和装組曲♪

・・着付け教室、琵琶演奏、能面制作などに勤しむ日々のあれこれをグダグダと綴ります・・

重衡(3/25追記)

重衡は平清盛の五男。
平家の公達の中でもかなり数奇な運命の方だったようだ。




平家物語を読むと、詳しく書いてある。
一の谷の合戦で梶原景季(かげすえ)に馬を射られ捕虜となる。
だいたいこの梶原景季という人、頼朝と義経の間を不穏なものにした張本人。
色々頼朝の耳にあること、ないこと、(あること、あることかもしれぬのだが・・・)義経の事を入れたため、結局義経追放となる件も「静」の曲で垣間見える。
人の猜疑心というのは中々厄介なものだし、一旦芽生えると簡単には打ち消せないのがこれまた人の人たる所以かもしれぬ。
平家だけでなく、源家にとっても中々面倒な人であったようだ。

囚われた重衡は一旦京都から鎌倉に送られる。
重衡の命と三種の神器と引き換えに・・・と迫る頼朝に清盛は断る。
重衡の母であり、清盛の妻は幼い天皇を抱えて壇ノ浦での入水となり、平家一族は哀れ悉く海の藻屑となるのである。



       噫(あ〜ぁ)一門は西の海      
       かへらぬ波にうき沈み
       身は囚はれて東路の    
       露けき空に袖しぼる


重衡はかつては奈良の東大寺の大仏や仏塔を焼き払ったり、多くの奈良法師などを容赦なく討ったりしている。勿論清盛の命であれば否応もないのだが。
奈良法師の恨みは根深く鎌倉の重衡をもらい受け法師たちの手で成敗されることに決まっていた。簡単な刑ではなくどこまでも陰湿な責め苦であり、見せしめであったに違いない。


       しばし惜まぬ春の夜の
       夢ばかりなる手枕に
       ありし昔の偲ばれて 
       甲斐なき涙あふれ来ぬ


重衡を鎌倉で預かっていた屋敷の主、狩野宗茂は、残り僅かな命の重衡のために一夕の宴を開いて慰めようとした。
その時に宴に興を添えたのは千手の前という白拍子。この白拍子、琴の名手であるだけでなく中々美しく、又、長者の娘の出で風流を嗜んだ人であったとか。


       

       御慰めの為にとて      
       千手の前がいみじくも  
       かきなす琴のゆかしさに 
       我を忘れて重衡は 
       かたへの琵琶を抱き上げ
       撥音気高く弾き給ふ

この重衡は琵琶、敦盛は横笛、文武両道は勿論平家の公達は音楽にもとても通じていたのだ。


       燭は暗し 数行虞氏の涙  
       夜は深し 四面楚歌の馨 


虞美人の話は高校の時の漢文の教科書に出ていた。
楚の項羽の愛妾で絶世の美人。
漢の高祖の軍に囲まれ絶体絶命。
自分は死ぬ覚悟は既に出来ている、しかしやがて城には敵軍が押し寄せる。
美しい愛妾をとても敵陣に残してはいけぬ。逡巡する項羽
「虞や虞や、汝をいかんせん」と嘆いたことはすこぶる有名である。
その時に虞美人のたって願いで彼女を刺し殺して自分も討ち死にして行くのである。
すこぶる有名な場面でもある。
漢文の先生が物凄く力説していたのを思い出す。さぞや美しい人だったに違いない。
五十年たった今でもその時の漢文の先生の高揚した顔を思い出す。
とても記憶に残るいい先生だった。その先生も今では墓の下である。

その美人の血を吸って地面のその場所から生えた真っ赤な花を虞美人草と呼ぶようになったのだとか。

       折りに合して朗詠を    
       吟じいずれば並居たる
       鎌倉武士もとりどりに  
       衣の袖をぞぬらしける

       琵琶を枕にうたたねの
       身の行く末も短夜や
       やがて明け行く東雲の
       空もあやなくかきくもる



これからの重衡の命が短いように夜も短く開けていくのである。
一時心を通わした二人の心は悲しく、二度と合えぬ別れに心乱れるのである。

       心残して西東   
       別れ行くこそはかなけれ

                      
                       琵琶歌の作詞は
                       酒井流水 氏


千手の前は白拍子、はかない一夜の契の後で西と東に分かれていく。
実際重衡は奈良に連れていかれたのは翌日ではなく何か月か後のようである。そして法師たちによる壮絶な刑。
一方重衡の死をしった千手の前は髪を下して尼になり、重衡の菩提を弔うという選択を取るのである。

短い文章の中に非常に多くの意味があり、無造作に読んではいけない。
この琵琶歌「重衡」は「静」と共に琵琶の端唄の傑作の一つである。


ところで・・・・
何故この重衡を今回ブログに書いたのか…
それは五月に私と笛の藤舎秀代さんとのコラボがあるのだ。
二人のコラボ名は「風姿会」という。コラボ名は今回初公開でもある。
以前からコラボ名をつけてはどうかとテレビ局からも打診は受けていたのだが、なんとなく大げさすぎるし、私にはどう考えても身に余る。
丁寧にお断りしていたのだが…今回「風姿会」という名前をつけてくださった方がいるのだ。

「風姿」などという大層な名前はとても気恥ずかしくて恐れ多い。
しかし、命名者はトマス・ハーディの研究者であり、泉鏡花記念金沢市文学賞受賞されている藤田繁氏である。
数多くの著書の中でも
  
  「古き焔(ほむら)があと」〜1912-13年の詩〜




この書が実に素晴らしい。しかもこの本の中の全ての写真をご自分で写されたものだとかで大変な驚きである。
装丁や写真だけでなく紙質にまでこだわって作られていることがページをめくる自分の指先がいち早く感じていく。吸い付くような滑りである。損得を度外視した拘りでもあろう。

この方が私と藤舎さんのコラボのファン第一号の方である。
折角の申し出、お断りする理由もない。
と、言うわけで「風姿会」というコラボ名を謹んでありがたくお受けすることとなる。
そして勿論、今回のブログは藤田繁氏の了解を取り書かせていただいた。


五月六日石川県立音楽堂にて大きな茶会が開かれ、そこ様々な邦楽がバックでご披露されるのだが、そのうちの一つとして「風姿会」と銘打って笛・藤舎秀代さんと琵琶は私・長谷川凍水二人の演奏がある。曲目はまさしく「重衡」である。
お時間のある方いらしてください。
入場は2000円と聞いておりますが、抹茶とお菓子がふるまわれるようだ。

和装組曲の方には事務所にチケットおいておきますのでどなたでもご自由に〜。
ただし・・ただしである。
和装組曲の方はドレスコードは着物。これ最低条件である。
最低条件?
そう、できれば美しく着てきてください。
こんな時こそ、美しく着ることが上達の秘訣。

ではでは・・・ごきげんよう〜♪

 

 ・・・・・・・・・・◆・◇・・・3/25追記・・・◇・◆・・・・・・・・・

上記の記事を書いた数日後、主催者側から連絡有。
主催者の方の都合により今回はイベントを中止するとのこと。
とても残念ですが、主宰する方の都合なら仕方がありません。

この場を借りてご連絡いたします。
楽しみにしていらした方、又チケットをご希望されていた方ごめんなさい。
次回へのお楽しみということで・・・・ご連絡させていただきます。(深謝)