吉野窓」というらしい。
影が虹色にも見える所から「虹の窓」といわれているとか。
残念ながら雨降りの日は無理。
寺に入って外を見るとこんな感じ。







若い女性たちの黄色い声がこだましていた。
「縁結びの寺」とな?
むしろ「縁切寺」なら納得するのだが。


      萌え出づるも 枯るるも同じ 野辺の草
           いづれか秋に あはではつべき
                  

祇王が心変わりした清盛の許を去る時に障子に書き残していったとされる歌である。
いじらしくもの悲しいと取るか、あてつけがましく嫌味ととるか・・(笑)
そして、いつか清盛の寵愛が自分からも去るであろう世の無常を感じ自らも又尼になって祇王の寺に身を寄せた仏御前はこの時17歳であったとか。
瀧口との別れをした横笛も期せずして17歳であったっけ。
多くの女たちの涙を吸ってきた苔は雨に濡れて今も益々美しい。



向かって左が「祇王、祇女、刀自の墓」そして右が「清盛公の供養塔」



さてさて・・・滝口と横笛のお寺は一体どこに・・・
そして見つけた「滝口寺」。このすぐ近く。小さな脇道へと続くのだが、誰も訪ねる気配もなし。
嘗ての往生院の敷地はとても広く元々は「往生院三宝寺」と言われていたようである。

瀧口寺のパンフレットによれば、往生院は広大な敷地の中に多くの念仏道場として栄えていたのだが、応仁の乱などの様々な戦乱の後、祇王寺三宝寺のみが残ったようである。明治維新の後、廃寺となりその後祇王寺の再建に伴い三宝寺も再建されたようである。佐々木信綱氏が小説「滝口入道」にちなみ「滝口寺」と名付けて以降そう呼ばれるようになったようである。









     そるまでは恨みしかとも梓弓
              まことの道に入るぞ嬉しき


と滝口入道。

     そるとても何か恨みむ梓弓
              引きとどむべき心あらねば

と横笛。

パンフレットにはそのように。

琵琶の弾き語りでは横笛は桂川に入水と謡われている。
この歌も琵琶では入水する時衣を掛けた小枝に結びつけたと謡われているのだが、滝口寺のパンフレットには寺の外の石に指で血文字で書いたとか。
そして奈良の法華寺にて自ら尼となり短い生涯を過ごしたとのこと。このうす暗い奥嵯峨野の竹林を仏御前同様に17歳の横笛はどれほど心細く寂しい思いで歩いたのだろうか。

多くの人たちは観光バスから降りたち、祇王寺へ行く。
私以外は誰一人滝口寺への興味がないようで、どなたもいない。
拝観料もろくに入らぬ寺は寂れ果て・・・・





胸のつぶれるような痛ましさを感じながらのひと時。
ただこの寺を管理する方の思いが何となく伝わる。
草一つない手入れされた庭園。
なのに屋根の修復の費用が捻出できないようである。
裸電球はあるにはあるのだが、電気が来ていない様子。勿論スイッチも見当たらない。

   諸事情で屋根の修理はできませぬが
      どうぞゆっくり拝観していってください・・と。


晴れていたならもう少し周りの庭園を楽しめたであろうに、この雨。
「どうぞゆっくりと・・」といわれても動くに動けぬ。
既に足袋は指先と踵は汚れているし湿ってもいる。

案内の所にいる担当者に「頑張ってくださいね」と心で言う。
と、言うのはその方どうもお寺の関係者かどうかは分からぬのだが、聾唖の方のようである。
「ありがとうございます。」伝わったかのように実に深々と頭を下げられた。
気持というのは言葉にしなくても伝わるのだ、そんなことを思いながら帰ってきた。
寄進しようにも賽銭箱一つない。
せめてお土産を買って少しお金を落としていこうにもおみやげ物すら一つとして置いてない。
緊迫している内政事情が余りに痛ましい。
何ができる、一観光客に。
頑張って踏ん張ってこの小さな燈火を消さないで頂きたいと願うのみである。

車に乗っても・・心は鬱々と晴れなかった。
何ということだ・・
京都の市やどこかの有志がこんな惨状を放っておくのだ、と。
あの天井、あの雨漏り、電気すら付けられぬそんな状態ではないか。
畳もふすまもじっとりと湿り、置いてある座布団にも湿っていて座れぬ。
それよりも畳もたわんでいるではないか。
ここ一年の窮状ではない。
何という事…何という痛ましさ・・
車に乗り汚れた白足袋を新しいものに変えた。



後部座席でほとんど言葉を発しない私、
ずっと黙って外を見ていた。
気持が物凄く疲れてもいた。
私を気遣って案内の方が「大覚寺」に連れて行ってくださった。
「気分を変えましょう〜」と。
大きなそれは立派なお寺だった。
嵯峨天皇の別荘だったとのこと、沢山の方達が行列をついて雨の中を入館しようと列をなしていた。
立札があった。
集英社「ワンピース」かなにかとのコラボらしい。
まだ他にも何かやっているとかで人の列が凄く案内の人も沢山出ていた。
現在の社会の中で上手くわたっていける方はいい。

大きなお寺だから直ぐ中にはいれますよ、という案内の方の言葉を振り切り私は戻った。
世の中何か間違っている。

で、その案内の方に言った。
「心が和むようなお寺はないかしら?」と。
このまま私はホテルに帰ったら、今日は余りに寂しくて寝られない。
何処か、ほっこりするような小さな優しいお寺は京都にはないの?
観光する寺ではなくお参りする寺に行きたい。
一つもそんなお寺がないの?
心が落ち着き何とも生きていることに感謝できるようなそんなお寺はないのか?
手を合わせ心静かにお参りできる、そんな場所が無性に欲しかった。


あの雨漏りし、修理する費用もない、電気も付けられない滝口寺の重い暗い雰囲気が私の心を鬱々とさせていた。
あの痛み切った屋根を修繕する費用もないお寺。
沢山の観光客がいても見向きもしないお寺。
瀧口と横笛・・・あの若すぎる二人が出家していく心情を今では時代遅れで人々が見向きもしないというのか。
あ・あ・・自分は何という非力なことか。

あたりどころのないイライラをその方に知らず知らずにぶつけてしまった。





そして・・・あったのだ。
物凄く暖かくぬくもりがあり、ほとんどの人が知らないお寺が。
ひっそりとお経を唱え細々と檀家の方々と静かに過ごすお寺が。
お寺は観光する場所ではなくお参りする所だと言い切る住職が。
「お寺はお参りする場所です。」
仏様の前にそう書かれていた。
「まずはお参りをしてください。」と。
実に気持ちの良いお寺だ。


長くなった。
この続きは又いつの日か。
いや約束はしないでおこう。
書けぬかもしれぬから。
私も少し疲れている。
いつか書けたらとしておこう〜♪
今の私は来年もう一度その寺に行って住職の説法を聴こうと決めている。
2月に2週間ほど一般公開するとのこと。
ブログにアップするのはその後にしよう。
人の好い寺守の老夫婦は惜しげもなくどこでも写真を撮らせてくださった。
「どうぞ〜」「どうぞ〜」と。
しかしネットに載せることがどういう事かは実際は知らぬはず。
住職にきちんと断ってからでないとあの老夫婦が叱責をかうやもしれぬ。
私の行った日には住職は檀家の葬儀の日で不在だったから。
遠くからでも住職の説法を聞きに来る方がいるとのこと・・・まずはそれを次回聴かせて頂いてからでも遅くは無かろう。
仏様の写真は許可を受けてからでないと心苦しい。
ちなみにそのお寺で取らせていただいた木魚の写真。
これは許していただけるであろう。




檀家の方々の「マイ木魚」が綺麗に整頓されていた。







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         第24回祐門会主催
             
         ◇◆◇ 【北陸能面展】のご案内〜♪ ◇◆◇



        平成29年10月19日(木)〜23日(月)
        午前10時〜午後6時(最終日午後5時30分終了
        石川四高記念文化交流館1F
        入場無料 

 






★特別講演
    10月22日午後2時より宝生流若手能楽師新発見講座
    として半能「羽衣」が香林坊アトリオ1Fで開かれます。

★特別出展
    10月18日〜24日大和百貨店6Fアートサロンで後藤祐自能面展が開催されます。


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和装組曲関係者は来られるようならどうぞ私にご一報ください。
私が会場に行ける場合は行きたいと思いますので時間調整いたします。
現段階では日曜日にはなるべく顔を出したいと思います。
勿論、ドレスコードはなるべく着物〜♪。  




     
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