和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

横笛

月下の陣が終わった。


で、今琵琶で弾き語りしている曲は「横笛」
楽器の名前ではない。女性の名前〜♪

横笛は、高倉帝の中宮、即ち清盛の娘徳子(建礼門院)に仕えた女官。
容姿端麗、しかも建礼門院に仕えるのだから、頭脳も芸事一通りもずば抜けている。
清盛が都中から集めた中でも選りすぐりの女性しか建礼門院には仕えられなかったのだから。

平家の若侍たちの思いを一身に集め恋文もそれはそれは多かったとのこと。
中でも小松の内府重盛(清盛の長子)の家臣、斎藤時頼は横笛の艶やかな舞姿を見てからは思いを深め日ごと夜ごとに文をしたためたとか。その数は千通にものぼったとも言われている。
でも横笛はただの一度も返すことはなかった。余りにも浮いた気持ちで横笛に懸想する若者からの文が多かったため。横笛は時頼をそんな一人と思ったからだった。


       百夜の榻(しじ)のはしがきに 君の情けは思へども 

       堰(せき)のしがらみ固うして 只飛鳥川明け暮れに 

       思い乱るる果敢(はか)なさよ

時頼は失恋の痛みに耐えかね出家してしまう。嵯峨野の往生院にこもり遁世してしまう。時に23歳の若さであった。


       噂に聞けば片糸の よりても逢わぬつれなさを
 
       恨み給ひて武士を捨て 嵯峨野に隠れ給ふとか




一方横笛はこの話を聞きつけ、時頼の気持ちが世の常の浮いた心から来るものではないと悟り、つれなく打ち捨て置いたわが身を悔いる。
又時頼の真剣で誠実な心を知り、次第に恋心も湧き密かに御所を抜けて嵯峨野の往生院に尋ねていくのである。


       皆身のためと思ひては 哀れとすだく虫の音も

       心をとがめてやる瀬なく 杖を力に忍路や

       たそがれ時をにまぎれつつ 内裏を一人抜け出でて
  
       嵯峨野の方へぞあこがれける


束ねたら千通もあろう文にただの一度も返しもしなかった自分を責めに責め、ひたすら寂しくわびしい秋の野を一人急ぐのである。


       千づかの文に一言の 返しせざりしつれなさを

       恨み給はば如何にせん 心細さは秋風に

       身も消えぬらん心地して 夜の細道いとどなほ 

       心の闇にすべぞなき       


この道はあっているのだろうか・・
尋ねる人は果たしてここにいるのだろうか・・・


      暮れ行く秋のならひとて 道柴の露深ければ

      夜寒になりぬ旅衣 あやの重ね衣そばとりて

      招く尾花に恥ずかしと まぶかに被るぬり笠や



はや夜も更けて月も西に傾き果てしない草ばかりの情景が広がっていく・・
自分のそっけない態度を後悔し、消え入るばかりの心細さに耐えて若き乙女は夜の闇の中を先を急ぐのである。



       茂れる宿はさび果てて なかば破れたる草の門

       往生院と読まるるに 滝口殿よそれぞとて

       喜び勇み立ち寄りて 門ほとほとと打ちたたく


喜び勇んで門を叩く横笛であるが、誰も答える者すらいない。
秋の虫が集くだけである。横笛は耐えかねて泣きながら声をかけるのである。

       小松の君に仕えたる 滝口殿にぞおはすらむ

       横笛申す由ありて 浮き世の嵯峨の奥深く

       迷ひ来たれる哀れさを 聞し召さずやこの門を

       開けさせ給へという聲も おどろ乱れて泣き伏しぬ

流石に中から声がする。

       今は仏に仕ふる身 世の浮き事を百千度

       繰り返しても如何にせん 只何事も夢ならば

       帰り給へと云ひ捨てて 読経の聲かすかなり



琵琶では往生院に訪ねて行った横笛に時頼は会おうとはせず全て過ぎ去ったこととして御経を読み続けるのである。
恋に悶える乙女と、失恋し浮き世を捨てた男とは所詮合わぬ片糸同士。
いまさら何を・・・出家した男には所詮せんない繰り言にすぎぬ。時は既に遅い、男はひたすら読経を声高くあげる。既に決心は固い。
一方横笛は必死にすがる。


       のうあけてよと幾そ度  呼べど叫べど答えなく

       友に離れし雁の聲悲しげに鳴いて行く
横笛はうるみ声

       遥々きぬる此の我の 心の中も汲みもせで

       ただ此の儘に帰れとは 恥じて死ぬとの心かや


女の心は一変します。
一目もあってくれぬとは・・あなた様は私に自分の行いを恥じて死ねと仰せか・・
いやいや誰もそんなことは言ってはいない。「死ね」などとは一言も。ただ「帰り給へ」と言っただけ。
いつの世も極端から極端に何の違和感もなく即移行するのも又これいつの世でも女の心。
男の頑なな心を知り、女はやがて絶望へと変わっていく。
一目会ってくれたら、何とか誤解も解けように。
その一目すら逢ってはくださらぬ。戸すら開けてはくださらぬ。


       つれなき君にくらべては 月こそ哀れ深けれと

       きぬのたもとも露にぬれ 涙にうらみゆふだすき

       かけて嘆くも哀れなり 

1人とぼとぼと横笛は失意の夜の道。
あの千の文にせめて一言返事をしていればと思う気持ちも既に遅い。
そして桂川に出る。
今更内裏に帰って何としよう。

       心曇れば烏羽玉の 闇にひかるる後ろ髪

       断つよしもなき此の憂さを 免れ出でんは只一つ

       一つと心細道を 辿りて出でし桂川

       頼む連理の影もなく 消えよと誘ふ水の聲

早く流れる水音は「死ねよ」とまるで自分を誘っているように聞こえる。


因みにその時に横笛が着ていた襲の色目「朽葉色」とは表は朽葉色、裏は黄色。
朽葉色は物凄くバリエーション多いのだが「赤朽葉」「黄朽葉」「青朽葉」と大きく分けて三系統ある。
そのいずれかは不明である。ただその衣を傍らの柳の木に掛けて、横笛は桂川に引き込まれるように身を投じる。
その時の語りが物凄く美しい。

       思い定めて水上の 御幸の橋の側近き

       柳の下の病葉(わくらば)や 朽葉色なる衣をかけ

       思ひの文を結い付けて 哀れ十七の花紅葉

       夜半の嵐に誘われて 千鳥ヶ淵の水泡(うたかた)と

       消えて失せしぞ哀れなる

この平家物語の横笛を題材にして高山樗牛の「滝口入道」が作られた。時頼の事を「滝口」と呼ぶのは、滝口の侍であったことから。滝口というのは、禁中守護の武士で、禁中の軒下に引いてある細流を溝水(みかはみず)といい、その流れが集まって滝となって流れ出るその滝の口に陣屋を構えて警護した武士である所からこのようにいわれたのである。
この滝口入道時頼は後に高野山に登り、修業を積んだ後名僧となり平家一門滅亡の後追善を営んだと言われている。
もっとも樗牛の作品は横笛も出家して尼になるような結末に作られているようだが、琵琶の横笛は最後は入水自殺とされている。


そして、そして・・・最後はこう締めくくられる。

       桜散る夜の朧月 時雨に月のひそむ夜は

       今も千鳥の音になきて 哀れに叫ぶ聲すなり




最後の件には十分な凄みも加わるように作られている。



鬼が出たり、怨霊が出たり、早いばちさばきの見せ場があるわけではなくどちらかと言えば案外地味な曲である。
男の意地、女の誇り・・叶わぬ思いがかすかにすれ違い二人は戸口一枚を間に挟み気持ちはすれ違うまま。
男の決心、女の後悔・・元に戻すこと叶わず右と左に分かれるのである。

今年のこれからはこの曲を練習する。

文中の琵琶の語りの緑色の部分は永田錦心「横笛」から原文は物凄く長いので。
随時抜粋させていただいた。

時頼23歳、横笛17歳と言われている。

( 永田錦心作 「愛吟集琵琶歌之研究 巻二 」横笛から適宜抜粋 )


そして今能面は「十六」である。
16歳で討ち死にした能「敦盛」に使われている。
若い女の小面の面は以前完成しこのブログでお披露目したが、今年はこの若武者「十六」に挑戦している。
女の顔のように美しいと言われた敦盛であるが、この段階から既にキリリと見えるのは気のせいか・・
荒くれ日に焼けた精悍な源氏の武将たちとは一線を画し、平家の武者たちは何処までも優美でたおやかではあるのだが、若者はどんな場合でもただひたすらに一直である。
それが美しくもあり、悲しくもあり。